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第734回 株式会社175 代表取締役 出野光浩氏
update 19/08/20
株式会社175
出野光浩氏
株式会社175 代表取締役 出野光浩氏
生年月日 1983年12月28日
プロフィール 北海道札幌市豊平区月寒出身。独立をめざし、21歳で上京。中華料理店、ラーメン店など数々の有名繁盛店で修行したのち、究極の担担麺づくりの為発祥の地「中国四川省」へ。本格四川料理技術と日本のラーメン技術と北海道を融合させた、オリジナルの担担麺を生み出す。
主な業態 「175°DENO担担麺」
企業HP https://www.175.co.jp/

スキーとサッカーと神のような指導者。

「月寒」と書いて「つきさむ」と読む。今回、ご登場いただいた株式会社175の代表取締役、出野光浩氏の生まれ故郷の地名である。出野氏は1983年12月28日に、この寒月月寒に生まれている。
「北海道ですから、私も小さな3歳頃からスキーを始めます。小学4年生頃までですが、大人が取るインストラクターの資格も取得しています」。
小さな頃から運動神経は抜群だった。ただ、北海道生まれなのに、寒いのが苦手。「それで、サッカーに転向した」とこちらを笑わせる。
チームは弱かったが、出野氏は1人、選抜にも選ばれている。
中学になっても、サッカーをつづけた。
進学したのは全国大会に出場するような強豪校。
ここで1人の神のような指導者に出会う。
「顧問の先生です。先生はサッカーのことより、普段の生活態度に厳しい人だったんです。練習だって2時間くらいしかしない。先生はサッカー経験もない。それでも、5年連続で全国大会に出場するようなチームを作るんですからね。とんでもない指導者でしょ」。
公立高校公立中学校だから、特別な選手が入学してきたわけではない。練習量もけっして多くない。にもかかわらず、みんながグングン巧くなる。
小学校では弱小チームだった面々が、ピッチを自在に駆け、大会で優勝する。何が何かわからなかったが、紛れもない事実だった。
先輩たちと比べ、出野氏らの代は、けっして強くなかったそうだが、それでも出野氏は推薦で北海高校に進んでいる。
「先生の教えは、いまも私の信念となっています。『やれば、できる人間として何が正しいか』です。じつは、盛和塾の稲盛和夫塾長さんの教えと共通してにも似てといるんです」。
時に訓話は1時間に及んだらしい。長い話だったが少年たちは黙って耳を傾けた。出野氏のチームメイトではないが、その長い訓話は、プロのサッカー選手まで生み出している。サッカー以外のどんな部活を指導しても全国に導くまさに、神のような指導者だ。

起業を志すまで。

出野氏が進んだ「北海高校」はスポーツの名門校だ。神の先生が育てた方が監督。ただ、名門だけあって、練習もハンパなかった。新入生100人が入部したが、3日で3分の1になったというから、練習のレベルも想像できる。
「1週間経った頃には5分の1の20人です/笑」と出野氏。
高校を卒業した出野氏は、自動車短期大学に進む。車の仕組みが知りたかったからだ。飲食のバイトをはじめたのは、短大に進学してから。
学生バイトだが19歳で店長になる。担当店舗の社員、アルバイトスタッフ約40名は全員年上、バイトからいきなり店長になったのだからナメられ人の管理の大変さを痛感し悩み10kgほど痩せたが水商売の原点を体に叩き込んだ。
「17歳くらいの時に、「社長になろう」と思っていたんです。きっかけは思考は現実化するというビジネス書を読んだこと。学生時代は全く勉強してこなかったのですが、ビジネス書にはまりました。飲食関係の仕事をしているうちに、そういう思いがだんだんと膨らんでいって…」。
サラリーマンというものに対しても、いささか抵抗があった。じつは、不動産会社に一度、就職しているのだが、やはり性に合わなかったらしい。
ともかく、心は起業である。

一品勝負という、羅針盤。

「上京したのは、21歳の時です。北海道では、飲食はもちろんですが、工場勤務、運送の仕事やの仕事などいろいろ経験しました。そのなかで、飲食業がやはりいちばんマッチしました。それで、独立という目標を抱いて上京します。最初に働いたのが、お台場にある中華料理店でした」。
店長として4年つづけた。その店で、独立の羅針盤を手にする。
それが、「究極に高めた一品」のちから。
「『究極の一品』のちからを知って、なら、好きだった担担麺で勝負しようと決めたんです」。
やるなら、とことん。
「175の創業は2013年なんですが、これは、その5年前くらいの話ですね。最初に思い浮かんだのは単純なことで、究極までこだわったらどんな担担麺が生まれるんだろうか、ということでした。戦略というより、純粋な好奇心ですね。最高の担担麺をつくって食べてみたいっていう」。

中国四川省と、DENO担担麺。

中華、ラーメン、和食、やきとりなど15店舗以上の東京の繁盛店を経て、出野氏はひとり旅に出る。
「担担麺の発祥地は、麻婆豆腐と同じ中国の四川省成都市です。究極の担担麺をつくるには、当然、四川に行かないといけない、そう思ったんです」。
四川では、一瞬一瞬が財産になる。本場の人、文化、食材にふれる、それもまた、日本にいるだけでは築けないブランド価値になったと考える。
「そういう修業と経験を経て、生まれたのが『DENO担担麺』です」。
本格四川料理の技術と日本のラーメン技術を融合させた、四川の担担麺でも日本の担担麺でもない、出野氏オリジナル。だから「DENO担担麺」と命名している。
究極の一杯を生みだした出野氏は、起業に向け次なる行動にでる。
「大事にしたかったのは、店舗力、ブランド力です。商品、サービス、価格、店舗のデザイン、企画。私のいままでの経験、出会ったたくさんの師匠や仲間、そしてお客様たちとの出会い、そういうものをすべて注ぎ込み、『175°DENO担担麺』をつくりました」。
その「175°DENO担担麺」の1号店は、北海道に誕生している。
東京に進出した際にも、様々なメディアにも取り上げられている。札幌の超人気担担麺に、メディアが添えたのは「シビレる旨さの札幌の行列店」という一言だ。
シビレのもとになる花椒(ホアジャオ)は、出野氏みずから四川省で厳選し、農家から直接買い付けてきたものを使用している。
今後の展開もうかがった。「今後は、FCを中心に出店を進めます。2050年までに、世界中で3500店舗が目標です」。壮大なスケールだが、じつは綿密な計画のうえに成り立っている。
SHIBIREを世界へ。今、175全スタッフで一丸となりその道を着実に歩み続けている

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