株式会社キャンドゥ 代表取締役 宮島 健氏 | |
生年月日 | 1968年9月18日 |
プロフィール | 大学中退。欧州の高級自動車などを販売。富裕層たちに刺激され、起業を志す。オークションの代行事業を起業するが軌道に乗らず、2012年5月、改めてオーナーとして飲食デビューを果たす。同年12月21日、「やたいや」一号店を出店。 |
主な業態 | 「やたいや」「えにしや」 |
企業HP | https://yataiya.jp/ |
「みやちゃん」こと、宮島氏が生まれたのは1968年9月18日。
親父は学者で、とにかく厳しい人だったそう。
「得体が知れないっていうか。キャッチボールをしてもらったことがないし、旅行にもいっしょに行った記憶がない/笑。ただ、厳しかったこともあるんでしょうが、子どもの頃は、そういう親父を意識していたように思います」。
お酒もたしなまれない、マジメな人だったそうだ。ただ、かわった一面もある。「ふつうの親は『はよ、寝なさい』でしょ。うちはちがうんです。『1日は24時間しかないんやから、寝たらあかん 24時間を有効に使うには睡眠時間を削れ』です」。
父親は学者だが、息子の宮島氏は勉強がキライ。小学校の頃は双子の姉が、仕方なく2人分の宿題をやっていたそうだ。「勉強もしませんが、スポーツもしてない。なにしてたんやろね?」。
「そうそう」と言って話はじめたのが、釣りの話。
「中学2年の頃から、バス釣りにハマるんです。ともだち何人かといっしょにね。いや、海とかじゃなくて、ちかくの川や池です。親父に24時間の話をされたのも、この時です。『それだけ釣りが好きなんやったら、学校行くまでの時間に釣りに行け』って」。
この釣りの話は、いまも日常の話。つまり、進行形。
「そうなんです。その時の仲間とは、今もいっしょに釣りに行ったりしています。先日も、みんなで釣りの帰りに飯を食いに行きました。ま、そういう意味では、こういう仲間ができたのが、最大の釣果だったかもしれませんね」。
それ以外に、部活とかは?
「ぜんぜんですね。高校も三流だし、禁止されていたバイクに夢中でした。だいたい大学にも進学するかどうか迷っていたくらいですから、進んだ大学も当然三流でこの時は車に夢中でした」。
もっとも専攻は、法学部。なにか野心はあったんだろうか? たとえば弁護士とか。
「いやぁ、そういうのは、ぜんぜんないです。大学にもまったく行ってないですから。大学時代、といっても3年で卒業しちゃうわけですが、あの時は釣具屋のバイトで明け暮れていました」。
週6日、勤務。釣りファンとの会話も楽しい。
「働くことが楽しくなって大学を辞めちゃうんですが、その釣具屋さんには就職しなかったです。本社の専務から『どうだ?』って言ってはもらったんですが。釣りってダサイじゃないですか…(笑)。それで大学を辞めて、カーディーラーの世界へ進むんです」。
理由は「BMW」って響きが恰好よかったからだそう。
「当時、好きだったのは釣りと車。釣具屋さんは経験済やからね、次は車やと。BMWのディーラーに就職します。私が21やから1989年のことです。当時は、バブルでしょ。1000万円以上の輸入車もバンバン売れた時代です。そのなか、格好いい車だったんです」。
成績はどうでしたか?
「そやねぇ。こちらには8年勤めるですが、パッとはせんかったですね。でも、トラブルはいちばん少なかったんちゃうかな」。
話を聞いていると、客のために仕事をセーブしているようにも聞こえた。
「そうですね。営業ですから、数は大事です。1台売れたらコミッションも入るわけですからね。でも、どういうんでしょ。きれいごとと思われるかもしれませんが、私は、お客さんが喜んではるのを観るのが、いちばんのたのしみやったんです」。
「だから、いつも値引きは交渉される前からマックス」だったと笑う。
「フォローもちゃんとやりましたね。数が多くなると、フォローもできないから。そう、そういう意味では、たしかにセーブしていました。でも、おかげさんで、紹介とかはいちばん多かったですよ」。
なんとなく、宮島氏の性格が浮かび上がる話だ。
「そこを辞めてからはレンタルビデオ店で店長をしたり、と、いろいろと経験します。転機は『ランボルギーニ』のディーラーで仕事をしていた時ですね。怒られてしまいそうですが、客層が違うんです。『BMW』と『ランボルギーニ』やと」。
どういうことだろう?
