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第751回 株式会社クリスプ 代表取締役社長 宮野浩史氏
update 19/10/23
株式会社クリスプ
宮野浩史氏
株式会社クリスプ 代表取締役社長 宮野浩史氏
生年月日 1981年12月20日
プロフィール アメリカの高校を卒業し、「アメリカの父」というホームステイ先の主人と、一つのビジネスを開始する。ビジネスの面白味を知り、帰国後は、タリーズコーヒージャパンに入社。ビジネスを修得し、いったんメキシコ料理の店を出店するが、その時は、投資家にあとを託し、再度、起業をめざす。そうして、つくったのが、超人気のクリスプ・サラダワークス。サラダ専門店だが、男性客も少なくない、という。
主な業態 「CRISP SALAD WORKS」
企業HP https://www.crisp.co.jp/
サラダは、からだにいい。彩りもいい。ただ、ちょっと、意味なく食べたいとは思わない。たとえば、どうしてサラダだけしか食べないの?と聞かれたら、ダイエットのためとか、なぜか言い訳がならぶ。
だが、今回、宮野氏をインタビューさせていただいて、それが思い込みということがわかった。サラダは、旨い。意味なく、食べてもいいんだ。なにか聞かれれば、「だって、食べたいから」。それが正解。
では、いまマスコミでも話題の「クリスプ・サラダワークス」を展開する、株式会社クリスプの宮野氏にご登場いただこう。

15歳。学校がつまらないと退学する。

「私は1981年12月20日生まれです。ごく普通の家庭で、ごく普通に育ちます。ただ、他人と異なるといえば、高校1年で学校を辞めてしまったことでしょうか」。
高校1年で?
「高校1年の夏ですから、15歳です。志望校じゃなかったというのもあるんですが、ただ、つまらなくなったというのが正解だと思います」。
それから、どうしたんですか?
「中卒の人には、申し訳ないいいかたですが、親からさすがに中卒はまずいだろうと。父の知り合いが、ロサンゼルスにいたので、『そちらでやっかいになって、アメリカのスクールに行きなさい』と。その知り合いは、中国系のアメリカ人です。この方と出会ったことが、いまにつながるんですが、それはもう少し先の話ですね」。

渡米。ホストファミリーと、ストレスと。

「そういうわけで、アメリカ生活がスタートします。最初は、けっこうなストレスでした。やさしくしてもらっても知らない人といっしょに暮らすわけですし、言葉もわからない。学校も、さすがにすぐにはなじめなかったですね」。 そりゃそうだろう。
「ただ、少しずつ会話ができるようになると、日本の教育って向こうより進んでいるんですね、とくに数学とか。それもあって、『頭のいい日本人が来た』って話題になるんです。日本じゃ、言われたことがないから、勉強も少しだけ好きになりました/笑」。
生活をサポートしてくれたのは、お世話になったホストファミリーの主人、「アメリカのお父さん」である。
「彼は日本語もできるし、もちろん中国語も。英語もできるので、貿易とか、アメリカに進出する企業のサポートなどを行っていました。そのなかに面白いのがありまして。日本でも時々みかけますが、天津甘栗です。あれをアメリカで流行らせようという企業があったんです。私も、週末には売り場で、販売をサポートしました。もちろん、その時は、高校を卒業して、天津甘栗の仕事をするとは思ってもいませんでしたが」。

天津甘栗の教え。

「1日に3000〜4000ドルをセールスしたことがある」と宮野氏はいう。円にして、40万円程度。「卒業のタイミングで、たまたま天津甘栗の会社が撤退してしまったんです。そこで、向こうのお父さんがパートナーとして、いっしょにやらないか、と」。 Fifty・Fifty? 「そうです。彼は、出資はしますが、実務はしない。ただし、やり方を教えるだから、イーブンなんだと」。ロス、サンフランシスコ、サンディエゴ…、スーパーの軒を借り、セールスする。
「その時の原体験が、私の一つの指針になるんです。というのは、天津甘栗はおいしいけど、日本ではそう買わないじゃないですか。でも、向こうだと、みんなが買うんです。日本では買わない日本人だって買います。それをみて、『そうなんだ!』って。ロケーションがかわれば、ものごとはかわるんだって、思ったんです」。
「私は、のちに日本で、テックスメックスの店もだしますが、あれも、同様ですね。アメリカではふつうに食べられているけど、日本だったらどうだろうって。それが、やっぱりヒットします。天津甘栗が教えてくれたことなんです」。
じつは、英語の先生にでもなろうか、って思っていたらしい。そうしたら、向こうのお父さんが一言、「やめとけ!」と。ビジネスの才能を見抜かれていたんだろうか。

