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第806回 株式会社StyLe 代表取締役 石川瑛祐氏
update 20/09/29
株式会社StyLe
石川瑛祐氏
株式会社StyLe 代表取締役 石川瑛祐氏
生年月日 1983年10月3日
プロフィール 栃木県馬頭町出身(現那珂川町)、早稲田大学、中退。やることが定まらずバイト生活を続ける。飲食の世界へ進む決意をしたのは、28歳の時。subLimeの花光雅丸氏にメールを送り、面談では「1年で独立する」と宣言。subLimeに入社し、実際に9ヵ月という異例のスピードで独立を果たしている。
主な業態 「肉の山本」「赤星とくまがい」「みやび」「中野レンガ坂 洋食堂 葡萄」「魚政宗」他
企業HP https://stylegroup.co.jp/

1983年、生まれ。

今回ご登場いただいた株式会社StyLeの代表、石川 瑛祐氏は1983年、栃木県馬頭町(現那珂川町)に生まれる。兄弟は2人。7つ違いの兄がいる。
ご両親はもともと東京で公務員をされていたらしいが、石川氏が生まれた頃には、父親の出身である栃木県に戻り、ダスキンのフランチャイズショップを経営されていたそうだ。
ところで、「馬頭町」という町名がユニークだったので調べてみると、驚いたことに日本で最初に金が発見された町だそう。奈良時代から金山の開発が進み、奈良の大仏の建立にも用いられたということだ。もちろん、これは古代の話。2005年、隣町の小川町と合併し、「那珂川町」となり、馬頭町は消滅している。
子どもの頃の様子をうかがうと、スポーツも、勉強もできる少年だったという回答。たしかに、スポーツも万能で、高校まで野球をつづけている。
「両親が自営だったからでしょうか。父母の仕事を観ていて、人を使う仕事はしたくないと子ども心に思っていました。使われるのは、もちろんイヤです」。
高校の卒業シーズンになると、そうはいっても、やりたい仕事もないことに気づく。「だから、実は、高校を卒業してからは、大学進学もせず、就職もせず、プータロー生活を送ります/笑」。

東京へ。

栃木県から東京までどれくらいの距離があるんだろうか? そもそも何故、東京だったのだろうか? 高校を卒業し、プータローのような生活を送っていた石川氏は、突然、東京に向かう。
「東京では、住み込みで、新聞配達の仕事を始めます。ただ、半年で、そちらを辞め、今度は、改めて大学に進学しようと勉強を開始しました」。
勉強といっても、ほぼ独学。にもかかわらず早稲田大学に合格している。
すごいですね?というと、本人はそうでもないらしく、実際、たった3ヵ月で大学生を辞めてしまった話もしてくれた。
強烈な心の高まりは、東京という大都会にも、大学にも感じることができなかったということだろうか。
「東京に来れば、どこかに面白い人がいると思っていたんですが、ぜんぜん、そんな人はいない。大学を辞めて、バイト生活を始めるんですが、実際、仕事もつまらない」。
ただ、その一方で、野心はやはりあったし、やれば、できると思いつづけていたのも事実。「オレは、やれば、できる」。しかし、なにをやるべきか、それがわからない。

28歳の宣言。

「正社員にならず、バイトを転々とします。そんな生活が28歳まで続きました。きっかけというわけではありませんが、ある人から、あるすごい経営者の話を聞かされて…」。
それが、刺激になったわけですね?
「そうです。帰宅して早速、その人のことを調べます」。
強烈に惹かれた。
「私ももう28歳でしたし、さすがにいつまでもバイト君ではいけないと思っていましたし」。
スイッチがONになる。
もともと飲食には興味があったそう。仲間と一緒に独立したら楽しそうだとも思ったこともあったらしい。「とにかく、野心はあった」と石川氏。しかし、それ以外、何もないことの裏返しでもあった。
スイッチがONになったといっても、つまりは、野心を語るだけの一点勝負。
結局、その野心をぶつけたのは、当時、株式会社subLimeの代表取締役社長だった花光雅丸氏。面談で「1年で独立する」と宣言している。
「花光さんのブログに、社員募集の記事があったんです。それを観て、これだと思って、早速メールを送ったら、首尾よく採用していただけることになり、上井草の新店舗の店長からスタートします」。
バイト経験しかない28歳。はたして、宣言通りうまくいくんだろうか?

野心は、誰にも負けない。

石川氏のストロングポイントは、強烈な野心だと思う。その野心が、頭と体のギアとついにかみ合った。突っ走るのみ。
「ただ、頑張っても、売上はぜんぜんダメでした。なにか抜けていたんでしょうね。それでも私の頑張りをみていてくれたんでしょう。今度は、並木橋の『ととしぐれ』の店長に抜擢されます」。
この『ととしぐれ』で、開花する。「石川、ここにあり」の狼煙があがる。
「結局、9ヵ月目です。業務委託というスタイルで、独立します」。
9ヵ月。結局1年もかかっていない。しかし、驚くのは、まだ早かった。独立することはゴールでもなんでもない。
野心も大きくなっていく。
「独立して、3ヵ月後に2店舗目を出店します。業務委託ではなく、オリジナルブランドを出したのは5店舗目から。独立して1年でオリジナルブランドを含め、合計6店舗を出店しました」。
「ちょっと、待て」と言いたくなる。しかし、話にはまだ続きがあった。「無理な出店はぜんぜんしていないんですが、7年間で80店舗を出店することができました」。
subLimeの卒業生のなかでも、群を抜いているのではないか。むろん、店舗数は「経営者の力」を表す一つの指標でもある。

反撃の狼煙。

「今回の新型コロナウイルスの一件で、株式の上場を目指そうと思いました。わくわくする仕事をしていく、そのためにも、財務の強化は、一番大事なことだと気づいたからです」。
石川氏自身もそうだが、80店舗もの店長、それぞれが、守りではなく、わくわくする攻めの仕事をするためには、たしかに資本力も大事だ。
「飲食は面白いですね。野心家の人には最適なビジネスだと思いますよ。ただ、今回のような問題が起こると、もうどうしようもない」。
お手上げ?
「そうですね。ただ、うちは嵐が過ぎ去るのを待つスタンスではやっていません。いまでも、攻めの営業をつづけています」。
なるほど、コロナには負けない、負けてはいられないということだろう。いずれにせよ、その強い思いが、今までどちらかといえば、二の足を踏んでいた「株式上場」に向けハンドルを切らせたのだろう。いうならば、コロナ下での、反撃の狼煙である。
とはいえ、この頂は高い。乗り越えることができるのだろうか?
石川氏の野心と、力が試される。

思い出のアルバム
 

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