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第755回 株式会社ミナデイン 代表取締役 大久保伸隆氏
update 19/11/05
株式会社ミナデイン
大久保伸隆氏
株式会社ミナデイン 代表取締役 大久保伸隆氏
生年月日 1983年7月18日
プロフィール 千葉県市川市出身。駒沢大学卒。大手不動産会社に就職するも、1年で退職し、飲食業へ。エー・ピーカンパニーで11年勤務。カリスマ副社長として、マスコミにも度々取り上げられる。2018年6月、副社長を退任し、同年7月、株式会社ミナデインを設立する。
主な業態 「烏森珈琲」「烏森百薬」
企業HP https://minadein.com/

末っ子に、注がれる愛情。

「兄妹の愛情がすごかった」と大久保氏は笑う。姉と兄、計4人。大久保氏だけが、ポツンと歳が離れている。
「正直に言うとね。ちょっとほっといて欲しいなって思った時があるくらいです/笑」。
小学生の頃はサッカー、中学は帰宅部、高校でもう一度サッカーをはじめている。
ともかく、一番下の弟は、愛情いっぱいに育てられる。
「大学は、渋谷に近く、遊びにも苦労しないだろうって理由で『駒沢大学』に進みます。高校3年から、ボクシングも始めています」。
大学なかばまで、プロを目指していたそうだ。実際、ジムの関係者から「プロになれる」と太鼓判も押されていたという。「でも、だんだんビジネスに興味関心が移るんですね。だから、ここは就職だと。そうですね。あのままボクシングを続けていたら、どこまで行けるかわかりませんが、それなりにいい成績は残せていたんじゃないかなって思いますね」。
じつは長兄も、運動神経が良く、野球を続けていればプロにも行けたのではないかという。末っ子の贔屓目ではなく、大久保家の人は、だいたいが運動神経に恵まれていたようだ。

飲食と大久保氏をつなぐ決定打となった、その日の出来事。

ボクサーではなく、就職に舵をきった大久保氏は、「最初に内定をもらった」という理由で、とある大手不動産会社に就職している。
「その時には、すでに飲食に興味をもっていたんですが、すぐに飲食ではなく、いったん一般の会社に就職してみようと。だから、最初からずっとやっていくつもりはありませんでした」。
飲食に興味をもったのは、いつ頃?
「よくあるケースだと思うんですが、私も飲食に興味をもったのは大学時代のアルバイトです。『幸楽苑』さんや『マルバラーメン』さん、『しちりん』さんでもアルバイトをしました。どれもたのしかったですが、とくに『しちりん』さんですね」。
このしちりんで、初めて尊敬できる先輩にも出会った、と大久保氏。仕事の取り組み方から、遊びまで、全て教えてもらったそうだ。
そんな先輩が退職することになる。大久保氏も、就職が決まり、同じ日に店を辞めることになった。
その日、サプライズが起こる。
常連が次々とやってきて、その日はすぐに40席が埋まったそうだ。挨拶に立つと、花束を贈られ、名刺入れをもらったそう。頭を下げる大久保氏に、常連たちは、どんな言葉を投げかけたんだろうか。
「あの時ですね。心底、飲食って素晴らしいと思ったのは…」。この日の出来事を、飲食に入る決定打だったと大久保氏は語っている。

偶然の出会い。エー・ピーカンパニーと大久保氏と。

とはいえ、最初に就職したのは不動産会社だった。「結局在籍は、1年間だけなんですが/笑」。不動産といっても仲介などではなく、土地オーナーへの営業、会社の中でも一番ハードな部署だったらしい。
「1年間ですが、走りつづけたといっていいと思います。業績は同期で一番です。退職のきっかけは、1年目の2月ですね。ダイヤモンドダイニングの記事を読んで、飲食店の経営に興味がわくんです。もともと飲食はいいなと思っていましたからね」。
それで、退職?
「そうです。3月末には退職しています」。
「小さいベンチャー企業を10社ほど受けた」と、大久保氏。ある企業の採用担当者から、「グルメキャリー」という飲食専門の求人誌を読むように勧められた。そのなかに、エー・ピーカンパニーが載っていた。

エー・ピーカンパニー時代の幕開け。

「エー・ピーカンパニーには、第二新卒として入社します。それから11年間勤務します。取締役になったのは、2011年の27歳の時です」。
早い出世である。
「入社して、その7月に『わが家』葛西店の立ち上げに携わります。副店長を経て店長に就任。当時の上司は、今、『ギョウザ マニア』を経営されている天野さんです」。
大久保氏は、社長である米山氏はもちろん、この天野裕人氏にも影響を受けたと語っている。天野氏について補足すれば、エー・ピーカンパニーの黎明期から勤務され、中国進出統括部長や執行役員などを歴任されている。
「塚田農場がオープンしたのは、2008年です。八王子が1号店です。名刺のサービスや就職支援、アルバイトへの400円の権限移譲などは、私のアイデアです。そういう意味ではいくつかのことは、残せたかなと思います」。
控え目に語るが、大久保氏の業績は、エー・ピーカンパニー1社に留まらない。飲食店経営者には、「飲食店ができること」を再認識させ、アルバイトを育てるノウハウと戦略は、様々な企業の経営者にトレースされている。
ちなみに、大久保氏は31歳で副社長となり、様々なメディアで「カリスマ副社長」と語られるようにもなる。なかでもアルバイトに対する取り組みは高く評価され、「アルバイトをやる気にさせる」独自の経営モデルは「カンブリア宮殿」「ガイアの夜明け」といった有名なTVでも紹介されている。
話は違うが、私はいまだ「部長」止まりだ。部長まではスピーディーに駆け上がったが、最近、足が遠のいている。もちろん、こちらは名刺のサービスの話。私の周りにも部長級の人間が多い。まんまと、大久保氏の戦略にはまり、なおかつ、楽しませてもらっている連中だ。
我々が部長で立ち止まっている間に、大久保氏は、さっさと次のステージへと進んでいた。2018年6月、エー・ピーカンパニーを退職、同年7月にミナデインを設立し、社長に就任する。

