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第78回 株式会社セクションエイト 代表取締役社長 横山淳司氏
update 09/11/17
株式会社セクションエイト
横山淳司氏
株式会社セクションエイト 代表取締役社長 横山淳司氏
生年月日 1983年、北海道江別市に生まれる。
プロフィール 事業家である父の元で育ち、高校卒業後は、すぐに父の会社に就職。サービス業のノウハウを修得すると同時に、実力主義の世界に憧れる。
22歳で、力を試すべく東京に進出。父の会社で成功した「居酒屋」のスタイルを移植した、「はなこ」で勝負をかける。
「はなこ」は、新宿歌舞伎町の一号店出店よりわずか3年半で、11店舗をオープンするほどの人気業態に育つ。
スピードを一つの経営の軸に据え、一等地の物件を次々に居抜き、出店。2年後には30店舗の体制を目指している。
主な業態 「はなこ」
企業HP http://www.section-8.jp/

3年半で早くも11店舗を達成。ハイスピードな出店攻勢が続く。

「食とエンターテインメント」の融合。そんな言葉がピッタリ当てはまるのが、株式会社 セクションエイトが運営する“北海道厳選素材、新鮮炙り焼き”の居酒屋「はなこ」である。新宿歌舞伎町を皮切りに、五反田、神田と次々に出店し、09年9月現在で、大阪北区のFC店を含めると11店舗の陣容になる。06年4月の一号店オープンからまだ3年半。異例の出店スピードに驚かされる。
「はなこ」の特長は、何といっても女性スタッフのユニフォームだろう。白いホットパンツとセパレートになったジャケット。胸元が大きく開き、腰のくびれが強調されている。予備知識もなく入店すると戸惑う人もいるのではないか。客層は30〜40代の男性がメインである。一方、料理にも、素直に驚かされてしまう。北海道から取り寄せた新鮮な素材をプロの料理人が丹念に仕上げる。舌が肥えた40代男性からも、評価されている理由であろう。
この「はなこ」をプロデュースしたのが、若干、26歳の、セクションエイトの社長「横山淳司」である。出身は北海道。22歳の時に、なかば単身で、東京に殴り込みをかけた若き経営者でもある。

高校卒業後、風俗店を経営する父の会社に就職。年齢で差別されない実力主義の世界に憧れる。

1983年、社長の横山は、北海道江別市に生まれる。江別は札幌から少し東の方角に位置する市だ。横山の父親は、もともと広告代理店に勤めていたそうだが、やがて起業し、キャバクラと呼ばれる風俗店を経営する。横山が高校生になる頃には7店舗出店していたということだ。
小学生時代の記憶に父の姿はあまりない。家に帰ってくるのは週一回程度だったらしい。それでも活発に育った横山は、中学生時代、バスケットボール部に所属するなどして、徐々にたくましい大人になっていく。「父の職業を理解したのは、高校2年の頃。とりたてて複雑な気分になることはなく、逆に興味の延長線上に、父の店もあったような気がする」と横山。札幌といえば「ススキノ」という歓楽街が有名である。巨大な歓楽街がスグ近くにあったことも、横山の、その後の人生に無関係ではないだろう。

高校時代からさまざまなアルバイトを経験してきた横山は、18歳になったと同時に父の店でもアルバイトをするようになる。卒業後、そのまま正社員に。父と子、経営者と従業員、この2つの関係を同時に持つのは、どういう感覚なのだろう。「家でも父には敬語を使う」と横山。経営者と従業員になることで、素直に父を尊敬できるようになったのではないだろうか。
しかし、会社では、親子の関係はおくびにも出さない。一切言わずに、入社し、3年間で店長代理にまで上り詰めている。「22歳の若い部長がいて、若いのにすべてを仕切っていたんですね。年齢が上の人でも、部長には逆らえない。その仕事ぶりを見ていてかっこいいなぁ、と」。憧れの先輩にも刺激され、横山は、人格を形成していく。

22歳。北海道から東京へ。新宿歌舞伎町に第一歩を記す。

早熟といえば、そうかもしれない。ただ周りの、たとえば同年代の友人たちと比較すると、そういえるだけで18歳の青年にとっては、ビジネスの道も、大学などへの進学も、そうかわるものではない。ただし、「高校時代の友人とは遊ばなくなりましたね。持っているお金の額も違うし。遊びに行くところも違いますから」と。大学には行かなかった横山は、その分、ビジネスの現場で、人間学や経営学、経済学も学んできたのではないだろうか。大学卒業の年齢となる22歳。横山は、単身、東京に進出してくる。お店を経営するためである。同じ22歳といっても、目的意識には雲泥の差がある。
「私が東京に来るまえに、父の会社で30坪程度の居酒屋を出すことになったんです。その店が『はなこ』の原点です。居酒屋は素人でしたから、職人さんたちとなかなかうまくいかなかった。そういう経験も、いまの財産になっています」。
この店舗で十分、準備体操をしていた横山だが、いきなり日本最大の歓楽街である新宿「歌舞伎町」への出店は、冒険に近いものがあったはずだ。父からのバックアップもあったが、勝負するのは、あくまで横山本人である。
実際、オープン当初、横山は唯一の苦戦を強いられている。
「立地が悪くて、なかなかひと目につかなかったんですね。だから、その後、出店した五反田店の売上を回してなんとかしのいでいました(笑)」とのこと。しかし、その新宿店もいまでは、30坪で月に700万円を売上るに至っている。
「はなこ」がブレイクしたのは、3店舗目となる神田店から、と横山がいうように、神田店はいまでもトップの売上を達成する基幹店である。07年6月。新宿店オープンより1年2ヵ月後に出店した店舗である。

したたかで緻密な戦略で、「食とエンターテインメント」の融合を試みる。
若干、26歳の若き経営者の戦い。

スタッフたちの奇抜なユニフォームから、「はなこ」を一時的な人気店と位置づける人もいるだろう。たしかに、飲食店のサイクルは速く、人気店といえど一時のブームで終わってしまうケースは少なくない。奇抜さだけなら「はなこ」もまた、その仲間に入るかもしれない。しかし、父から受け継いださまざまなノウハウや経験を元に、「食とエンターテインメント」の融合を試みる横山を知ると、その批判もまた、既存の概念や価値観にとらわれた、こちらのうがった見方に過ぎないことに気づくだろう。
もちろん横山も未知なカテゴリーに挑戦する強みと弱みを知っている。一号店の投資額は、わずか100万円。神田店の1000万円を除き、他の店舗は500万円以下で収まっている。「初期投資を早く回収することがこれからの飲食店経営には不可欠。だから、初期投資を抑えるために、居抜きで入れる物件を探し、これだと思うところに出店している」とのこと。
経営者としてスタートしてまだわずか3年半。それでも、したたかで緻密な戦略で人気店を出店・運営する、その手腕にベテランの域に達した実力が垣間見られる。

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