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第786回 株式会社ダイナミクス 代表取締役 守部英喜氏
update 20/04/28
株式会社ダイナミクス
守部英喜氏
株式会社ダイナミクス 代表取締役 守部英喜氏
生年月日 1967年8月21日
プロフィール 大学卒業後、「菊正宗」に就職したのち、「ポムの樹」の創業期にかかわり、チェーン化に成功。同社を退職したのち、再生事業にも取り組み、評価を確立。2019年9月、株式会社ダイナミクスの代表取締役社長となり、従業員の育成とともに、リブランディングを開始する。
主な業態 「いっきゅうさん」「串虎」「さんぱち家」「鳥二郎」「きさらぎ」他
企業HP https://www.dinamix.co.jp/

大阪、谷町。

守部氏は1967年8月21日、大阪の谷町に生まれる。育ちは八尾市。父親は、九州男児を絵にかいたような人で、食事のメニューも父だけ違っていたそう。きょうだいは3人。全員、男子。守部氏は長男。運動神経は、きょうだい全員、よかったようで、特に三男はボクシングの世界に進み、世界ランカーにもなられたそうだ。むろん、アマチュアでも、プロでも日本一。
「世界ランカーにはなりましたが、世界戦はなかったですね。世界チャンピオンのスパーリングパートナーなどをやっていました」。
のちに、日本チャンピオンにもなる三男とは異なり、次男は大人しく、長男の守部氏は、スポーツではなく、学級員や生徒会の委員などをするタイプだったらしい。ちょっぴり大人びてもいた。
「私らの時代は、マンモスで、生徒数もかなり多かった。TVとかの影響もあって、不良グループも少なくなかったですね。もっとも私は、そういうんじゃなくて、ディスコとかによく出入りしていました。高校を卒業後、兵庫県にある大学に進むんですが、もっぱら大阪のミナミを主戦場にしていました。当時から、BARが好きでしたね」。
どこにでもいる青年。それが正解。この時、世界チャンピオンをめざし、ストイックに練習に励む、弟さんを守部氏どういう思いで観ていたんだろうか?

300年以上つづく、老舗の信用。

守部氏にターニングポイントの一つを挙げてもらうと、「酒造メーカーである『菊正宗』に就職したこと」と、いうことだった。
「私たちの頃の就活は、今と一緒で、学生有利でした。私は、『菊正宗』に進みますが、あの有名なウイスキーメーカーでも、採用をいただけている方が多くいました。私が『菊正宗』に就職したのは、スケールが一番私に合っているような気がしたからです。同期は50名くらいだったと思います」。
業績の良し悪しではなく、守部氏は、創業325年(就業当時)というブランドの価値に魅了されたという。「社員みんなが、『菊正宗』というブランドに誇りをもって仕事をしているんです。また、「飲食が好き」という方も多かったですね。これは、すごいことですよ。だから、離職率も実は凄く低かったんです。私は31歳で転職するんですが、私以外に転職した人はみたことがないくらいです」。
老舗の信用。無借金経営。300年前の、一滴が、大きな川の流れになっている。
「23歳で結婚して、マンションも購入するんですが、あの時、すんなり融資が下りたのも、私じゃなく、『菊正宗』という看板があったからだと思うんです/笑」。

事業家から再生屋。

「ポムの樹」というオムライスがメインメニューのブランドがある。「私が、『ポムの樹』の創業者とお会いしたのは、30歳くらいの時ですね。まだまだ創業期です。こちらに31歳で転職します」。
奥様には猛反対されたそう。そりゃ、そうだろう。なぜ、「菊正宗」を辞めるんだ、となる。
「まだ私も若かったから、チャレンジしたかったんですね。むろん、創業者に惹かれたからというのも事実です。立ち位置は、ナンバー3。初めのころは、休みなしで必死に働きました。爆発したのは、梅田のヘップファイブに出店した時ですね」。
話ぶりから想像すると、20席のショップで月商3000万円くらいは楽勝だったようだ。「キャッシュがどんどん残ります。それで、投資して、そうですね。フランチャイズを含め、160店舗まで拡大していきます」。
むろん、「ポムの樹」の事実上の責任者は、事業家、守部氏だった。
「10年勤めたあと、大阪でコンサルの仕事をします。そのあと就職したのが、『名古屋コーチン』の生みの親でもあり、『鶏三和』を運営する『株式会社さんわコーポレーション』です。こちらにGMで入社し、経営企画など、合計3年くらいですね。しっかりと実績を残すことができました。いうならば、これが次のオファーにつながります」。
つぎに守部氏に白羽の矢を立てたのは、ある投資会社。
「私もちょうど東京で仕事がしたいと思っていたところでした。それで株式会社プロスペリティ1に入り、COOとして『北前そば高田屋』の事業再生を指揮します。『北前そば高田屋』はタスコシステムさんのメインブランド。それをプロスペリティ1が買い取らせていただいたということですね」。
いくつかのテコ入れもした。
「ただ、価値は高く、力を持ったブランドです。私は、その価値と力を使って、今まで出店をしていなかったフードコートや駅ナカを中心にオープンしていきました。『高田屋』はアルコールも強いんですが、当然、そばがメインです。だから、フードコートでもいいじゃないかって」。
スモールなモデルを出店したことも功を奏し、3年で黒字化を達成する。
再生屋。守部氏に、もう一つの肩書きがつく。

新たなチャレンジ。

「現在の株式会社ダイナミクスに就職したのは、2019年9月です」。
インタビューさせていただいたのが、2020年の初頭だから、まだ数ヵ月。にもかかわらず、社長として、すでに事業の方向性を打ち出している。
「再生というのは、実はもういいかな、と/笑。だから、事業を育てるというオファーをいただき、こちらに転職します。ダイナミクスは、『お好み焼きいっきゅうさん』からスタートし、今では30ブランドで114店舗(令和元年8月)を展開しています」。
「業績が悪いというわけではないのですが、問題も無くはなく、ファンドが資本参加したことで、私にオファーが来ました。当然、IPOを狙っていますし、それもまた私のミッションの一つだとは思っています。ただ、今の体制で、となると、ちょっと力不足かもしれません。リブランディングをはじめ、人事制度の改革を推し進めていかなければいけない。それが、いうなら私の役割ですね」。
従業員数は、令和元年8月で190名。
ある意味、ブランディングと人事改革で、従業員190名、1人1人の心の再生を果たす。それが、成否を分けるのかもしれない。「菊正宗」には、敵わないが、同じように長い道を歩めればいい。守部氏はそう思っているに違いない。

思い出のアルバム
 

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