株式会社ZENIBA 代表取締役 茂木良仁氏 | |
生年月日 | 1968年1月30日 |
プロフィール | 高校時代から飲食店でアルバイトを始め、飲食の楽しさに目覚める。グローバルダイニングやタコスシステムなどを経て、独立。長く焼肉業態にかかわった経験とネットワークを活かし、「よし臓」や「銭場精肉店」などの人気ブランドを立ち上げ、育てる。 |
主な業態 | 「焼肉ZENIBA」「銭場精肉店」「大衆肉酒場 ゼニバ」 |
企業HP | https://zeniba-shibuya.com/ |
野球をやりたくて工業高校に進んだ。横浜で名門と言えば「横浜高校」だが、「私立には行くお金もなかったから」と、茂木氏。しかし、進んだ高校では、疲労骨折など、怪我も重なり、夏過ぎには退部している。
「試合でバントのサインが出たんですが、スルーしちゃって/笑。ま、怪我も重なったんですが、だんだん野球への情熱が薄れてしまったのも事実ですね」。
もともと茂木家は、名家だったそう。「祖父の代の話ですが、恵比寿の名家で、土地もかなりあったと聞いています。戦争のバタバタで取られてしまったと言っていました。また、母方の祖父は近衛兵で、天皇に仕えていたそうで、こちらも名家だったということです。うちの『ZENIBA』は、この母方の苗字をいただいています」。
ZENIBA? 「銭場」と書くんだろうか? 調べてみると、案外、同じ苗字の方がいらっしゃることがわかった。「祖父の代までは名家でしたが、うちは裕福じゃなかったですね。兄弟は2人。私は弟です」。
退部したあと、すぐにアルバイトをされたそうですね?
「そうなんです。はやくお金を儲けたいと思っていましたから。いま思えば、これも野球を辞めた理由かもしれません。それではじめたのが飲食店のバイト。16歳でスタートしました」。
むろん、大学進学は早々に射程から外れる。
「当時は今ほど、大学進学ってことじゃなかったと思いますね。私は、図面を描く会社に就職し、1年間働きます。1年間働いてみて、やっぱり違うなと思って、高校時代にバイトしていた飲食店で、今度は正社員で採用してもらいました」。
これが、茂木氏の本格的な、飲食の世界への一歩となる。
「そちらのお店では、ほんとうに色んなことを教えていただきました。飲食の楽しみを知ったのも、むろん、こちらのお店です。色々な事を経験させて頂きました。1店舗目から8店舗まで、休みも無く出店に携わらせてもらいました」。
「私もまだ若造でしたしね。ただ、月商400万円の店を10か月で1200万円にするなど、結果を残してきたのも事実です」。
10ヵ月で3倍、それはすごい。
「まだまだ会社を大きくしたかったんですが、出店スピードが止まって、退社することにしました。
それが31歳の時ですね。私としては、『やり切った』という思いもあったんです。時間、情熱をぜんぶ、仕事に注いでいましたからね」。
「ただ、それだけ頑張っても月商は1000万円〜3000万。当時、遥かにそれを上回るモンスター店があったんです/笑。そう、グローバルダイニングの『恵比寿ZEST』です。日商だけで、小さな店の月商ですからね。どうなっているんだ?って、それが知りたくて」。
それで、グローバルダイニングですか?
「そうです。とはいえ、こちらは1年で、つぎにタスコシステムに転職します。タスコシステムは北海道発の飲食店で、私が担当したのは『暖中』です」。
両社での仕事はどうだったんだろう?
「グローバルダイニングは、オペレーション一つから全然違う。いい意味で衝撃でしたね。当時は、同じ恵比寿にあるカプセルホテルが、私の住まいでした/笑。タスコシステムには、フランチャイズの仕組みを知りたくて転職したんですが、こちらのサービスはハンパなかったですね。さすがに両社とも学ぶことばかりでした」。
学び尽くして、独立ですか?
「結果として、そうですね。そのあと、一度、元々の店で仕事をします。『よし臓』を立ち上げたのは、この時です。そして、そのあとに完全に独立し、大井町で『よし臓』2号店を始めます。この『よし臓』のフランチャイズビジネスを推進するためにつくったのが、株式会社ZENIBAです」。
ホームページによれば、設立は2007年とある。むろん、設立時から、ビジネスは順調に立ち上がる。
ただ、すべてが順風満帆ではない。BSEの問題もあれば、震災もあった。
「3月14日に新店をオープンする予定だったんですが、3月11日に震災が起こった。飲食どころじゃないですよね。でも、絶対大丈夫だって。心配するスタッフにも『大丈夫だ』と言い続けました」。
「接客にも、肉にも絶対的な自信があったから」と茂木氏は言う。
でも、それだけだろうか?
16歳からスタートした「飲食」という仕事が、「裏切らない」ことを知っていたからではないのだろうか?
茂木氏は「飲食」について、次のように語っている。
「飲食っていうのは、けっして難しくはないんです。今日、いらしたお客様が、次の日に、別のお客様を連れてきてくださるようになればいいんです」。
「たとえば、今日3人のお客様がいらしたとするでしょ。この3人が次の時には、それぞれべつのお客様を連れてきてくだされば、いい」。
むろん、言うのは簡単で、出来るかどうか。「それは別」と茂木氏。その境目は、当然のこと、「目の前にお客様にどう向き合うかだ」という。
たしかに、これが、飲食というものの正体なのだろう。客は裏切らない。それを知っているから、茂木氏の言葉は、窮地にあっても揺るがなかったに違いない。
言い替えるなら、これが茂木氏のいう、飲食の楽しさかもしれない。
いま茂木氏は、その「飲食」の楽しさを1人でも多くの人に伝えたいと育成に取り組んでいる。
そういえば、現在の取締役として活躍されている方は、その昔、1号店をオープンした際のアルバイターだということだ。
スタートした年齢は違うが、16歳で飲食の世界に入った茂木氏と、重なって観えてくる。
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