株式会社クラマ計画 代表取締役社長 佐竹伸彦氏 | |
生年月日 | 1978年8月10日 |
プロフィール | 大阪天満出身、大阪府立大学大学院卒。大手電機メーカーを2年で退職し、飲食の世界に進む。サッポロライオンで修業を開始し、渡米。アメリカでも武者修行をつづけ30歳で帰国。天満に1号店をオープンする。 |
主な業態 | 「和酒吟蔵」「ジャックとマチルダ」「あずき色のマーカス」「路地裏アバンギャルド」他 |
企業HP | https://www.kuramaproject.com/ |
ご両親は昔から大阪天満で商売をされているそうだ。「アパレル系ですね。祖父の代からだそうです」。兄弟は兄が1人。ネイリストをされているそう。
「自宅がショップやったんで、商売がふつうというか、生活と商売の境目がないっていうか。戦後はもっと繁盛していたそうですが、私が物心ついた頃でも10人くらいの従業員さんがいたんとちゃいますか」。
天満といえば、下町。ただし、ここ数年は、飲食の街というイメージで、実際、出店もつづいている。とはいえ、交通整理がされず、思い思いの店がオープンするから雑然とした状態だ。ただ、この混沌さがディープな街、天満の象徴かもしれない。
「性格ですか? 昔から大人しいタイプですね。絵を描くのが好きで、小学1年から高校3年生まで授業中にはずっと絵を描いていました/笑」。
絵を描いていたというと、不勉強な生徒をイメージするが、そうでもなかったようだ。「高校時代は、西洋の哲学の本とか、宗教の本を一通り読みました」。
哲学も、古典も好きだったそう。
その一方、漫画家になりたかったそうで、授業中に描いた絵は、漫画家志望の青年の思いの表れだったかもしれない。
「でも、けっきょくは大学院で物理を勉強して、東京の大手電機メーカーに就職します。会社の未来をつくるプロジェクトマネジメントの仕事を経験して2年半で退職します」。
じつは、最初から辞めるつもり満々だったそう。
もともと起業にも興味があったんだろう。そのあと、ITか、デザイナーか、飲食かの三択で迷ったそうだ。「たた、三択といっても、ITはとんでもなく賢い人が多そうだし、やめておこうとなり、デザイナーは言っても食べていけへんやろな、と」。
残るのは、飲食。海外志向もつよく、料理も好きだったから、まちがいない道。さて、残りものに「福」はあったのだろうか?
学生時代にアルバイトの経験はあったが、それだけ。経験をプラスする意味もあって、退職後、サッポロライオンでアルバイトをはじめる。これが、25歳の時。すでに、結婚もしていたから、失敗も許されない。
「結果として、バイトでしたが、サッポロライオンでよかったです。焼き場をさせてもらうんですが、バーベキューをしているみたいで。これで、給料もろてええんかなと思うくらい楽しかった。メーカーの時は、会議が仕事みたいなところがあったんで、ぜんぜんちがうんです。たぶん、初日から仕事をしているっていう意識もなくなっていた/笑」。
バーベキューからだんだん料理のグレードもあがる。
「あの頃はもう朝から晩まで料理の勉強をしていました。いちおう2年つづけたので、修業は一段落ってなるわけですが、今度は、包丁1本でアメリカに渡ります。27歳の時です」。
「渡米したその日から、評判のいい和食店に突撃します。『採用してくれ』と。けっきょく、向こう、サンフランシスコですが、3年いました。向こうで独立とも思ったんですが、ピザの関係で断念。30歳の時に妻といっしょに帰国します」。
どうするか? 選択肢は、ありうそうで、そう多くはない。
「あれは、たまたま実家に泊まっていた時ですね。天満に空き物件があったんです。よし、ここでやるかと」。佐竹氏、30歳。
「いちおう貯金もしていたんですが、出店したのは裏路地の裏みたいな/笑。ハイ、妻といっしょに2人ではじめました」。ところが半年して奥様の妊娠がわかる。「思ったより、しんどかったですね。売上は過去最高になるんですが、1人で閉店作業していて、これの何が楽しいんやって」。
精神的にまいった。いっしょに笑ったり、励ましたりできない。
「それで、採用しようと思って求人広告をだしたんですが」。
ひょっとして、応募がなかった?
「そう、ぜんぜんです/笑。 でも、なんでかな? と思うんです。その時、なにかひらめていて。ただ、仲間になってくれっていっても、それはあかん。大事なことは『仲間に何をしてやれるか』とちゃうかな、と」。
それが、じつはいまのスタイルにつながっている?
「まさにそうですね。その時、『店あげる』みたいな広告だしたら、めっちゃ人が来て。独立前に経営を経験したいって人を採用します。彼はもう、めでたく独立しています」。
「2店舗目も、その時、来てくれた人に半年待ってもらっていっしょに立ち上げます。そりゃ、むっちゃ楽しいですよね。店も流行ります。きずなもばっちりやし、みんな熱い思いがあったから」。
店舗数が拡大すると、信用力も高まり、資金面でもなにかと有利になった。とはいえ、佐竹氏がめざすのは、やはり、個人店。組織のメリットは活用するが、組織のルールにしばられない、そんなスタイルでもある。
「3店舗目くらいから、いっても会社組織にしないとなと思います。『セントラルキッチンやマニュアルもつくらなあかん』みたいな話もあったんですが、『でも、待てよ』って。だって、みんな独立したいとか、料理したいとか、そういう思いで入社してくれているのに、それはないんちゃうかって思ったわけです。だって、組織やからって、やりたいことはみんな少しずつちがうんやから。そもそも、組織の論理っていいますが、だれのための論理なんでしょうね」。
「決まりごとはない」と、佐竹氏はいう。いや、一つだけある。「店長がいない」。
「そもそも店長っているんやっけ?みたいなところから、話が始まりました。いらんのちゃう、ということになって。だったら、料理長も、SVも、ついでに社長もいらん、と/笑」。
これは、ルールではなく、流儀にちかい。
「私にしたって、社長っていう意識がない。給料を払っている感覚ないですね。利益がでれば、山分けするがうちのイメージにちかい。でも、これって、利益が少なきゃ取り分も少ないわけで/笑」。
セーフティネットはちゃんと設けている。「利益をいったんあつめて、セーフティネット的なところも加味しつつ、分配する。私の役割はいうたら、それです」。
いうなら、全員が自立した経営者、というノリ。これはつよい。そのうえ、会社という組織に対するエンゲージメントも高い。「いま、正社員は40名で、アルバイトは60名以上です。ケンカもするけど、仲はいいですよ。ただし、出入りはそれなりにあります。去年も5名希望通り無事独立してくれましたから」。
こういうこと自体、一つの組織のなかで、全員が自走している証ではないだろうか。
「好奇心と偶然を大事に」と佐竹は、メッセージをくれた。
「5名のほかにも、独立している子は、たくさんいます。嬉しいことに、それぞれ繁盛店をしているけど、独立した後も関わり合いを深めようというスタイルでやっています。いっしょにイベントを開催したりね。そういう仕組みづくりもこれからは大事になってくるんじゃないでしょうか」。
時代の変化についても、話してくれた。「変化がはやいでしょ。だから、1個のことをめざすな、といいたいですね。固執するなということでしょうか」。
漫画、哲学、古典、物理、そして、飲食と仲間たち。雑多で混沌としたディープな天満とおなじように、佐竹の頭のなかも奥深い。そこがまたいい。
ちなみに、クラマプロジェクトの根幹は「組織的 個人店 集団」という発想。効率重視に背を向けて、堂々と、ぬくもりある、飲食の未来をめざしている。
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