「片や1500万円くらいでしょ、高くても。でも、片や安いのが3000万円で高いのは6000万円です。そりゃ、ちがいますよね。6000万円の車を買うようなお客さんは、正直、人がちがうんです」。
大金持ち?
「う〜ん。そういうお金の話やないんですね。ぜんぜん偉そうにしないし、こっちを見下したりもしない。みなさん、心から『ありがとう』って。人ができているっていうか、もう断然、恰好いいんです」。
そんなお客さんから、独立を勧められた?
「そうなんです。『ここにいたら、毎日、ランボルギーニに乗れるけど一生買われへん。男の子やったら、勝負したらどう?』とかね。そんな時、運命の人に会うんです。大阪市内で居酒屋を運営されている会社の齋藤浩継さんです。ええ、お客さんの1人でした」。
齋藤さんに刺激され、起業されたんですね?
「もっとも、この時は飲食ではなくって、オークションの代行業で起業します。古物商の免許も取ったし、けっこう真剣ですね。でも、リーマン・ショックになって、にっちもさっちもいかなくなるんです」。
いったん相場がくずれると、走り回っても利益がでない。だから、早朝から、そう、まるで、父親の言いつけを守るようにはたらいた。バイト先は、中央卸売市場、時給1000円。
「そうですね。もう、格好いいとかそんなことは言ってられません」。ただし、宮島氏は何をやってもちがう。この時知り合った業者とは今も付き合いがあり、米も、魚も、仕入れているらしい。魚の仕入れ額は、年間だが、当時のランボルギーニの安い方とおなじ3000万円。
「その時、もうあかんと、齋藤さんに相談するんです。そうしたら、『うちの居酒屋をやれ』っていわはるんです。京都伏見です。『100席の大型店やから、お金をこれだけ用意しろ』と。だから、私がオーナーといえば、オーナーだったんですが『運営はぜんぶやったる』と言われたんで、お金以外、オーナーらしいことは何にもしていません。皿洗いとかはしましたが」。
それで、時給850円のバイトだったんですね?
「そう。もう、40以上だったんですが、飲食の経験なんて、ぜんぜんなかったから。オープンしたのは、2012年の5月です」。
どうでしたか?
「あのね。飲食を舐めてました。初月から月商1500万円くらいいったんですね。オーナーだから計算するやないですか。食材費と人件費、家賃と水道光熱費…、ぜんぶひいていったら、もうびっくりです。これだけ残るんやん!と」。
目が丸くなる。
「そりゃいくら学がないいうてもね。私でも計算くらいできるんです。で、学も、常識もないもんやから、齋藤さんが送り込んでくれた料理長と店長にね。『みんなで独立しよや』って唆すんですね。アホな悪魔のささやきですね。でも、2人とも承諾してくれて、その年の12月21日に『やたいや』1号店がオープンするんです」。
齋藤氏からは「早い、早すぎる」と言われたそうだ。
そりゃ、そうだろう。
「でも、ええとこしか知らんでしょ。飲食、最高って思っているから、とにかく、はよだしたくてウズウズしていたんです。そこは、たまたま、空きがでて」。
それで12月にオープン?
「そうです。言いだしてから3ヵ月くらいかかりました。たまたま、空きがでて、ええ、とびつきました。その時の、齋藤さんですか? 私が、不義理を言いだすわけですが、齋藤さんは、そういうことについてはなんも言わん人なんです。でも『これからは、邪魔をせぇへんかわりに、助けもせぇへん』っていわれてしまいます」。
「ええ、大事な師匠が、師匠でなくなってしまったと思ったのは、この時。だから、もう一度、認めてもらえるように頑張らなあかん、と」。
「おかげさまで」と宮島氏はいう。
「一旦、縁の切れた師匠ですが師匠個人に僅かな額ですが『顧問料』を振り込んでいたんです。そうしたら数か月経った時に師匠から『見慣れない会社から振り込みがあった。お金を貰った以上、それに応えるのがプロだ!』と電話を頂き、また、師匠になってもらえたんです」。
起業から10年経った今、10店舗を展開し、20店舗を目標にするまでになっている。
「最初は、3店舗くらいでええやんと思っていたんです。でも、齋藤さんに怒られてしまうんですね。たしか3店舗目を出店するかどうかの時です。『お前はいいけど、社員はどうすんねん』って」。
たしかに、そういう話はよく聞く。
「いうてはることはわかるでしょ。『3店舗では少ない』ってことだから、『5店舗』っていいかけたんですが、『3を5にって中途半端やな』と思って、思い切って『10店舗』っていうたら、『それを、いつまでにするんや?』ってたたみかけてくるんです/笑。それで、キリがいい『50歳までに』っていうわけです。いうたら、約束です」。
その約束が果たせたわけですね?
