有限会社ウッドボーイ 代表取締役 塩塚 晃氏 | |
生年月日 | 1981年10月24日 |
プロフィール | 福岡県出身。法政大学を中退後、中国に単身渡り、大学に入学。帰国後、株式会社モミアンドトイ・エンターテイメント(現:株式会社アルテゴ)に入社し、中国進出を手がける。経営コンサルタントを経て、2014年、ウッドボーイの社長へ就任する。 |
主な業態 | 「ばくだん焼本舗」 |
企業HP | http://www.bakudanyakihonpo.co.jp/ |
官舎に住んでいた。父親が防衛相に勤務していたからだ。母親も教育関係の仕事をしていたこともあって、勉強熱心。塾にも早くから通っている。
「父親の仕事の関係で、引っ越しも少なくなかったです。福岡、立川、熊本、埼玉と、高校時代まで転々としました。私が小さい頃、父親は予算をしていたので、忙しかったのでしょうね。遊んだ記憶はほぼないです」。
父親の影響か、政治などにも興味があった。最初になりたいと思ったのは考古学者。
「小学校の頃は、勉強ばかりしていました。ただ、中学受験の時に熊本に引っ越すことになってしまったので、受けたいと思っていた学校にも進むことができず、その反動で今度は勉強をしなくなってしまいました/笑」。
授業では、歴史が大のお気に入りだった。
小学生の頃の勉強で、高校、大学の受験も乗り越えたそうである。
「官舎っていうのは、住んでいる子どもたちの学力が高いんです。熊本でも、官舎の子どもたちの偏差値は高かったと思いますね。だいたいみんな同じ中学に通うわけですから、ライバル意識は親にもあったんじゃないでしょうか。そうですね。東京といっても立川なんですが、東京から同年代が来たわけですから、最初はみんな興味津々です。『東京は空気が汚いんか』みたいなね。私のほうは、すぐに熊本弁にも馴染みました。東京とは、異なる都市の文化や歴史に触れて、それがとても新鮮でした」。
高校になって、今度は埼玉に移る。「大学は法政大学に進みます。ただ、高校でもぜんぜん勉強はしていなくって、大学でも、勉強はせず、実は学校にもぜんぜん行ってないんです/笑」。
大学は1年で中退する。
「大学にも行かずバイトばかりしている息子をみて、母が心配して、ある占い師の下に行かされるんです。ええ、ぜんぜん信用もしてないです。でも、たまたま足が向いて」。
占い師から、「靖国神社にもう一人のあなたがいる」と言われ、靖国神社に行くと、そっくりの写真をみつけることになる。これが、偶然か、必然かはいまもわからない。ただ、前世の記憶らしきものが、フラッシュバックしたのは事実。
神社の境内で、「うそだろ」とつぶやいていた。塩塚氏が、19歳の時のことである。
占い師はもう一つの占いを残している。「32歳で社長に」。それがもう一つの占いだった。
「そうですね。いろんなことを言われているんですが、その占い師から『北京に行け』とも言われるんです。それで、不思議なことに中国に行くと、とんでもなく中国に惹かれるんですね。最初は旅行でしたので、およそ2ヵ月。ええ、中国全土を回ります。それから、一度、帰国し、今度は、上海の大学に進みました」。
中国では、まったく日本のコミュニティには交らなかったそう。だから、「語学を修得したのは、いちばん早かった」と豪語する。中国流の付き合い方も学んだ。
「たとえば、中国では割り勘っていう習慣がなくって、女性といっしょに食事に行けば、支払いはすべて男性。男性同士なら、『オレがだす、いや、オレが』ってなるんです/笑」。
「その一方で、中国人は本性をさらけ出すことがいいことだと思っています。だから、お酒も浴びるほど飲みますね。日本でいうヘベレケになって。でも、たとえば招待しているほうからすると、それが嬉しいことなんです。そこまで、楽しんでくれたって」。
なるほど。そういう国なのだ。イメージとは少し異なっていたが、それが真実なのだろう。
