千房ホールディングス株式会社 代表取締役 中井貫二氏 | |
生年月日 | 1976年4月20日 |
プロフィール | 3人兄弟の末っ子。慶応義塾大学卒。野村證券で14年間勤務したあと、2代目社長の長兄の急逝にともない、2013年、「千房」に入社。社内の改革を推し進め、45周年となった2018年に正式に社長に就任する。 |
主な業態 | 「千房」「ぷれじでんと千房」「千房Elegance」 |
企業HP | http://www.chibo.com/ |
今回は「ぷれじでんと千房」などで有名な千房ホールディングス株式会社の2代目社長、中井貫二氏に話をうかがった。ちなみに「千房」といえば、お好み焼にうるさい関西人なら、だれもが知っている。創業は1973年、難波千日前にオープン。父親であり、現会長の中井政嗣氏が、創業者である。
「私は3人兄弟の三男です。長男は7つ上、次男は5つ上です。この2人は店の片隅のダンボールの中で育てられたそうですが、私は、ごくふつうに育てられました。心斎橋に2号店をオープンしたあとで、事業もうまくいっていた頃です。母親ももう専業主婦でしたし/笑」。
子供の頃、「ゴットファーザー」のような兄弟だった。長男は、ヤンチャで人気者。次男は、大人しく、三男の中井氏は、とにかく要領が良かった。
お父さんはどうでしたか?
「父ですか? 父は365日会社です。いっしょに遊んだ記憶も、旅行に行った思い出もほとんどない。そういう意味では、ふつうの家族とはちょっと違いますね」。
子どもの頃から、勉強が大好きだったそう。成績も、常に上位でした。大学は京都大学を目指していたというから察しがつく。2度、受験し、慶應義塾大学に進む。「中・高は男子校です。高校ではサッカーをしていました。大学ではアメフトです」。
慶應義塾大学のアメリカンフットボール部。企業の採用担当者ならどこでも欲しがる人材だ。もっとも超氷河期だったそう。「そうですね。かなり厳しい環境だったと思います。そのなかでも私はいろんな意味で、いちばん厳しい野村證券に就職しました」。
野村證券は、いうまでもなく日本を代表する証券会社だ。とはいえ、社内での競争は猛烈だったはず。証券会社の守備範囲は広い。
「私は、野村證券の新宿野村ビル支店に配属されます。こちらで、徐々に上位に位置するようになりました。もっとも仕事ができると私自身が思うようになったのは3年目くらいでしょうか」。
入社式で、中井氏は、新卒者の代表に選ばれている。
最初から期待の大型新人だったわけだ。
「じつは、組合の議長も務めています。野村證券で勤務したのは14年です」。25歳の時に、2歳上の先輩とめでたくゴールインしている。
「辞めようと思ったこともなかったし、実際、辞めるつもりもなかった」という。
「千房に転職したのは、6年前です。もともと長男が2代目社長予定だったんですが、急逝してしまいます。その跡を継ぎます。野村證券は、さっきも言ったようにぜんぜん辞めるつもりではなかったんです。収入も半分くらいに下がりそうでしたし…」。
それでも、決断したのは何故ですか?
「昔から、父に『従業員のおかげで食べていけてるんやぞ』って話をずっと聞かされて育ってきたんです。だからだと思います。長兄がいなくなり、従業員が困っていると聞いて、『やらない』という選択肢は私のなかにはなかったんです」。
これが、中井氏、37歳の時の選択である。「理解してくれた家族にも感謝」といっている。「正式に社長になったのは、じつは去年で、45周年の時です」。
なんでもゼロリセットが、45周年のテーマだったようだ。「本社も移転しましたし、組織も変えました。ぜんぶ、ゼロリセットです」。
会長のOKはよくでましたね?
「もちろん、創業者の思いは絶対です。千房は、これはマスコミにも取り上げてもらっていますが、昔から過去不問です。受刑者も受け入れています。反対という幹部もいましたが、これは絶対続けていきます。そういう大事なことは守り続けたうえで、たとえば、評価制度や、給料制度などですね。そういう仕組みをチェンジしていきました。働き方改革も、いま猛烈に進めています」。
会長はなにか、言われましたか?
「会長に言われたのは、一言でした」。
「従業員が幸せになれるんやったら、それでいい」。創業者であり、会長の政嗣氏は、そうおっしゃったそうだ。なんと、強い言葉だろう。明確な思いが詰まっている。
従業員が幸せになれるかどうか。この尺度は、3代目、社長に託した宝物であり、羅針盤かもしれない。
「まだ、うちは上場していないんですが、会社は、パブリックでなければいけないと思っています。受刑者を受け入れているのは、その一つですし、従業員を尊重しようとしているのも、その表れです」。
エピソードを一つ。これは、中井氏が千房に入り、はじめての経営会議でのこと。
「上半期が赤字だったんですね。で、ボーナスゼロって話だったんです。『え、それは、ちがうでしょ』と」。
中井氏は、問いかける。
「従業員は、頑張ってないんですか?」
答えは「頑張っている」だった。「だったら赤字は、経営陣の責任だ。銀行からお金を借りてでも、ボーナスは払うべきだ」と言い放った。
まっすぐ。そんな性格である。しかし、いきなりの一言に、経営陣たちは驚いたことだろう。
「そりゃ、そうです。だって、従業員たちも薄々ゼロだろうなって思っていたくらいです。つまり、いつものことだったんですね/笑」。
型破り、異端児といえば父親の政嗣氏も負けてはいないが、息子の中井氏も、立派な型破りタイプだ。従業員には、そんな中井氏の思いは伝わったんだろうか?
