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第766回 株式会社ひょうたんや 代表取締役 中嶋和義氏
update 20/01/28
株式会社ひょうたんや
中嶋和義氏
株式会社ひょうたんや 代表取締役 中嶋和義氏
生年月日 1951年3月27日
プロフィール 高校卒業後、大阪の老舗料理店に修業にでる。21歳、2代目店主として、実家にもどり、家業の料理店を引き継ぐ。大胆な発想と、ち密な計算で事業をつづけ、割烹料理とはべつに「つゆしゃぶ」を開発。「京都つゆしゃぶCHIRIRI」として売り出し、ブレイク。インタビューは2019年6月。今回、新たなブランドも計画中ということだ。
主な業態 「ひようたんや」「京都つゆしゃぶCHIRIRI」
企業HP https://www.hyotanya.co.jp/

近江八幡にて日本料理「瓢箪屋」開業。それが、すべての始まり。

0.8ミリの豚腹肉をお湯に浸すと「ちりちりっ」と白い花が咲くという。
「『ちりちりっ』となるのは高品質の豚肉を0.8ミリに薄切りスライスした特別製法によるもの」と解説してくれるのは、「つゆしゃぶ」の生みの親、ひょうたんやの2代目店主、中嶋氏。
たれも「ポン酢」や「ごまだれ」ではなく、ひょうたんや特製五段仕込みの和風のつゆでいただくのが特徴だ。湯にくぐらせることで、適度に脂が抜けた豚バラ肉は甘く、口のなかでとろける。「ダイエットにも効果的」というから、女性にもうけがいいのだろう。
ちなみに、特製五段仕込みの和風のつゆのなかに、白ネギ、柚子唐辛子を入れていただく。丁寧に作られた「つゆ」を薬味が引き立てる。
もともと、「ひょうたんや」は、滋賀の有名料理店だった。ホームページの沿革によれば、1949年、創業者である中嶋泰蔵が、終戦後、近江八幡にて日本料理「瓢箪屋」を開業したことから始まる。2代目の中嶋氏は1972年に修業先から帰郷し、12代目社長に就任している。
創業者であり、父親でもある泰蔵氏について、中嶋氏は、とても怖い父だったと話している。「酒が大好きな人でした。ただ、素面の時でも勉強していたらカミナリが落ちるんです。『お前は修業に行くんだ』っていって。修業に行くんだから勉強なんかしなくていい、と、そういうことです」。
当初から、2代目にと決められていたんだろう。ただ、父親と過ごした思い出はほとんどない。「周りに見習いの人とかがいっぱいいましたからね」。
話はつづく。

厳しい修業を経て、2代目経営者へ。新たな道が始まる。

「高校は八幡高校に進学し、サッカー部に入ります」。
八幡高校は、滋賀のなかではトップクラスの進学校である。
「べつにしたいわけじゃなかったんですが、先生に目をつけられて入部しました。しんどかったですが、いまでも関係がつづいているのは、この時の仲間たち。いい財産です」。
高校2年の時、中嶋氏は父親を亡くしている。店主である父が亡くなったあと、母と姉がおばんざいのお店として、父が残した瓢箪屋を守ってくれたという。
「私にはまだちからがなかったから。だから、進学せず料理の道に進みます。昔、父親がそうしたように、です」。修業先は大阪の名店に決まる。修業期間は2年半。長いか、短いかは月日の数だけではないだろう。どれだけ高い志をもって臨んだかで結果はかわる。
「料理が終わった鍋は、見習いの間で奪い合いなんです。鍋の底に残ったものを舐めることができるからです。そうです。当時の先輩たちは何も教えてくれませんから」。
罵声といっしょにフライパンが飛んできた。包丁の切っ先を突き付けられた。当時を知る料理人たちからは、そんな話を何度も聞いた。それから思えば、今はたしかに修業のあり様も、当時とはずいぶんかわっている。
「2年半で修業が終わったわけではないんです。まだ、これからだったんですが、姉が結婚することになってタイミング的には今だろう、と」。
「瓢箪屋」にもどれば、一介の料理人というわけにはいかない。2代目店主、つまり、経営者としてのちからも試される。中嶋氏は、どんな店主になっていくのだろうか?

一か八かの大勝負。

最初に中嶋氏が取り組んだことをうかがって、目を丸くした。思い切ったことをしたものだ。
「店を改装しなければとは思っていたんです。父がつくって年数も経っていましたし、日本料理店だったのがおばんざいの店のようになってもいました。瓢箪屋とは何か、それを改めて確立したかったんです。アイデンティティみたいなものですね。そういうことから始めないと未来がないと思ったんです」。
中嶋氏21歳。借入金は3000万円に及ぶ。
「ただ、当時の金利は15%でしたから、たいへんな決断でした」。たしかに、借入額3000万円は、大きな決断だ。いまなら1億円くらいだろう。いうなら一か八か。
「ただ、この時の改装はのちに大きな意味をもちます。結婚式ブームに乗ることができたんです。売上は倍増しました。ただ、それで今度は違った問題が起こるんです」。
営業停止。
「じつは、うちのちかくに大きな農協会館が建設され、5Fに披露宴会場ができたんです。その披露宴の料理を注文する店の一つに『ひょうたんや』も入れてもらったんですが、だんだんと、指名がうちだけになるんです」。
「料理はひょうたんやで」と次々に、指名がくる。たまらなく面白かった、と中嶋氏も回顧している。
「そりゃそうです。滋賀のなかでも料理人はトップクラスですし、何より、うちは会館にいちばんちかいから、あったかいうちにお届けできます。2年間、正直いうて儲かりに、儲かりました。ただ、周りのお店が反発して、それで2年間、営業でけへんようになったんです」。
2年間は長い。
それを乗り越え、平成元年に2店舗目(姉妹店「ひょうたんから駒吉」)を出店するまでになる。こちらも流行りに、流行る。

