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第767回 株式会社幸楽苑ホールディングス 代表取締役社長 新井田 昇氏
update 20/02/04
株式会社幸楽苑ホールディングス
新井田 昇氏
株式会社幸楽苑ホールディングス 代表取締役社長 新井田 昇氏
生年月日 1973年8月2日
プロフィール 福島県会津若松市出身。大学卒業後、三菱商事を経て、幸楽苑に入社。現会長の新井田傳氏からはもちろんのこと、日本を代表する2人の経営者、新浪剛史氏や三木谷浩史氏からも直接、指導を受け、日本を代表する経営者になるべく、力強く歩み続けている。
主な業態 「幸楽苑」
企業HP https://hd.kourakuen.co.jp/

憧れの職業は、会社員。

祖父は近衛兵として天皇陛下にお仕えしていたそうだ。その後、祖父が「幸楽苑」の源流となる「味よし食堂」を創業したのは1954年。むろん、こちらは昭和の話である。
6坪の店がはじまり。ホームページに当時の料金が載っている。うどん「20円」、天ぷらうどん「25円」。そして、ラーメン「35円」。
「私の父で、今の会長が、大学浪人の時だと聞いています。店の手伝いをしていると、散々、悪口を叩かれたそうなんです。店名に偽り有ってわけですね。そういう言葉を聞いた父は、大学に進学している場合じゃないと、進学を辞めて東京へ修業にでかけます。それが、いわば『幸楽苑』の始まりです」。
今回、ご登場いただいたのは3代目社長、新井田昇氏。1973年生まれ。父の代で「幸楽苑」となり、第二の創業を実現してから、だいぶ経つ。「小学校の時は、親が自営業っていうのがイヤだったんです。友達や先生から『食べに行ったよ』って言われるのもイヤだったし、友達のお父さんはみんな会社員でしょ。だから、当時の私の、憧れの職業は、会社員だったんです」。
憧れただけじゃなく、会社員になるために猛勉強もした。
「とにかく、いい会社に入らなければいけないと思って、小学校の頃には中学の、中学の時には高校の勉強をしていました」。
先取りという奴だ。おまけにトイレのなかにも参考書を持ち込み、信号待ちの間にも、問題を解いた。父親や母親が外食にさそっても、行かなかったというから筋金入りだ。
ゴールは、だれもが知る「〇×電気」「〇×自動車」。
言いかえれば、それくらいしかまだ知らない。

三菱商事で、自営業を知る。

大学を卒業した、新井田氏は三菱商事に入社する。ついに憧れの会社員だ。
どうでしたか?というと、苦笑する。
現実の世界は、憧れの世界とは、どうやら異なっていたようだ。
「とにかく、上司がね。きっつい人だったんです。もちろん、今では感謝していますが、当時は、会社を何度、辞めてやると思ったことか。だってね。毎日、怒られるんです。そりゃ、イヤになりますよね。会社に行くのもつらかった/笑」。
今なら、パワハラとなるのかもしれないが、怒るだけではなかったから性質が悪い。「そうなんです。本来はむちゃくちゃやさしい人で。私のことを思って怒ってくれている。それが、だんだんわかってくるんですね。大人になるって、こういうことなんでしょうね。今、私があるのは、三菱商事にいた愛がある先輩たちのおかげです」。
「愛情と厳しさ」と新井田氏は表現している。
「これも新人の頃ですが、今、サントリーホールディングスの社長をされている新浪剛史氏とお会いし、可愛がっていただきました。経営者になりたいと思ったのは、たぶんに新浪さんの影響ですね/笑」。
いっしょにランチを食べたりしたそうだ。むろん、新浪氏もまだ若い。しかし、当時から頭一つ抜けていたようだ。「新浪さんから教えていただいたのは、勉強とネットワークです。それが大事だと。ええ、今も私の大事な羅針盤です」。
様々な先輩諸氏から薫陶を受けた三菱商事時代、長いようだが、じつは在籍期間は、わずか5年。小学生から憧れの職業も、5年でいったんピリオドを打つ。
どうして、ですか?と聞いてみた。
「私が、三菱商事に入社した時に、父の会社、つまり『幸楽苑』が上場します。そういうのを間近で観ているわけでしょ。もちろん、自営業って意味は、もうさすがにわかっています。そうですね。会社で仕事をしているうちに、今度は、だんだんと父親というか、独り立つことに惹かれていくんです」。
結局のところ、サラリーマンと自営業者どちらがいいかではなく、新井田氏に、新井田家、とりわけ、創業者の血が流れていたということかのかもしれない。