独立、開業。「烏森百薬」、オープン。

大久保氏が独立し、新店をオープンするというニュースは、業界内外で注目を集めたに違いない。実際、様々なメディアで取り上げられている。
出店場所がまたいい。サラリーマンの聖地「新橋」。屋号は「烏森百薬」。
新橋を選んだ理由は?と質問すると、「この街が好きだから」というシンプルな回答だった。たしかに、この街の、雑然としていながらカオス的な表情には、隣町の銀座とはまた違った趣がある。
「うちの店があるのは、烏森神社の参道です」。
JR新橋駅、烏森口をでて広場を抜け、路地に入ると「烏森百薬」がある。シックな佇まいも「烏森」という響きに似合っている。
「今は新橋と、千葉県佐倉市のユーカリが丘で2店舗を運営しています。FCも3件決まっています」。
「烏森百薬」がカフェと居酒屋という2つの顔を持つのと同様に、この「里山transit」も、昼はファミレス、夜は居酒屋という2つの顔を持っている。二毛作といえばわかりよい。
「烏森百薬」にしろ。「里山transit」にしろ。大久保氏が打ち出す飲食店には明確なコンセプトがある。そのことをうかがうと、「お店の形態は出店する場所によって考えている」とのことである。
そういう意味では、最初に新橋を選択したもう一つの理由が浮かんできた。「新橋」という聖地でできること。それを、サラリーマンとOLたちと、そして愛すべき「のんべぇ」たちと、一緒に実現する。実際、大久保氏がオープンした「烏森百薬」には、面白い仕掛けが施されている。

今日もサラリーマンとのんべぇたちは、セレクトショップで、食と酒を堪能する。

「烏森百薬」に話を戻せば、食のセレクトショップなんだそう。最初は「セレクトショップ」と聞いてどういうことなんだろうと思ったが、詳しく聞いてなるほどと合点がいった。
「メニューのうち、うちが作っているのは、数点だけなんです。それ以外は、私がオススメのお店から仕入れています」。つまり、自前のモノが少ない。
「作業も効率的ですし、うちが頑張って作るより専門店が作ったモノのほうが旨い。それをセレクトして仕入れることで、いいサイクルが生まれます」。
もちろん、作り手が明記されているから、安心だし、仕入先の業績にも貢献している。エー・ピーカンパニーの六次産業的な発想とは異なるが、アプローチは似ていなくもない。
店の運営に関しては「少しだけ勝つこと」を意識しているという。定番の唐揚げや餃子にも、なんらかをプラスアルファするようにしている。それが少しだけ勝つことに繋がっているのだろう。
「料理のバリエーションもシレっと増やしている」といたずらっ子のように笑う。飲食の仕事が好きで仕方ないのだろう。

カリスマの新たな挑戦。

「今後は他の地域でも、ユーカリが丘のような取り組みをしていければと思っています」。旨いだけではない。おもてなし、だけでもない。従業員とお客様を巻き込んだ店づくりが、大久保氏の真骨頂だ。そして、実現したいのは、「地域のコミュニティデザイン」だ。
やはりカリスマはやることが、違う。違うことを簡単にやってしまう。これもカリスマの極意があるからだろう。
ちなみに、大久保氏は、次のようなことも語っている。
「独立の時、セレクトショップ的な発想は無かったんですが、今に続くビジョンはありました。2018年の6月に退任し、7月に会社を作り、9月にオープンするというショートスケジュールだったのでバタバタしましたが、とにかくやろうと思ったのは、『飲食業界の課題を解決する店舗作り』です」。
「というのも、エー・ピーカンパニーに在籍していた11年は、飲食業界の素晴らしさとともに、飲食業界の限界も感じた11年でもあったんです。もがいてももがいても、その先に限界がある。もう街づくりのレベルで戦うしかないというのが、私の一つの結論です。ユーカリが丘の里山では、まちづくり企業である山万株式会社というパートナーを得て、また、街で暮らす人たちと一緒になることで、私のビジョンを具現化することができました。これが、一つのモデルとなって広がっていければ、私が感じ続けた飲食の限界というのを超えられると思うんです」。
街と人と、異業種を含めた様々な企業とコラボレーションすることで、飲食の限界を超えることができる。つまり、大久保氏がやろうとしていることは、今の飲食の、その先を作ること。カリスマと謳われた大久保氏だからこそできる面白い挑戦だ。

思い出のアルバム
 
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