「ええ、おかげさまで。アルバイトを含めて、みんながちからを合わせてくれたから。この10月(2019年10月)から体制も刷新して、目標も新たに設けました」。
新たな約束ですね?
「そうです。今度は、うちのスタッフみんなとのね」。
ところで「飲食業は難しい」というのが一般的な話だが、宮島氏の言い分は異なる。
「たしかに、難しい。それは、事実です。ただ、うちだって、そうたいしたことはやっていません。すごい料理をだすわけじゃないし。特別、安いわけじゃない。でも、毎日、お客さんがたくさん来てくれはります。なんでやと思います?」
ハテ?と首をふる。
「答えは、かたちがないことなんです。かたちがあれば、みんな簡単に真似できるんですけどね。ただ、少しいえば。うちの刺身のお皿は、冷たいです。冷たいものは、冷たいようにだす。こういう当たり前の積み重ねなんやと、私は思っています」。
「うちは、ホラ」といって、昭和のにおいがプンプンする店内を見渡す。
「お客さんっていうのは、口にせんでも査定したはるんです。『これで1000円か。あかんな』とか、『え、これが1000円。めちゃええやん』ってね。経験あるでしょ?」。
「うんうん」と首を縦にふる。
「それが、大事なんです。流行っている店ってどこでも、そうです。また、スタッフが元気です。そして、さっき言ったように、熱いものは熱いうちに、冷たいのは、冷たくして。もう一つ、『お店は、キレイに』ですね。いうなら、お客さんのために、どれだけ心を配るか。私らが儲ける方法は、いうたら、それだけとちゃいますか」。
そういう意味で、「特別、難しくない」というのが宮島氏の持論なのだろう。しかし、実際には、そういうことが、いちばん難しいことを宮島氏は知っている。
約束。そう、1人の人間との約束を守ることも。
「ある時、師匠に聞いたんです。『何で、うちの店をやれっていうてくれたんですか?』って。そしたら『お前は金だけのために仕事をする奴やないと思ったからや』っていうんですね。そして、もう一言。『だから、俺はお前にバトンを渡したんや』って。あの、一言にはびっくりしました」。
師匠からのバトン。戸惑いますね?
「しかも、このあとね。『バトンは落としたらあかんし、いつまでも、もっていたらあかん。だれかに渡さな、バトンやないからな』って、言われたんですね。もう、ごっついプレッシャーです」。
こちらの約束も、じつはもう果たしている。いや、果たしている最中か。いうならば、進行形だ。ただし、バトンは、間違いなく、多くの若者に渡っている。
みんなで次の目標を決めたのも、その一つの証だろう。
「今日取材を受けて、改めて思ったんですが、私って、BMWのセールスマンだった時から、人のことが、いちばんやったんですね。ジブンのためやとぜんぜんちからがでぇへんのに、人のため、お客さんのためやったらがんばれる。そういうタイプなんでしょうね」。
師匠の齋藤さんは、それを見抜いていた?
「そうでしょうね。間違いないですね/笑。だって、なにより師匠が僕の何倍もそういう人間ですから!」。
バトン。
じつは齋藤氏も、このバトンを先輩から渡されたという。
これから、このバトンは、どれだけの人に、どれだけ未来に、リレーされていくのだろう。ひょっとすれば、このリレーこそ、ビジネスの本質かもしれない。今回もいい話を伺った。20店舗になった時、バトンの行方も含め、もう一度、話を聞きたいと思った。
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