幸楽苑、入社。出向で向かった先は?

「『幸楽苑で働かせてください』と言った時、父は見たことがないくらい大喜びでしたね。何度も『ほんとか?』って聞いてきて。その度に、『ほんとうです』って/笑」。
親子の会話を想像すると微笑ましくもある。
「三菱商事」と「幸楽苑」。
規模はむろん、比較にならない。「幸楽苑」では、できる仕事も限られている。父親はだから、重ねて問うたのかも知れない。「ほんとか?」「それでいいのか?」と。
言葉が親子の思いを一つにする。
「そういう風にして、『幸楽苑』に入社します。ただ、『幸楽苑』に入社してから、一度、出向しているんです。出向先は、まったく異なるIT会社です」。
どういうことだろう?
「ホント、偶然なんですが、六本木ヒルズの道路で偶然、三木谷さんとばったりお会いするんです。ええ、もちろん、三木谷さんが私を知っているわけはありません。ただ、私はかなり前から注目させてもらっていたんです。だから、三木谷さんだと思った時には、走りだしていました/笑」。
かけていく。頭を下げる。言葉をつむぐ。
「新浪さんと三木谷さんは親しいんですね。それで、新浪さんの話を切り口にして/笑」。
インターネットとリアルショップの融合を熱く、熱く語ったそうだ。
「この時は、連絡先を交換しただけだったんですが、後日、もう一度、お会いします。その時、三木谷さんから『楽天に来ないか』と言っていただいたんですが、そんなことをすると、さすがに父が怒る(笑)と思って。ただ、そのあと『東北楽天ゴールデンイーグルス』の立ち上げにご協力させていただくんです。それで、今度は、三木谷さんのほうから食事に誘っていただきました。その時、出向の話をさせていただきました」。
新井田氏は、出向の狙いを語る。
「外食産業においても、ITはキーになると思っていたんですね。楽天といえば、ネットショップの先駆けですし、巨大なECサイトをつくりあげている業界の巨人ですからね。勉強するなら、楽天が一番だと思っていましたし、何より三木谷さんの下で仕事がしたかった/笑」。
営業やECコンサルタントという仕事を経験する。営業時代には、楽天賞も受賞している。「幸楽苑」とは、まったく畑違い。しかし、新井田氏はとまらない。
「結局、約3年間、出向します。『幸楽苑』の次期社長というレッテルを貼られるような仕事はしていません。それが、力になったんだと思っています」。

