株式会社マニアプロデュース 代表取締役 天野裕人氏 | |
生年月日 | 1981年7月30日 |
プロフィール | 東京八王子出身。大学時代、好きで通っていたダーツ・バーでのアルバイトをきっかけに、エー・ピーカンパニーに就職。11年在籍し、役員にも昇格。中国担当となり、中国進出の足場を固めたあと、2016年12月に同社を退職。2017年4月創業店である「GYOZAMANIA 西荻窪本店」をオープンする。 |
主な業態 | 「GYOZAMANIA」「小籠包マニア」「小龍包と餃子 粉オヤジ」 |
企業HP | https://musakonogyouza.owst.jp/ |
平日でもなかなか予約が取れないそうだ。2017年、誕生した「GYOZAMANIA」のこと。「ミシュランガイド東京2019」では、ビブグルマンにも選ばれている。この「GYOZAMANIA」の創業者が、今回ご登場いただいたマニアプロデュースの天野裕人氏。天野氏といえば、エー・ピーカンパニーで役員になり、同社をリードしてきたことでも知られている。
「私は1981年、東京都八王子市に生まれます。父親の転勤で、幼稚園の年長から埼玉に引っ越し、高校まで埼玉で暮らしました。高校は春日部東高校です」。
中・高は、陸上選手だったらしい。400メートルが主戦場だったそう。全国大会にも出場しているというからすごい。
とにかく、早い。
韋駄天がグラウンドを駆ける姿は、女子生徒だけではなく、高校の教師の目も引いたのだろう。高校進学時には「推薦」の話が来る。
「推薦で進学校に進み、そちらでももちろん陸上です」。
これが高校の話。大学生になって、親元を離れ1人、八王子に戻る。
「大学は教師になるつもりだったんで、日体大に進みます。埼玉からだとしんどいので、八王子にあった祖父宅に住み、通いました」。
エー・ピーカンパニーとの出会いは、その時?
「そうです。当時、ダーツBRAが流行っていまして。八王子のダーツBRAによく通っていたんです。好きが高じてってわけじゃないんですが、4年生になってから、そのダーツBRAでバイトを始めます。ハイ。そのBRAを経営していたのがエー・ピーカンパニーだったわけです」。
エー・ピーカンパニーの、まだまだ創業期の話である。
天野シフトっていうのがあったんですね?
「そういうとちょっとおおげさですが/笑」。なんでも、天野氏のシフトは週3日。ダーツBRAの人気が陰りがちになるなか、すすんで路上に立ったそうだ。
今でいう呼び込みですか?
「そうです。当時、八王子にはいなかったですね」。月にして100万円を売り上げたそう。月商が400万円くらいだったから、1/3を天野氏がキャッチしたことになる。
「だんだん、私のシフトの時には、食材を多めに仕入れたり、スタッフを多めに配置したりするようになって、それが天野シフトと呼ばれました」。
天性の力があるのだろう。いうならば、ダーツBRAで生まれたはじめての「天野神話」である。「私の話が耳に入ったんでしょうね。社長の米山さんがやってきます。それまでは時給だったんですが、米山さんとお話してから歩合に変わりました」。
天野氏は、修士である。つまり、院卒。
「大学院を卒業する時に、米山さんに『一緒に働こう』と誘っていただきます。当時ですか? まだ2〜3店舗で、社員数は10名くらいでした。親には、正直いうと猛反対されました。でも、米山さんの話を聞いて一緒にやりたいという思いが勝ちます。米山さんのようになるには、一緒にやるのが一番でしょ」。
米山氏に魅了される。
エー・ピーカンパニーというベンチャーに、天野氏が組み込まれることで、歯車がゴロリと音をたて回り始める。
天野氏のエー・ピーカンパニー在籍は、11年間に及ぶ。その間、「塚田農場」が生まれ、様々なサービスが脚光を浴び、同社は東証一部へと駆け上がっていく。国内だけではなく、海外にも進出。天野氏は、中国担当になる。
「2016年3月からですね。北京の『塚田農場』を担当します。当初は日本と同じメニューで勝負にでます。でましたが、受け入れられませんでした/笑」。
どうしてですか?
「たとえば、餃子です。日本では、鶏スープに餃子が入った『焚き餃子鍋』っていうのがヒットしていたんですね。ええ、お世辞抜きで旨かった。だから、オススメするんですが、クレームばかり。どうしてかというと、中国の人からするとむちゃくちゃ高かったんです」。
当時、屋台なら270円で25個くらいの餃子が食べられたそう。それに比べ、1000円する「焚き餃子鍋」の中に入っている餃子は5個だけ。「しかもね。中国の人って、日本の料理はしょっぱいらしくて、『スープがしょっぱくて飲めない』と言われてしまうんですね」。
この話は他でも聞いたことがある。食文化の違いという奴だろう。
「それで、すぐにそのメニューは中止した。最終的な決断をしたのは、米山社長だが、シンガポールで評価が高かった『美人鍋』をメインにして、サンフランシスコで運営していたラーメン店のラーメンを導入して。そうそれで、軌道に乗り始めます」。
売り上げアップの要因としてメニューもあるが、もう一つの要因は口コミだ。
中国人は中国の店を信用していないらしい。本当に客が入っているかや口コミサイトをよく見て決めるそうだ。
当時、まがい物が多い日本料理屋に本物の日本人がいると口コミで話題になっていた。中国では一日平均7件食べログのようなサイトで口コミが入る。その口コミのほとんどにサービスのいい日本人がいると書いてあり、それを見た中国人がたくさん来店した。
中国ではお金を払うと嘘の口コミがかけるそうだが、サービスがいい日本人がいるという嘘の口コミは、他の店は書き込めないので信頼性が高い口コミと判断された。
「日本でお客さんにモテた事はありませんが、中国ではジャニーズのような扱いを受け、一緒に写真を撮ってくれとか、メールの番号教えてとか、男女関係なく人気でした/笑」。
課題の明確化と改善、そして、スピーディーな決断。まさに、天野氏ならではの経営手腕だ。その結果、700万円だった月商が2000万円にはねあがる。これはもう一つの天野神話。しかし、この時、もう一つの神話がはじまろうとしていた。
「北京では当然ですが、日本と同じようにはいきません。すべてイチからです」。
それは、大変でしたね?
