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第735回 スタースリー株式会社 代表取締役 坂口文彦氏
update 19/08/27
スタースリー株式会社
坂口文彦氏
スタースリー株式会社 代表取締役 坂口文彦氏
生年月日 1976年3月6日
プロフィール 広島県生まれ。大学卒業後、広島の日本料理の名店「喜多丘」で修業。4年少しで、退職し、アメリカに渡る。TV番組、「料理の鉄人」で、3代目、和の鉄人となった森本正治氏が経営するアメリカ、フィラデルフィアの「MORIMOTO」ではExecutive sous Chefにも抜擢されアメリカ版料理の鉄人のアイアン・シェフ・アメリカでも助手を務める。8年後、帰国し、グローバルダイニングの権八の統括総料理長に。2年勤め、2011年、共同経営者、今西秀臣氏と「CONA幡ヶ谷」を開業する。
主な業態 「肉ビストロワイガヤ」「魚ビストロワイガヤ」「チキンビストロワイガヤ」「大衆とり屋 わいがや」「CONA」他
企業HP http://www.starthree-waigaya.com/

中学から全寮制の学校に進む。

4代目といえば、4代目。ホテルも、飲食店もあったが、いまはすべて手放した、と笑う。「小さい頃から、仕事を手伝っていた」と坂口氏。ホテルと我が家はつながっていて、我が家の玄関は、ホテルの厨房につづいていた。
「小学生までは、もちろん親元で育ちますが、中学からは寮生活です。広島市内にある中・高一貫の男子校に進みます。小学生の時に、近所の子が受験するというというから、じゃオレも、と。ホームシックはなかったですが、門限や上下関係、お小遣いにも制限があって。ええ、部屋は4人部屋です」。
中学の3年間は、寮生活。高校からは独り暮らし。早くから親離れしている。「最初は、私より、親のほうがさみしがっていたようですね」。
中学は、生徒数も少なく濃厚な付き合いだったが、高校になると生徒数はとたんに膨らんだ。進学校だったし、スポーツでも注目されている高校だったから。

大学卒業、修業スタート。

「大学は親が『東京の大学へ行け』というので、その時、初めて広島を離れます。大学ではアメリカンフットボールの同好会に入ります。大学時代は、あっという間だったですね。ただ、時間が経つのが早過ぎて、就活も何もしないうちに終わりかけてしまうんです/笑」。
「それで、どうしようかという時に、やはりホテルの4代目ですからね。広島にもどって、最初に就職したのは日本料理の喜多丘さんです。いくつかのお店をみて、ピンと来たもんですから。ただ、2人の兄さんがいたもんですから、紹介で、わりとゴリ押しで入社します。住まいは二段ベッドの2段目。兄さんのいびきが下から響きます/笑」。
「喜多丘」はミシュランで星を獲得している日本料理の名店だ。
「喜多丘にいたのは4年ちょっとです。料理の基本はぜんぶ、こちらで教わりました。ただ、私が就職してすぐ1人の兄さんがいなくなり、もう1人の兄さんも辞めてしまうんですね。それで、私1人です。ぜんぶ、私がやんなきゃいけない。だから、たいへんでした。でも、それが財産になったのも事実です」。
「辞めさせていただいたのは、昔から『海外に行きたい』という思いがあって。それがだんだん強くなって。それで色々調べて、ついにワーホリでカナダに行くことが決まったからなんです」。

MORIMOTOのオヤジ。

「もともと、森本さんとは2度お会いしていたんです」。ここで、坂口氏が「森本さん」といっているのは、世界的なシェフの1人である森本正治氏のことだ。
「『喜多丘』に2度いらしたんです。その時、うちの女将さんが、私が海外に行きたいのを知っていましたから、『この子、海外に行きたいんだけど、森本さんところはどう?』みたいな話をしてくださっていて」。
いろんな人が坂口氏を支援する。
「そうですね。そういうこともあって、森本さんが独立し、1号店の『MORIMOTO』をオープンする時に色々な人のご縁があり、カナダはやめ森本さんの下ではたらくことにするんですが、そう簡単にはいきません。ビザの関係もあって、私はけっきょくオープンから2ヵ月遅れで参戦です」。
「MORIMOTO」がフィラデルフィアにオープンしたのは、2001年11月のこと。
「とんでもなかったですね。森本さんは、もうすでに著名なシェフでしたから。客層も著名人ばかりですし…。そうですね、2005年からアメリカでも『アイアン・シェフ・アメリカ』っていう番組が始まるんですね。森本さんは、そちらでも鉄人を務めているんですが、それからはさらに拍車がかかりました。週末の売上は、とんでもなかったです/笑」。
「森本のオヤジの下で8年」と坂口氏。フィラデルフィア店のExecutive sous Chefにもなった坂口氏は、森本氏のエキスをたっぷり吸い込み、新たな人生をスタートする。
さらば、フィラデルフィアですね?
「まさに、そうですね」。
そう言って坂口氏は軽快に笑った。

スタースリー。

「日本にもどって就職したのは、グローバルダイニングです。試験のようなものがあったんですが、そこでつくった料理をたいへん喜んでくださって、入社してすぐに『権八』の統括総料理長に抜擢してくださいました。ええ、いきなりです/笑。向こうでもExecutive sous Chefを経験していましたから、なんとかね。期待通りの仕事もできたと思っています。グローバルダイニングで勤務したのは2年間。ハイ、それから、独立です」。
共同経営者である今西秀臣氏もグローバルダイニング出身。「私は料理で、今西はサービス。マネジメントは2人で。1号店は『CONA』のFCなんですが、これは今西が知り合いを通じてもってきてくれた話です」。
2011年11月、「CONA幡ヶ谷」をオープン。これが、1号店。5ヵ月後には、自社ブランド「アジアンキッチンWAIGAYA」を笹塚にオープンしている。
「そうですね、その年の10月にも『CONA西葛西店』をオープンしました。おかげさまで順調に出店もでき、現在は関連会社を含め、国内15店舗・海外1店舗を展開しています。今年の11月には韓国にもオープンします」。
自身ももう43歳になる。全寮制の中学に入学してから始まった人生の一つの旅は、運にも恵まれた。世界的なシェフである森本氏との出合いも、間違いなく運があったからだろう。
ちなみに、森本氏も、坂口氏とおなじ高校を卒業している。
社名の由来は「三方よし」の、「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」をひとつの星にみたてたそう。そして、その星の名が、スタースリーということだ。粋な社名である。
飲食を通して、社訓の『全従業員の幸福を真摯に追求し驚きと感動を与え世界を変えていく。』を、今日よりも明日、少しでも形にして行きたいそうだ。

思い出のアルバム
 
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