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第740回 株式会社コジマ笑店 代表取締役 小嶋崇嗣氏
update 19/09/10
株式会社コジマ笑店
小嶋崇嗣氏
株式会社コジマ笑店 代表取締役 小嶋崇嗣氏
生年月日 1977年9月9日
プロフィール 自動車整備学校を卒業。建築業の仕事をするが、ともだちがはたらく「楽コーポレーション」に感動し、アルバイト入社。23歳で正社員になり、26歳で店長に昇格。34歳で独立を果たし、株式会社コジマ笑店を設立する。
主な業態 「呑・喰・燃じぃま」「CRAZY×COENZY まんまじぃま」「酒呑気まるこ」他
企業HP http://kojima-showten.com/

中学生、月数十万円、儲ける。

稲藁に移った炎で、鰹を炙る。これが、土佐の鰹のたたき。コジマ笑店の名物でもある。さて、今回は、そんなコジマ笑店の代表取締役、小嶋崇嗣氏にご登場いただいた。
小嶋氏は、1977年9月9日生まれ。2人兄弟の弟。兄とは6つ離れている。「親父はIT系の会社に経営していて、いっときは羽振りもよかったんですが…」と小嶋氏。
正確な記憶はないが、父の仕事がうまくいかず、父と母は別れ、母と子ども2人は都内から離れ西に向かったそうだ。これが小学生の頃の話。
「私が中学生になった頃には、兄はいませんし、母も夜まで仕事をしていましたので、我が家に人はいない。昔は母にピンタされたこともあったんですが、中学にもなると、こちらも大人ですからね。いろいろ認めてくれて、とにかく自由です。うちにも勝手にともだちが入って来たりして。そうそう、ともだちに料理をふるまって褒められたのも、この頃のことですね」。
アルバイトを始めたのも中学から。
「土建業です。給料はいいですよね、肉体労働ですから。当時は、財布にはいつも数万円入っていました。学校より断然、バイトが楽しかったですね。だって、いい月には数十万円です。学校に行ってられないでしょ。とはいても、学校に行かないわけにはいかないから、自動車の整備学校に進みます」。
なんでも小嶋氏、整備士の資格ももっているそうだ。

楽コーポレーションとの出合い。

自動車の整備学校を卒業したが、仕事に就いたのは、またしても土建業。「何しろ給料がだんぜんいいんです。月50万円っていうのもあったし。それに、でっかい建物が建っていく様子は、やっぱりすごくって。俺らの仕事ってかっこいいじゃんみたいな、ね」。
18歳になると、車の免許を取って、さっそく、チェロキーを購入した。「充実しているはずだったんですが…」と小嶋氏は笑う。
「なんでかな。ともだちが『楽コーポレーション』ではたらいていて、なんでかわからないんですが、一発でその姿に感化されちゃんです。まだ、ハタチになっていないんですが、『楽』って会社に酔っちゃたんでしょうね。土建業のほうはすぐ退職して、『楽』に入ります。もっとも最初の3年間はアルバイトです」。
衝撃は受けたが、社員になる気はなかったそうだ。
「そうですね。だいたい性格的に人の下ではたらくってことができないんです。だからって、アルバイトでもそうなんですが/笑」。
当時から独立は考えていましたか?
「ええ、経営に興味があったわけではありませんが、そんな性格なんで、独立はずっと考えていました。『楽』にいると、順番に先輩たちが独立していきますからね。そういう先輩の背中を観ていたというのも大きいんでしょうが」。

バイトから社員へ。

「接客が何より楽しかったですね。お客さんといっしょに楽しむっていうのが、『楽』ですから。ただ、給料は半分くらいになっちゃいましたし、よくやったと思います」。
「楽」では、接客だけではなく、調理も学んだ。それ以外にも、「経営的な数字も自然と修得できる」という。だから、独立するちからが数年で育つ。
「社員になったのは、『楽』でいちばん信頼していた先輩の店に異動した時ですから、私が23歳の時ですね。新店、立ち上げの時です。じつは、その先輩には辞めることを話していましたから、『どうせ辞めるんだったら、最初だけ手伝ってよ』って誘われたんです。ええ、まんまと騙されて、社員になります/笑」。
「ただ、立ち上げは初めてです。だんだんお客さんがついていく。そんな様子を観ているのは、最高でした。最初から爆発したわけじゃなく、だんだんお客さんとのコミュニケーションも深まって、そうやって常連さんが1人、また1人と。それがとても新鮮でしたね」。
飲食経営の楽しみとだいご味。経営のノウハウと同時に、小嶋氏は、そうした飲食ビジネスのもっとも重要な部分をを経験する。

下を育てるのが、独立の準備の一つ。

「26歳になって、もう一度、辞めようかなって思うんです。ただ、26歳で店長にも昇格して、それで腹を決めて馬車馬のように仕事をしました。だって、負けたくないし、期待にも応えたいでしょ。だから、売上を上げたい一心で頑張りました」。
月商のアベレージがすぐに引き上がった。しかも、アップ率150%。「800万円だったのが、1200万円以上になりました。店長で売上はかわるのか、ですか? かわります。とくに、『楽』は人対人ですからね。それだけお客さんは、我々のこともみてくださっているということですよね」。
もちろん、「楽」での経験はいまも小嶋氏の背骨を貫いている。
「私が独立したのは34歳の時です。だんだん、独立っていう時期が、わかってくるんです。だから、独立してもいいように下を育てます。もちろん、私もそうしました」。
「いっしょに」とねがうスタッフもいたが、「楽」からは、1人として連れていかない。小嶋氏の矜持だった。「いつまでもいい関係にいたいでしょ。15年くらいはたらいた会社なんだから」。

人が集い、笑う店、誕生。

そして、小島氏は冒頭でも書いたコジマ笑店を設立する。コジマ笑店、「笑店」の二文字がユニークだ。
「1号店は、小箱です。こちらがうまくいって2号店は得意の大箱で勝負します。うちは、料理も、接客もそうですが、素材も自慢です。だいたいが土佐からなんです。ある人と知り合い、土佐にネットワークが広がったんです。鰹のたたきはもちろんですが、野菜も、調味料もそうなんです」。
これは、大箱だからできることだという。
「土佐の人もうちのために頑張って魚を獲ったり、野菜を収穫してくれたりしています。だから、いっしょに大きくしていきたいんですよね。大箱ならできるでしょ」。
小嶋氏は、何かを狙っているわけではない。いっしょに大きくなる。だからと言って、相手に何かを期待するような人でもない。それが、多くの人が小嶋氏に魅了される理由ではないか。
ちなみに、コジマ笑店には東京から遥か離れた青森県八戸市にぽつんと1軒だけ系列の店がある。「炉端酒場 八戸だぃつ」である。
どうしてですか? と質問すると次のような回答だった。
「八戸出身の子が、帰らなければいけなくなったから。独立も志していたような子なんで、だったら、うちで店をだすから、それをやればいいじゃないかってことになって。うまくいけば買い取ればいいんだしね」。
まったくもって、相乗効果はない。それでも、小嶋氏はためらわない。そういう人である。
そういえば、昔からそうだった。給料が入れば、その夜に半分はなくなった。みんなが笑っている、それが大好きな人なのだ。
だからだろうか。コジマ笑店のコンセプトは「笑」の一文字。今日もまた人々の笑い声に包まれる。

思い出のアルバム
 

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