社長就任。

「『幸楽苑』では、取締役海外事業本部長という役職でした。当時、タイ王国に出店していましたからね。でも、これが、うまくいっていなかったんですね。だから私が最初にやったのは、この事業の尻ぬぐいというか、ま、そういう仕事です。私自身は、海外に興味があったもんですから、会長にも『インドネシアはどうでしょう?』などと海外の話をしたんですが、会長は首を縦にふらない。会長にすれば、海外ではなく、全体をみて欲しかったんでしょうね。つまり、跡継ぎの仕事です」。
父親の傳氏が、息子の決断を聞いて大喜びしたのは、もう何年も前だったが、その時から構想を練られていたんだろう。事業継承。新井田氏も、むろん、そのつもりだ。しかし、父親の存在が大きいだけに、そう簡単に継承も行えない。社長になるまでのいきさつを伺った。
「じつは、2016年のことです。あってはならないことですが、店舖で異物混入事件が起こります。報道でも大きく取り上げられました」。
たしかに、その事件はあった。ブランド価値が毀損する。その影響もあり、たしか、赤字決算になったはずだ。
「その年はもちこたえましたが、翌年に赤字になりました。。たしかに、異物混入事件の影響は大きかったですが、それだけではありませんでした。2015年に看板の290円ラーメン(税抜き)を値上げしています。その影響もあり、既存店の前年割れもつづいていました」。
けっしていいことではないですが、それが社長就任のきっかけとなったわけですか?
「そうですね。決心がついたというか、オレがやらなければと。社長になるのは、まだ先ですが、その頃から私が実質的に経営を担います。ステーキチェーン店の『いきなり!ステーキ』さんや焼肉チェーン店『焼肉ライク』さんのフランチャイズを開始したのは、この頃ですね」。
ある意味なりふり構わぬ戦略に映る。だが、したたかな計算があってのことにちがいない。仕事で大事なことは、ともかく、勉強とネットワーク。新浪氏の言葉が頭に浮かぶ。
「あの時は、とにかく走りつづけましたね。業績は少しずつ改善し、昨年(2018年)の8月、9月からぐっと上向きます。そして、その年の11月に社長に就任しました。ありがたいことに業績は、この1年、順調に推移しています」。

チャレンジングで、イノベーティブなこと、を。

事業継承は、会社はもちろん、従業員を継承することでもあるはずだ。ともに、どう歩んでいくか。いちばん試されるのは、それかもしれない。新井田氏は、早くも動いている。
従業員満足度向上のための、様々な改革が、それ。
「まず、インセンティブ制度ですね。モチベーション向上のためにインセンティブを用意して、店ごとに競争してもらったわけです。そうすることで、従業員たちがワクワクして競い合うようになり、活気が生まれ、結果的にサービス力がアップしました。むろん、働き方改革も進めています。昨年の大晦日の15時から元旦に、一部店舗を除くほぼ全全店舗を休業としたのは、たぶん、ご存知ですよね」。
いろんなメディアで取り上げられた「事件」である。むろん、今度はプラス材料。キャッチコピーはたしか、「2億円事件。」。
「『幸楽苑』、64年の歴史のなかで初の試みです。『幸楽苑』は、この2日間で2億円を売り上げます。だから、休業することで2億円の損失がでる。だから、『2億円事件。』とさせてもらったんです。そう、売上より大事なものがあるという私の思いを、外にも中にも示したかったんです」。
なんという決断か。当時、この話を聞いて、そう思ったのは私だけではないだろう。
「従業員にも家族があるわけでしょ。家族一緒に過ごして欲しいと思ったのがはじまりです。お金も大事ですが、それ以上に大事なことがある。私たちの時代の経営者は、それを知っていないといけないと思うんです」。
たしかに、その通りだ。
新井田氏は、それ以降も、次々と新たなしかけを行う。
AIを活用した人事評価システムの導入や社内連携システムの導入なども、その一つだ。むろん、今からもやるべきことがたくさんあるのだろう。その点についても聞いてみた。
「そうですね。今までやったことがない、チャレンジングでイノベーティブなことに取り組んでいきたいですね。業界で誰もやっていないようなことに挑戦したいと思っています。未来の外食産業のリーディングカンパニーを目指しています」。
そういえば、現会長の傳氏を取材させていただいた時、「ラーメン業界全体からすれば、うちのシェアは、まだまだこれからだ」と話されていた。いうなら、それだけの「伸びしろ」があるわけだ。それも、一緒に息子であり、3代目である新井田氏に引き継がれたことになる。
だから、新井田氏は、幸楽苑の未来を、従業員への思いを熱く、熱く語る。これが、新井田氏の今。

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