「生産性を2倍にするのは、簡単じゃないですよね。新たな設備を入れても、そりゃ、無理です。でもね。人はちがう。モチベーションがあがれば、2倍、3倍…、10倍にも生産性があがる。もちろん、その逆もあるわけで。だから、経営っていうのは難しいんですが」。
たしかに、そう。いいと思っても、逆効果の時だってある。
「その時は、生産性をあげるというより、ふつうのことです。だって、頑張っているのに、ボーナスゼロはないでしょ。だから、私にすれば、ふつうの主張だったんです。でも、従業員たちもびっくりして。『ボーナスでるみたいやで』ってなって」。
「ゲンキン」という一言で、片づけてはいけないと思う。経営者の思いが伝わり、今までとはちがうという思いが従業員一人ひとりに芽生えたのではないか。いうならば、最初にできた、中井氏と従業員との「きずな」。
「それで下半期で、なんと上半期の落ち込みをカバーし、通年で予算を見事に達成します。飲食だけに限らないとは思うんですが、とくに飲食は『人』ですね。このエピソードを通して、私自身が、それを知ります」。
これ以来、中井氏は改革を進めていくのだが、改革には痛みもともなう。もちろん、なかなか思い通りにも進まないことあっただろう。
「改革に大事なのは、『よそ者・若者・バカ者』なんですね。これがそろって、はじめて改革が進んでいく」。たしかに、中井氏はよそ者。しかもある意味、バカ者でもある。
「じつは、働き方改革の一環として、定休日もつくりました。売上はめちゃめちゃ下がっているんですが」と笑いながらも真剣な表情で、中井氏はつづける。
「家族といっしょにいる時間とかね、ぜったい大事な時間をちゃんとつくれるようにする。海外進出や、何百店舗の出店なども、たしかにいいんですが、私のミッションは、飲食の社会的な地位の向上だと思っています。だから、バカ者にだってなる。だれかがやらないと進まないでしょ。これが、経営者の務めです」。
腹をくくっている。そこが、すごい。
もちろん、事業については冷静かつ、建設的な判断をしている。
「一つは、多角化でしょうね。外食っていうのは成長戦略が描きにくいんです。でも、飲食の領域を少し広げれば、いくらでも面白い事業領域がある。そういう領域にもチャレンジしていこうと思っています。なかには、日本の飲食はシュリンクするという人もいますが、私はそうじゃないと思っている。ただ、勝ち負けはハッキリする。単に売上だけの勝負だけじゃなくってね。うちは、父の代から『流行ったらすたれる』っていう格言を守っているんです。『商売と屏風は広げすぎると倒れる』って、あれ、ですね/笑」。
改革を進めながら、守るべきところは守る。
「パート制度も廃止します。その代わりに地域限定、時間限定社員をつくって、社員とアルバイトだけにする。これは、もうすぐスタートします」。
改革は、つづける。「大卒採用も、本格的に行っていく」という。「従業員が世界一幸せな会社」。中井氏がめざすゴールは、ここ。あともどりはしない。
破壊者であり、後継者でもある。2つの人格が、中井氏のなかにあるような気がする。
「じつは、長兄とは子どもの頃からしゃべったことがほぼないんです。嫌われていると思い込んでいました。私だって、線をひいてしゃべらなかった。長兄が亡くなったあと、長兄の友達と飲むことがあって、その話をしたことがあるんですね」。
「そこにいた人がみんな『ちがうよ、それは』っていうんですね。『え?』って。『いいか、あいつは君の自慢話しかしなかったぞ』って。『やれ、頭がいいんだ。中・高はここで。慶應に行って、アメフトやって。野村證券の入社式では、新卒代表を務めたんだぞ、って』」。
「それを聞いてね。『兄貴なんで、それをオレに言ってくれなかったんだ』って。一言だって、いいのに。そうすれば、オレだって…。もう涙が止まりませんでした。へんな言い方になりますが、私が今、千房で仕事ができているのは、長兄のおかげです。感謝しかありません。だから、長兄のぶんまで、と、そりゃ、思いますよね」。
「お好み焼」は関西人には「うどん」や「たこ焼」同様、ソウルフードの一つだ。しかし、店を経営する、1つ1つの会社には事業に対する思いがあり、目指すべきものがある。
中井氏という経営者は、それを「幸せ」と言い切る。それが、いい。
「コテコテの幸せ」なら、もっといいかもしれない。お好み焼らしくて、かつ、関西人ポイ響きだから。どうだろうか?
野村證券時代 | 1980年、社員旅行 | 式典にて、会長と |
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