「そう、大変だったんですが、それが逆に楽しくて。日本にいると、もういろんな部署があって、業務も細分化されているわけです。それは、それでいいし、効率的なんですがね」。
入社した頃を思い出したそうだ。まだ、社員は10名程度。熱意はあっても、金はない頃のこと。
「そりゃ、イチからですからね。資金もバンバンというわけにはいかないし。だから工夫しなくっちゃいけないんですが、その工夫が面白い」。
いうならばPDCAなんだろう。プランを立て、実行して、検証して、改善する。面白くないわけがない。「それで、もう一度、チャレンジしてみたくなったんです」。
独立ですか?
「そうです。その時、頭に浮かんだのが、最初に中国で苦労させられた餃子です。だって、日本の餃子をもってきて敵わなかったんですからね。逆に言えば、それだけ、中国の餃子には力があるってことでしょ」。
たしかに、そうだ。決断すれば、なんだって早い。
「向こうで住んでいたマンションの下が飲食店があったのですが、ボロボロの屋台の餃子屋がありました。電気は電線からとり、ベニヤ板のうえで餃子を作ってました。その店をやっていた女性に餃子の皮づくりから教わります。本場ですからね。やっぱり違う」。
独立したのは35歳の時。
「米山さんには止めていただきました。『子会社でやれば』というお話もいただいたんですが、お断りしました。だって、子会社だとやっぱりリスクがないんです。もう一度、リスクと向き合い、ヒリヒリしながらやってみたかったんです」。
つけた社名が、株式会社マニアプロデュース。そして、店名が「GYOZAMANIA 西荻窪本店」。「マニア」が指すものとはなんだろう?
テーマは「敢えて手間暇をかけること」だと天野氏はいう。
たしかに、「GYOZAMANIA」の餃子は手間暇がかかっている。一つひとつ手づくりというのはもちろん、つくり置きもしない。とくに餃子は注文を受けてから、皮からつくるというシステムで、これも人気の秘密となっている。
手間暇かける理由は、格段に旨いからだろう。それにしても、創業店の立地はいいとはいえない。どうして、ここを選んだのか?
「そうなんです。これも言ったら敢えてなんです。ここはもともと何をオープンしても半年もたないと言われていたんです。言ったら鬼門ですね。でも、私は、難しい立地だから高められる価値があると思ったんです」。
なるほど、難しければ難しいほど、真価が明らかになるということか。
ともかく、創業店オープンが、2017年4月のこと。業績はいうまでもない。悪条件だったことを考慮しなくても、上出来。しかし、「あの天野が仕掛ける」ということで、プレッシャーはなかったのだろうか。
「プレッシャーというより、楽しみですね。とにかく、年3店舗っていう目標を掲げて、スタートします」。
創業店オープンから4ヵ月。天野氏は、仕掛ける。「品川駅前ですね。古巣の『塚田農場』もあるフロアです」。こちらが、2号店目。翌年5月には、武蔵小杉に3店舗目をオープンしている。
2019年9月現在は5店舗あり、うち1店がFCだという。
「ほかに、今FCは2つ決まっています。直営店は都心で、FCは地方でというスタイルでやっていきます」。
FCと言っても店名は異なるそうだ。
「同じ店名だと、リスクもあると思うんです。だから、店名も違ったものにする。これも、リスクヘッジの一つですね」。
「GYOZAMANIA」以外にも、2018年10月には、東京・神田に小籠包の「小籠包マニア」をオープン。新たなブランドでも、勝負を開始している。
言葉は悪いかもしれないが、食をマニア化することを考えてみた。マニア化とは、妥協することなく、高い品質のものをつくりあげるということだ。演出も、もちろん、その一つに含まれる。ただ、そうすれば、当然、価格は上がる。料亭の和食やホテルのフレンチなども、いうならマニア化した結果だといえなくもない。しかし、それが餃子や小籠包なら話が違う。いくら、こだわっても、そう高くはならない。実際、中国の餃子は、日本より安くて旨かった。そういったことが天野氏の原体験として、今を生みだしているのではないか。
食をマニア化する。
たしかに、マニア化した、つまり、こだわり、手間暇をかけた、安くても、旨い料理は魅力的だ。大衆が喜ぶ。それが、マニア化の向こうにあればいい。餃子マニア、小籠包マニア、まだまだ違ったカテゴリーも生まれるに違いない。消費者として、楽しみにしておこう。
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