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第784回 株式会社ビデオインフォメーションセンター 代表取締役 手塚一郎氏
update 20/04/13
株式会社ビデオインフォメーションセンター
手塚一郎氏
株式会社ビデオインフォメーションセンター 代表取締役 手塚一郎氏
生年月日 1947年5月6日
プロフィール 栃木県宇都宮出身。国際基督教大学時代に学内有線テレビを創設。1979年、吉祥寺・三鷹でビデオ販売を開始。1998年、ビデオテープ専門店をハモニカ横丁に出店したのち、同店の2階に「ハモニカキッチン」をオープン。2000年以降には様々な飲食店をリリース。今や吉祥寺の名所ともなっているハモニカ横丁の仕掛人でもある。
主な業態 「ハモニカキッチン」「ミュンヘン」「エイヒレ」「グランキオスク」「ヤキトリてっちゃん」他
企業HP http://hamoyoko.jp/

聖火ランナー、駆ける。

手塚氏は、四人兄妹の長男だが、実家を継ぐ気はなく、東京に行きたかったと笑う。
父親は国鉄職員で、祖父の代から「手塚スッポン」という滋養強壮のお店を経営している。現在は、手塚氏の弟さんが経営しているそうだ。
中学時代は生徒会長。運動神経も抜群で800メートル走なら学内で手塚氏の前を走る生徒はいなかった。「じつは、私、聖火ランナーなんです。もっとも、田舎道を走っただけですが…」と手塚氏。1964年の東京オリンピック。手塚氏、17歳の時のこと。 「中学時代、母とけんかをしたことがあって、その時、宇都宮の商店街を追いかけ回されました。おかげで走力が上がったのかもしれませんね/笑」。
学内でもトップクラスの手塚氏を追うお母さまもすごい人だ。
「おばあちゃんもすごい人でしたね。さっきのスッポンのお店を経営したりしながら、いろんなことやっていましたから」。
子どもの頃は、この祖母に連れられ映画をよく観に行った。
「女なのにね。キセルをやる人だったんだよね。これが、また恰好いい。人生でいちばん影響されたのはだれかって聞かれたら、祖母を挙げるかな」。
スッポン、ヒル、もぐら…、いろんな生き物の話も出た。ちなみに、当時、スッポンは高価で1万円くらいしたそうだ。滋養強壮。ひと飲みすれば、たしかに血が騒いだそうだ。

国際基督教大学(ICU)時代の話。

高校は、宇都宮高校。いうまでもなく県でもトップクラスの進学校だ。作家の故立松和平氏と同級生というのは、この時のことだろう。大学は東京の国際基督教大学(ICU)に進んでいる。
どんな学生だったんだろう?
「そうですね。論文を書くのも好きだったし、一つのことを、長く深く考えるタイプですね。大学にも長くいちゃって6年間大学生をやっています/笑」。
ちなみに、ビデオインフォメーションセンターのホームページには<VICは1972年ICUの学内有線テレビをやろうとあつまったグループがハジマリ>とある。今でいう学生起業家ということだろうか?
また、同ページには<1970年代はアングラのパフォーマンスの記録ファイリングをめざし、情報機材専門店をオープン>とある。
どういうことだろう?
「大学在学中に、仲間と一緒に学内有線を立ち上げました。この頃ですね。日本中のオモシロイ人に会ったり、オモシロイイベントの録音にも関わったりしたのは」。
なかでも面白かった人は?と伺うと、「岡本太郎さんですね」と有名な芸術家の名が挙がった。