帰国、そして、タリーズへ。

「シカゴにアイスクリームショップを開いたり、事業は好調でしたが、突然、向こうのお父さんが亡くなられてしまうんです。それで、一時、帰国します」。
天津甘栗を総括すると?
「だいたいの事に尺度をもたないようにしています。だから、成功だったとは思いますが、大成功だったのか、どうかはまったくわかりません。私自身、いい給料だったと思いますが、どこにいったんでしょうね、あれは/笑。ただ、私自身、なにか特別なことをしたわけではないので、かりに給料が少なかったとしても文句はいえませんね。儲かったのは、ただただ、栗のおかげですから」。
「だから、達成感も薄いですし、自信ができたわけでもない。ただ、じつは、もともとサラリーマンになりたかったんです。そのために、コンプレックスもあったから、大学に行こうかなと、思ったりもして」。
「けっきょく、天津甘栗は3年くらいです。帰国したのは、ビザの更新が難しくなった時期でしたし、いったん帰ろうと。もっとも一時のつもりが、いまのところずっと日本です」。
「帰国して、就職したのは、タリーズです。じつは、アメリカにいたときにタリーズの話を聞いていたんです。スペシャリティーなコーヒーでヒットしている店があると。そうか、それを今度はアメリカで、なんて思っていたんです。幸い、合格させていただいて。まだ、松田さんが社長をされていた時です。店舗数は200くらいだったかな。タリーズでは5年弱勤務します」。
社長の松田氏にも目をかけられる。「社員になれば、社長宛にメールができるんですが、しょっちゅうメールを送っていましたから/笑」。
タリーズがクーツグリーンティをリリースした時には、松田氏の直轄メンバーとして、仕事をする。「ぜんぶで、15店舗ほど出店しました。シアトルにも出店します。ただ、最初はなかなか赤字から抜け出せない。責任者も、定まらない。1年くらい経った時に、松田さんから『おまえがやれ』と。当時まだ25歳だったと思いますが、その年齢で、事業責任者は、異例の抜擢だと思います。もちろん、いい経験になりました。カリスマの下で仕事をしたことも含めて」。

タリーズ後。

勤務して5年弱で、タリーズを離れた宮野氏は、今度は、投資家から資本を獲得し、テックス・メックス料理などメキシカンなブランドをリリースする。
「ファストカジュアルのようなショップです。4年やり、今は譲渡してしまいましたが、4店舗を出店します。いまも、六本木や麻布十番などで営業されていますよ」。
クリスプを起業したのは、そのあとですか?
「2014年です。天津甘栗の教え通り、アメリカで当たり前の、サラダ料理のスタイルを日本に輸入します。それがクリスプ・サラダワークスです」。
2019年7月、現在、サラダ9店舗、新ブランドのピザが1店舗となっている。「今年も直営で5店舗の出店を計画しています。今公表できるのは、日本橋のコレド室町テラスですかね。業績は、おかげさまで好調がつづいています。最初はもちろん、私1人だったんですが、ブームになって予想の何倍もの売上です。いまは、マックスから少し落ちて落ち着いていますが、それでも、ぜんぜん、好調と言っていい領域ですね」。
ところで、サラダって、ホントに食事になるんだろうか? ベジタリアンは、そうだとしても。

カロリーも、ダイエットも謳わないサラダ専門店。

なるらしい。これは、ちかくの女子に聞いた話だが、サラダだけで充分なんだそう。つい、つよがっていない?と聞いてみたが、そうではないようだ。
そんな話を、仕掛け人でもあるご本人に投げかけてみると、「おそらく、ちゃんと、ランチならランチとしてカウントしていただけると思います。それだけのボリュームはありますよ」と笑いで返された。
「日本の食文化というのも、ずいぶん進化していると思うんです。これには、ネットやSNSの影響も当然、あるわけですが。ただ、いままでは、『これがいいよ』と教えられて、『そうか』というのが、少しずつ、それぞれが『私の好き』を探すような時代になっていると思うんです。クリスプ・サラダワークスは、そういうことにも対応できていると思うんです」。
いわゆるカスタマイズですね?
「そうです。ジブンでつくる感覚ですね。それを楽しんでもらおうと。ただ、それだけではないんです。たとえば、給料日に、なにかおいしいものを食べに行こうとした時に、クリスプで食べようって。サラダを、うなぎとか、とんかつとか、そういう選択肢の一つになればいいなと。それを目指しています」。
たしかに、クリスプは、カロリーもダイエットも謳っていない。そもそも、サラダは、食べたい料理の一つであるべきなのだ。
「もちろん、からだにいいですよね。でも、それだけでサラダをチョイスするのは、もったいないと思うんです。旨いからサラダを食べるでいいんじゃないかと、その結果、カロリーも低くて、ダイエットにもいい/笑」。

テーマは、インパクト。

「これから、うちは、ピザもやっていくんですが、サラダの時とおなじで、コンセプトは、『いいレストランでしか食べられないものを、もっとカジュアルに、もっとジブンでみつけていこうよ』です」。
「日本人は、そういう意味で、もっと自由になってもいいと思うんです。ビジネスも、そうかもしれませんね。売上の大小や、店舗数の大小に縛られなくていいのではないでしょうか。少なくとも私たちは、100人いらしても、そのうち5人がうちの熱狂的なファンならそれでいいと思っています。やりたいのは、そこなんです」。
サラダも、ピザも、その方法の一つということだろうか?
「私たちはある程度の店舗数は必要だと思っていますが、けっして規模をめざすつもりはないんです。世の中にどんなインパクトを与えられるか、これが、テーマです。サラダという食を見直す。これも、一つのインパクトなんです」。
たしかに、そうだ。ちかくに、店がない人は、ぜひ、一度ホームページを参照して欲しい。サラダが、旨い食になっている。
ところで、ある日、クリスプのスタッフ10人が、広尾にある、とある小学校に向かったという話を聞いた。1年生40人を対象に、サラダづくりと、ジブンでつくったサラダを食べるという体験イベントを行うためだ。
「ふだん、野菜はイヤって言っていた子が、ジブンでつくると食べるようになるんです/笑。お母さんから、『トマトが食べられるようになった』などの声も頂戴しています」。
これも、インパクトの一つだろう。
そのイベントに参加した1人の女の子が、こんなことを言っている。それが、宮野氏のいまの到達点という気がしたので、掲載する。
「わたし、大きくなったら、サラダ屋さんになりたいな」。

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