一度、食べれば、

「いまのメイン料理である、『つゆしゃぶ』は、『とんしゃぶ』の組合から豚でおいしい料理をつくれないかと相談されたことがきっかけでした。当時はというか、今もそうですが近江牛が主流です。その一方で、豚のおいしさを広げるにはどうしたらいいかと。それで生まれたのが、つゆで食べる『つゆしゃぶ』です」。
「ちりちりっ」となるあれだ。
「今思えばなんですが、最初はぜんぜん相手にされませんでした。『なんで、近江牛やないんや』と。そりゃ、さんざんでした。ただ、そう言っていた人も、一度、『つゆしゃぶ』を食べるとぜんぜん違う表情になり、箸がとまらないんです/笑」。
「つゆしゃぶ」は、いうまでもなく、いまや日本人だけではなく、海外からの観光客の間でも大人気だ。その足跡を追うと中嶋氏という人物の輪郭が明瞭になる。いわば、近江商人の発想をベースに日本料理界にイノベーションを起こしてきたる料理人であり、経営者である。それが、中嶋和義という人なのだ。
そんな中嶋氏にいまからのビジョンについて、伺った。

見据えるのは、大廃業時代。

「日本の現状は深刻です。今まで日本経済の中心だった団塊の世代が引退し、人口減少、少子高齢化が進むなかで、2025年には大廃業時代が訪れると言われています。そのなかで我々はどうあるべきか。それが今の、私のテーマの一つです」。 「いつの時代でも残る、日本料理」と中嶋はいう。
「昨今の人手不足も、かなり深刻です。幸いなことに、うちはまだ深刻とまではいきませんが、今から手を打っておかなければいけない課題の一つです」。
「つゆしゃぶCHIRIRI」のアルバイト時給は1600円。これだけの高時給なら、人には困らないだろう。
「そうです。でも、今はよくても、今から手を打たないといけない。だから、我々は『CHIRIRI』にかわるもう一つのブランドを立ち上げようとしているんです」。
それが、「和蔵義」ですか?
「そうです。宴会業を中心とした『つゆしゃぶCHIRIRI』に対して『和蔵義』は高単価の接待業です。一つ星を狙っています」。
なるほど。しかし、それがなぜ、人手不足の解消につながるか?
「わかりやすく言えば、量より質ということです。職人が少数で回すことができ、一方ではちゃんとお客様にもご満足いただける店、それがカギになると思っています。実際、『和蔵義』は、職人1人で、ほかには調理補助レベルが数人いれば回せる割烹スタイルです」。
「ただ、これを実現していくには、日本料理のルーツと地域ブランドを掛け合わせたストーリーが必須です。その時、キーコンテンツとなるのが、我々では、滋賀のブランド牛である『近江牛』となるかもしれません」。

「つゆしゃぶCHIRIRI」が、日本料理の生き残りをかけ、世界へとびだす。

中嶋氏は、早くから海外へも目を向けている。そして、2019年3月、「つゆしゃぶCHIRIRIシンガポール支社」を設立した。
「創業70周年を迎え、長く国内で勝負をしてきた『ひょうたんやグループ』が、なぜグローバル化をするのか?という質問もいただきます。じつは、これも人手不足の解消と、地盤固めのための一歩なんです」。
どういうことだろう?
「外国人の採用です。人件費のこともありますが、文化の違いを超えれば、彼、彼女たちは、有能なスタッフとなる。だから、向こうで採用し、希望する人がいれば日本ではたらいてもらう。これが、人手不足を解消する有効な手段となるはずです。もう一つはバイアウトです。シンガポールは富裕層が多いんですね。つまり、出資者が多く、『フランチャイズの展開も進めやす』とにらんでいます。この展開を広げていけば、海外で『CHIRIRI』のブランド認知を広げつつ、日本への人材登用も進めていけると思っているんです」。
「日本の価値をさらに上げることができる』とも中嶋氏はいう。従業員のモチベーションアップにも寄与するというのが、全体デザインだ。
日本料理店の2代目として、「ひょうたんや」を受け継ぎ、滋賀だけではなく、日本を代表するような名店に育てあげた中嶋氏だからこそ、観える未来があるのだろう。
「日本料理を残すのは、もう日本という器だけは小さすぎるのかもしれません。世界という大きな器のなかで、考える。それが大事だと、私は思っています」。
スケールのでかい話だが、まさに、それが正解なのだろう。
いずれにしても、中嶋氏が、これからの日本を見据えた、圧倒的なビジョンを持った経営者であること。それは、間違いないことだ。

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