ハモニカ横丁

「1979年、吉祥寺・三鷹でビデオ販売をはじめました。儲かりはしたんですが、何しろ、ビデオ記録にはお金がかかる」。
事業はつづけたが、1998年以降、家庭用のビデオが普及すると、状況がいっぺんする。「これは、仕事がなくなると思ったんですね。だって、ビデオが安くなりましたからね」。
それで、焼鳥屋をはじめたんですか?
「そうです。1979年に吉祥寺にビデオ機材の専門店をオープンしました。1988年にはビデオテープ専門店をハモニカ横丁に出店したんですが、ビデオが普及すると、もう、それだけじゃやっていけない。だから空いていた2階を利用して「ハモニカキッチン」をはじめたんです。ええ、焼鳥屋です」。
吉祥寺、ハーモニカ横丁。この通称ハモニカ横丁は、闇市が起源なんだそう。吉祥寺駅の北口駅前にあり、細い路地のなかに飲食店をはじめとした、様々なショップが混沌とした様子で軒を連ねる。今も100店舗ちかくのショップがあるそうだ。
「うちは、そのなかでも新参で、この吉祥寺のハモニカ横丁にはBARやカフェも併せて、12店舗を出店しています」。いまではすっかりハモニカ横丁の顔になっているそうだ。
「最初に焼鳥をやったのは、もともと焼鳥が好きだったから。いろんなお店を観に行って、実際にいただいて研究もしました。好きだから、そういうのも楽しかったですね。けっこう、焼鳥を焼くのはうまいほうだと思いますよ。飲食はそれぞれ人によって、やり方もあって面白いねぇ」。
さすが、一つのことを突き詰めるタイプだ。旨い、だけでなく、その奥にある、流儀にも目を向けている。流行ったモノの後追いだけをする、今の飲食店とはそこがちがう。画一化された、飲食店は、やはりどこか面白みにかけるというものだ。手塚氏流に言えば、色気、ということになるんだろう。
ともあれ、ハモニカ横丁が吉祥寺の色気を醸し出しているのは事実だろう。

ハモニカ横丁の名店

ある雑誌のインタビューで手塚氏は、「わかりやすいものだけになると、だめになる」というような話をしている。わかりやすいとは、定番ということだろうか。
実際、ビデオインフォメーションセンターも何屋と一口にはいいにくい。飲食店だけでも、様々な業態をリリースしている。
「いろんなブランドがありますね? しかも、どれもユニークですね?」というと、「そりゃ、焼鳥だけじゃね」と笑う。
再度、ホームページに目を転じれば、ユニークなイラストとともに、様々なブランドに目がいく。
ハモニカ横丁、吉祥寺の老舗キッチン&BAR「ハモニカキッチン」。ビアホール「ミュンヘン」、魚肴と地場野菜の店「エイヒレ」、「アヒルビアホール」、ハモニカ横丁のカクレガ「ニワトリ」等々。
いずれもディープ感が半端なく、店内に「入る」というより、「潜入」したくなる。
こちらは、吉祥寺ではなく、三鷹駅北口のハモニカ横丁ミタカの話だが、ミタカ内にオープンしたスタンド・バーの名称がユニークで、「ビンボー」。ネイミングが、ふるっている。サブタイトルは、「ボロはきてても心は錦のビンボー飲み屋さん」だ。

まさに、混沌。歩くほどに、楽しくなる。

手塚氏は面白いことをいう。「今後はね。儲からなくてもいいんで、もっと自由なスタイルのお店が誕生すればいいな、と思っています。儲けるというのが先にあると、みんな同じスタイルになっちゃうでしょ。今はとにかくワンパターンの時代だしね」。
たしかに、ハモニカ横丁を歩けばわかるが、横丁自体が異彩を放っている。「横丁はこうあるべきだ」というたたずまい。標準化や平準化とは、一線を画している。まさに、混沌。歩くほどに、楽しくなる。
「今の日本は、失敗できないでしょ。そういうのが残念だね。だって、面白いものが生まれにくいから」。時代が変われば、人も変わる。いつのまにかフォトジェニックという言葉が流行り、SNS用にシャッターが切られるようになった。だが、そういう写真映りがいい店が面白いのか。ひょっとすれば、今の時代の我々は「オモシロイ」という言葉を上辺だけでとらえているのかもしれない。
一度、「オモシロイ」という言葉と概念を探しに、吉祥寺、ハモニカ横丁に向かってみるのもいい。そのハモニカ横丁の住人である手塚氏に会えたら、ラッキーだ。
そんなラッキーに恵まれたなら、手塚氏に教えを乞うてみるのも悪くない。

思い出のアルバム
 

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