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第801回 株式会社ルピナス・F 代表取締役 福本義博氏
update 20/08/18
株式会社ルピナス・F
福本義博氏
株式会社ルピナス・F 代表取締役 福本義博氏
生年月日 1978年12月25日
プロフィール 高校を卒業したのち、いったん内装関係の会社に就職するも職を転々とする。ハードな営業会社に転職したことで、仕事観がいっぺん。子どもができたことをきっかけに、飲食に入り、20代前半の若さで、新店や新業態を次々、立ち上げ成功させる。独立は28歳の時。現在の目標は塩ラーメンで大阪いちばんになること。ウイズコロナの時代に向け、ユニークな活動も行っている。
主な業態 「麺匠大阪らーめん しおじん」「炭火焼鳥酒場とりしん」他
企業HP https://www.shiojin.net/

少年、福本氏の話。

イマジネーションも、貪欲も、「ルピナス」の花言葉の一つ。ルピナスは、古代のヨーロッパでも食用されいたそうで、薬草やビールのつまみなどにされたと言われている。
むろん、こんな話をするのは、今回ご登場いただいた福本氏が設立した会社の社名が「ルピナス・F」だから。Fは、福本のFでもあるが、フリーという意味もある。
2つをむすんで、「イマジネーションを制限なく」ということだろうか。
福本氏が生まれたのは1978年12月25日。大阪府堺市の出身。
「小さい頃、両親が離婚したこともあって、私は姉2人といっしょに祖母に育てられます。姉もいましたが、甘えられる人はいなかった。そういうことも影響したんやと思うんですが子どもの頃は引っ込み思案。からだも小さかったし、スポーツとか運動はできましたが、ジブンをだすのが苦手な少年というイメージだったと思います/笑」。
それでも、友達も少なくなかった。なにも言わずとも、人を惹きつけるタイプ。そんな人は、たしかにいる。
「中学の頃はアクション俳優になりたかったですね。それもあって体操部に入りたかったんですが、私らの代につぶれちゃって。3人でやらせてくれ直訴したんですが、駄目でした。中学時代ですか? ひととおなじことをするのがイヤっていうタイプになっていましたね。たばこは吸ったことがないですが、お酒は。ちなみに、うちたばこやだったんですけどね/笑」

営業のハードな経験で、仕事観がかわる。

小さかったからだが急に大きくなったのは、高校生の時。もともと運動が得意だったこともあって、スポーツテストでは校内でも4位になる。もっとも、勉強は不得意のまま。
「現場の仕事しかできないと思っていました。当時は、飲食もイヤだったですね/笑」。
それで内装の仕事ですか?
「そうです。姉の旦那さんの紹介で入って。でも、半年で辞めてしまうんです」。遅刻も常習だったそう。ほかの内装の会社にも入ったが、こちらはケンカして辞めている。
「人間関係がイヤ、現場の仕事もあかんと思って。今度はリゾート会員権の営業に転向します。でも、ここも半年で辞めています/笑」。
ただ、辞めたのはイヤだからじゃない。
「子どもができて。完全歩合でしたから、不安定だったんです。これじゃいけないと」。
ただし、この半年で、仕事観がかわる。1ヵ月休みなくはたらくなど、ハードな経験によって、いままでとはちがった自信も生みだされていた。
「自分の子供を命をかけても守る母親の愛情のようなパワーが誰にでもあること。そしてその引き出し方というのも、この時に教わりました。じつは、これは私の一つのテーマになります」。

つぎは、飲食だ。

「この時、つぎは飲食だと。ただ、動機はほめられたもんやないですね。営業とちがって、飲食ならお客さんが向こうから来てれると思ったんです。営業にはさすがにちょっと疲れてもいましたから/笑」。
それが、ラーメンですか?
「いえ、お弁当屋さんです。ともだちのお父さんが経営されていました」。
たしかに、弁当ならお客さんが向こうから来るイメージつよい。
「で、半年くらい経った時、『五苑』のフランチャイズをすることになって、私が研修に行きます。ただ、最初の店では、研修に行ったにもかかわらず店長にはなれなかったんですけどね/笑」。
店長になったのは?
「2号店です。1号店は40坪で月商750万円。2号店は70坪80席で月商1800万円。客単価2300円くらいでしたから、それなりの数字です。それからも、じつは新店をだすたびに駆り出されます。ラーメンにであったのは、その時ですね。その時も、塩ラーメンやったんですが、お客さんからは『薄いわ』ってよう言われました。そりゃ、醤油や豚骨と比べたら薄い/笑」。
それでも、この店も繁盛店にした。20代前半の話というから驚く。

28歳、独立。

独立は28歳。あるラーメン店のフランチャイズで起業する。
「可もなく不可もなくですね。やることは、やっていましたから。私は思うんですが、飲食は経営者がふつうにやれていれば、だいたいうまくいくもんです」。
ラーメン以外で、やきとりも出店した。
「4年目くらいの時ですね。まだ、フランチャイズの契約中だったんでラーメンはできなかったんです。もっとも、いままでも、いろんな業態を立ち上げてきましたから、不安はゼロでした」。
頭を打つことはなかったんだろうか?
「そうですね。頭を打ったというわけではないですが、5店舗になってくると、さすがにセンスだけやったらあかんのちゃうかなと思って、経営塾に通って経営の勉強をはじめます」。
飲食といっても経営はむろん数字でできている。原価率、人件費率、正しい経営の下には、正しい数字がなくてはならない。その一方で、近年、仕事環境もクローズアップされている。
「労働環境と一口にいっても、改善するのは簡単やない。うちも、なんとか改善し、お休みも週休2日を取り入れようとしていた矢先に、今回のコロナです」。
経営者なら、だれもがぶつかった3文字。いや、過去形ではない。生活様式がかわれば、飲食もまた、それに合わせかわらなければならないのかもしれない。
「ほんとそうです。うちも、デリバリー、テイクアウト、通販。クラウドファンディングもしましたし、SNSもしていますし、YouTubeもしています。私が、飲食に入る時に思った、お客さんが来てくれるっていう発想。あれは、これからもう通用しないんとちゃいますかね」。 たしかに、時代は、もうちがうのかもしれない。

守りから、攻めに転じる、飲食新時代。

「キッチンカーも面白いんじゃないかな」と福本氏。
「どこにでも行けるでしょ。スマホのアプリを利用して。1日50杯くらいいけたら、利益もでる。これいま構想中なんですが」とも。
旨いラーメン店が、向こうからくる。消費者とすれば、願ったりかなったり。
「大阪でいちばん旨い塩ラーメンの店になる、というのも大事な目標です」。
いろんなものが、つながる。SNSやキッチンカーをイメージすると、次世代の飲食像が浮かび上がってくるようだ。ともあれ、これはまだ先の話。
むろん、福本氏1人でできるわけもない。しかし、その点は安心してもいいようだ。福本氏の周りには、氏を慕う、たくさんの仲間がいるからだ。
「母親の愛情」は、いまも福本氏のテーマ。
「だから、スタッフの子らには、ちょっとうざいかも」と笑う。
みなさんに確認したわけではないが、そんなことはないだろう。福本氏の愛情は、きっとみなさんに伝わっているはずだ。いまこのコロナの時にも、うしろを向かず、前をみることができるのは、その証にちがいない。まだ、小さな会社だが、将来性はでかい。
忘れていたが、ルピナスの花言葉には、冒頭に挙げた以外にも、じつはまだある。
「仲間を大切にする」というのもその一つ。
福本氏が社名の由来と「ルピナス」の花言葉を説明してくれる際に、まっさきに挙げた言葉だ。

思い出のアルバム
 

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