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第798回 株式会社スマイルリンクル 取締役社長 須藤 剛氏
update 20/07/28
株式会社スマイルリンクル
須藤 剛氏
株式会社スマイルリンクル 取締役社長 須藤 剛氏
生年月日 1983年6月23日
プロフィール 高校を卒業し、上京。スマイルリンクルの9期生として入社。以来、現会長の森口康志氏の懐刀として、敏腕をふるい、スマイルリンクルの成長に貢献する。2020年4月、森口氏よりバトンを受け、社長に就任する。
主な業態 「Big-Pig」「春夏秋豚」「POSITIVE KITCHEN」「コギコギ」「酒場五郎」「酒場ゴロ」「Tchin-TchinGORO」他
企業HP https://www.smilewrinkle.com/

冷めた、野球熱。

小さな頃から畑仕事をしていた。ものづくりの原点は、ここにあるのかもしれない。
父親は大手カメラメーカーに勤務。母親は介護の仕事。祖父母ともいっしょに暮らしていた。
「田舎だから、小学校は1クラス16人くらいです。全校生徒を集めても100人弱/笑。当時は、プロ野球選手が目標でした。中学も野球部で、県ベスト4まで進みます」。
キャプテン。ポジションはサードとピッチャー、4番で右打ち。なんでも父親が野球好きで、「巨人の星」の星一徹バリのきびしさだったらしい。
高校は野球の名門、学法石川高校。部員は120名。3軍まであったそうだ。
「1年の時にスタンドですが甲子園に行きました。2年生でなぜか、野球熱が冷めてしまいます。でも、野球をやらない。そうなると、やることがない/笑」。
勉強はしない。練習もさぼった。プロ野球選手という目標が、「工員でいいや」にかわった。
「高校を卒業したら、地元の工場に就職しようと思っていました。なんとなくというか、ほかの選択肢をさがすのが面倒だったからです」。

将来の職業は、コックさん。

「それでいいと思っていたんですが…」。人生は、面白い。何がきっかけになってかわるか、わからないからだ。
「知人にスマイルリンクルを紹介されて、上京します。創業8年目くらいの時ですね」。向かったのは、<広島>お好み焼き「Big-Pig」。今やカープファンにとって、東京の聖地になっている店だ。
「いろんな人が、はたらいていたんです」。
アウトローな人とか?
「そうです。田舎じゃぜったいない。正直、衝撃を受けました。ええ、オレがはたらくのは、工場じゃないと思ったのも、この時です」。
じつは、子どもの頃から料理が好きだった。小学6年生の時に書いた文集には、将来の職業として、野球選手じゃなく、コックを挙げている。
「そうなんですね。料理が好きで。そう、家族のごはんをつくって、ドヤ顔していましたね。まさか、それを仕事にするなんて。でも、コックさんって書いていましたね、たしかに」。

3日目、辞めようと心に決めた。

手取り18万円。家賃5万5000円。残り12万5000円。そのなかでやりくりする生活がスタートした。「私は新卒でスマイルリンクルに入社します。もちろん、上京して。浦安に住みます」。
その家賃が5万5000円なんですね?
「そうです。残りは12万5000円。でも、遣う時がなかったから、安くてもなんとかなりました。もう、むかしのことなんで」と笑いながら、当時の様子を語る。
「3日で決めました。辞めようって/笑。とにかく、労働環境が劣悪。といっても、うちだけじゃない。飲食ではたらくってことは、そういうことだったんです。だから、どこもいっしょだったと思いますよ」。
残業は当然ある。代わりに休みはほぼなし。それでいて給料はけっして高くない。
「へんな話ですが、その時に辞めずにすんだのは、同年代であそんでいる奴らのおかげなんです。奴らをみていて、将来、ぜったい勝ってやろう、と。これが、何よりも私の原動力になりました」。
むろん、創業者の森口氏の存在も大きい、「憧れていましたし、いちばん輝いている存在でした」。とはいえ、まだ、社長である森口氏との距離はとおい。

創業者、森口氏との距離。

何年くらい経った頃だろうか。いつしか2人の距離はなくなっていた。
「理念やビジョンを明確にしましょう。スマイルリンクルはどういう人を育てたいのかということも、森口社長と密に話し合うようになっていました」。
憧れの人との距離がなくなる。森口氏に対する憧れはかわらないが、共通項もできる。スマイルリンクルの未来も、その一つだ。
「スマイルリンクルは、1994年、日本橋本石町に「Big-Pig神田南口店」をオープンしたことにより始まります。10坪にもみたない小さなお好み焼き店でした。現在では、酒場ゴローなど、業態も広がり、従業員数も、格段にアップしているわけですが、創業時の思いは、我々がいちばん大事にすべきことだと思っています」。
スマイルリンクルが、メディアで注目されるようになった背景も伺った。
「いまや、うちのBig-Pig神田カープ本店は、東京で暮らすカープファンの聖地なんて言われています。神田カープ本店は、神田でいちばん古い広島お好み焼店なんです。広島焼をメインにしたことと、カープがつよくなったこと、カープ女子もさわがれるようになったこと。それらが重なって、メディアが注目しはじめたんです」。
実際、都内でいちばんカープファンが集まるお店と雑誌やTVで紹介されている。カープファンの心も、胃袋もがっちりつかんだ証だろう。
もっとも新型コロナウイルスが猛威をふるったことにより、カープファンはいま、試合はもちろん、試合を観戦し、交流するきかいも失っている。

シーズン、開幕。

「今年4月から社長になることは、去年の10月に決まっていたんです。でも、そこにコロナが直撃です。それでもわりと前向きで、逆にいいだろうと、決まっていた通り、森口が会長、私が社長という新体制で、スタートしました」。
むろん、舵切りはたいへんだ。
「スマイルリンクル第一章には、森口といっしょに、みんなが突っ走てきた歴史が刻まれます。第二章は違います。古参で残っているスタッフたちが10年後もハッピーでいられる、しくみやステージをつくっていく時代になります」。
その真ん中にいるのは、いうまでもなく須藤氏だ。どういうかじ取りをするか。このきびしいウイズコロナの時代に問われるのはむろん、須藤氏のちからだ。
カープファンも、期待する。むろん、それ以外の人たちも。
ちなみに、この記事の進行と同時期になる、7月11日(土)、12日(日)に、デーゲームの観戦営業が行われていた。「店内抗菌」「検温」「換気」「マスク着用」など、コロナ対策を万全にして。
いよいよ、須藤氏のシーズンが開幕する。

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