「大学を卒業して、帰国します。その時、『モミアンドトイ』っていうクレープ専門店に就職しました。ちょうど、中国に進出する時で、『なら、ここがいい!』と思って」。
何と何がつながっているか、わからない。
一つ言えるのは、中国という莫大な人口を抱えた国の黎明期には、様々なチャンスがあったことだ。そのチャンスは、国境を越え、我々日本人にもつかむことができた。
「最初は、その『モミアンドトイズ』の社員として向こうに行くんですが、実は、中国進出をコンサルティングしてくれていた会社があって、私自身はそちらに転職するんです。ええ、日本企業が中国に進出する時です。私もコンサルタントとして、様々な会社の進出をお手伝いします。そして、そのお手伝いを通して、日本を代表するような会社の社長様とも知り合いになっていくんです」。
「つい先日もあの人にあった」と一部上場の社長の名を挙げる。
「中国というフィールドでは、歳が若くても私たちのほうが先輩なんです。中国で成功するためには、中国を知らなければならない。日本とおなじようにやると、失敗します。だから、私たちの仕事も、にぎわったんだと思います」。
ところで、だんだんと、予言の32歳がちかづいてくる。
「ええ、そうですね。とくに意識していたわけではないんですが」と塩塚氏。
「ただ、ある会社の社長さんから売却の相談を受けた時に、たまたまその会社の商品が好きで、『それなら、私にさせてください』と立候補するんです。それなりに出店もされていましたので、買い取るにはそれなりのお金もいったんですが、親しくしていた台湾人の資産家が、『じゃぁ、買えばいい』といって、資金をポンとだしてくれたんです。ハイ、オーナーはいまもその方です。ただ、ぜんぜん経営には口出ししないし、月に1度ふらっと来日して、『どうだ』っていうだけで。たぶん、日本が好きだから、日本に来る口実が欲しかったんじゃないかなって思うようにしています/笑」。
「その会社が、いまのウッドボーイ?」
「ええ、そうです」。
2018年のこのインタビューで、4年前というから、2014年。占い通り、32歳で社長に就任することになる。
突然といえば、突然の社長就任だった。ただ、コンサルタントでは、飲食店もサポートしてきたこともあって、まったくの未経験でもない。そもそも「モミアンドトイズ」で、飲食事業も経験している。
「昔は考古学ですが、いまは飲食に惹かれています。ウッドボーイの前オーナーからご相談された時も、すでにお話したように商品の『ばくだん焼』にも、出店スタイルにも興味があったんです。だから、『売却されるなら、私に』と話がスムーズに進んだんだと思います」。
ところで、『ばくだん焼』とは?
「『ばくだん焼』は、私たち『ばくだん焼本舗』の登録商標です。直径は8cmあって、重さ200g。一般のたこ焼き8個分のボリュームです。お好み焼き、もんじゃ焼き、たこ焼きのいいところ取りの新感覚、新食感な食べ物。外側はカリカリ、中はトロトロ。たこ焼き同様、なかに閉じ込めた具材の旨さを逃がさず包み焼きしています」。
具材は、「お好み焼き」以上の10種類とのことだ。
ホームページを観ると、いろんなバリエーションがあるのがわかる。どれもユニークで楽しい。一度は食べたくなる。そのうえ、アニメ作品とのコラボなど、IPビジネスでの仕掛けも行っている。それもまた好調の要因だ。
「ハイ、おかげさまで、好調です」と塩塚は白い歯をみせる。自信の表れでもあるのだろう。
話はかわるが、塩塚氏は「今も、中国語はペラペラ」だそう。「何なら、日本語より巧い」と言って笑う。その大好きになった中国で、日本の一つの飲食ビジネスに出会ったのが興味深い。
当然、世界を視野に入れている。
「ばくだん焼」、世界を制す。そんな日が来るのが楽しみである。
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