有限会社モグモグ 代表取締役社長 中村保和氏 | |
生年月日 | 1966年1月28日 |
プロフィール | 1966年、千葉県生まれ。小さな頃から家業の酒屋を継ぐと決め、大学卒業後はノウハウを学ぶために、流通系の会社に就職。2年間、勤務し、家業の酒屋にもどるが、その時にはすでに「酒屋」を取り巻く、風景はすっかり変わっていた。 |
主な業態 | 「アロハカフェ カウカウ」「ブルーウォーターシュリンプ」「マラサダガレージ」「たこ助鯛へい」「モグモグ」他 |
企業HP | http://www.mog2.biz/ |
ホームページを観ると、色鮮やかなページが目にとびこんでくる。「アロハカフェ カウカウ」「ブルーウォーターシュリンプ」「スマイルカフェ」「Go!Go!Crepe」などなど、目にも鮮やかな料理や商品が並ぶ。
その一方で、いぶし銀のように光る、たい焼き、たこ焼き、と日本人の定番も、いい色を醸しだしている。
今回、ご登場いただいたのは、有限会社モグモグの中村 保和氏。1966年、千葉県富里市生まれ。この、いい色のカンパニーが育つまでの軌跡をお伺いした。
「実家は、酒屋を営んでいました。千葉の田舎だったんですが、私が小学6年生の頃に、近くに成田空港が開港します。もともと1学年が2クラスだったのが、卒業する頃には6クラスになり、人も一気に多くなりました」。
ネットで調べてみると、中村氏が生まれた富里市は、成田市に隣接する市だとわかる。スイカが有名なようで「富里スイカ」は、皇室献上品となっているそうだ。人口推移もみてみたが、たしかに1970年代半ばから急拡大している。
「小学校の頃は野球、空手、中学からはバスケットボールに夢中になっていました。外食には小さな頃から興味がありましたね。転機をひとつ挙げるとすれば、高校受験に失敗したことでしょうか」。
もともと公立の高校を希望していたが、そちらが不合格。進んだのは私立の学校。どんな転機がやってきたんだろう?
「コンプレックスっていうか」と中村氏。
「先生も受かると言っていましたし、私もまぁ、いけるだろうと。勉強はしなかったんですが、頭は悪くないと思っていましたから、そういう意味で自信はあったんです。だから、不合格の時はけっこうショックでしたね」。
ただ、落ちたことよりも、私立に進んだことが、転機ということ。
「そうですね。私にとって転機になったのは、その私学に進んだことでしょうか。クラス委員長を3年間勤めましたし、成績も、勉強はやっぱりあまりしなかったんですが、それでも常にトップクラスでしたし。その後、推薦で大学に進むんですが、結局高校受験の失敗が、私が進む道を決めたといってもいいと思うんです」。
たしかに、そうだ。人生はわからない。
「ただ、道という意味では、実は子どもの頃から父親の事業を継ぐつもりでいましたから、ゴールは決まっていた。高校時代から、酒屋の手伝いもしていますし、大学を卒業してからも酒屋を継ぐことを想定し、流通系の会社に就職します」。
その流通系の会社では、2年間、勤務している。奥様とも「こちらの会社で出会った」と、笑う。
「2年で退職したのは、親父から『もどってこい』と言われたからです。ただもう、私の子どもの頃とはわけがちがう。事業を取り巻く風景はすっかりかわっていました」。
<ディスカウントストア、コンビニですね?>
「そう、昔は免許があれば、それで守られもしたわけですが、もうそんな時代じゃない。酒屋だけでは生きていけない、そんな時代だったんです」。
それでも、3年くらい酒屋の経営を続ける。しかし、さすがに選択に迫られる。
「平成7年に決断します。酒屋を辞め、飲食事業を開始しました。この年が今のモグモグの創業年です。最初に出店したのは、『ジョイフル本田』に出店しました。たこ焼きやラーメンやアイスクリームの、何でも屋的なショップです」。
会社の経歴をいただいたので、そちらを見ると、たしかに、「平成7年ジョイフル本田富里店内に「MOGMOG富里店」をオープン」とある。翌年、有限会社モグモグを設立と続き、平成9年には長崎屋成東店内に「天たこ成東店」をオープン。その後は、毎年のように出店を重ねている。
「2号店の『天たこ』をオープンした頃から、たこ焼きがブームになり、業績が拡大します。ただ平成13年あたりから今度は、たい焼きがきます」。
たこ焼きに、たい焼き。日本人なら、だれもが大好きな食べ物だ。しかし、ハワイとはかなり離れている。
もう一度、経歴に目をむける。平成12年までは「天たこ」のオープンが続いていたが、翌13年からは、たい焼きの「あんたろう」のオープンラッシュが始まっている。
「たい焼きも、おかげさまでブームになり、業績が拡大します。平成12年には、『m cafe』というカフェの出店も行いました。一つのものを掘り下げつつも、常にあたらしい発想で挑戦する、それがうちのDNA。かたちになるのは、このあたりからですね」。
「酒屋」というブランド価値が低下するなか、生き残りをかけ飲食事業を開始した時から、このDNAは生まれ、育ったと言っていいだろう。
ただ、ふつうなら、どこかで躓くはずだ。しかし、年表を観る限り、「停滞」の二文字がみあたらない。冒頭で書いた通り、いまやハワイアンカフェもある。
右から左までならべれば、それこそ色鮮やかで、バラエティ豊かという表現がぴったりになるに違いない。
「『アロハカフェ カウカウ』もそうですが、正直言って、緻密な計算というより、ひらめきです/笑。『ブルーウォーターシュリンプ』も、計算ありきではスタートできなかったブランドです」。
どういうことだろう?
「『ブルーウォーターシュリンプ』っていうのは、文字通り、シュリンプ、海老ですね。海老をガーリックソースで食べるハワイで大人気のショップです。日本では、うちが独占しているんですが、そもそもはイオンさんのテナントでスタートするっていう会社さんがあって。そちらさんが、オープンの直前に降りられてしまうんですね」。
<イオンさんにとってはたいへんですね?>
「そうなんです。『ハワイアンタウン』って名称でオープンされるつもりだったから、尚更ですね。とくに『ブルーウォーターシュリンプ』は、目玉の一つです」。
「かわりに手を挙げる会社さんもあったそうですが、海老って日本じゃ高い。だから、計算が立たないとぐずぐずしておられたんですね。で、じゃあ、うちがやろうじゃないかと。ハワイの本部にメールを送って、翌日にはハワイの本部にうかがっていました/笑」。
<それが功を奏した?>
「その通りです。すぐに契約が済み、正確には、『横浜ワールドポーターズのビブレ1Fのハワイアンタウン』にオープンするんですが、そちらが成功したことをもって日本でうちが独占することになります」。
「スピーディ」。
飲食のキーワードもそうだが、経営のキーワードも、たしかに、スピードだ。その意味で、中村氏の行動力と決断のスピードが、成功のキーとなっているにちがいない。
一言でいえば、「スピード力」とでも、いえばいいのだろうか。それが波に乗る力にもなる。
<いま考案中のブランドもありますか>と質問すると、ニヤリと笑い、「ある」とのこと。しかし、それはまだ内緒だそう。
「私自身、素人からのスタートでしょ。料理も知らないし、飲食の経験があったわけじゃない。しかも、酒屋を辞めてのスタートなんで、最初から失敗できない/笑」。
「だから、そのぶん、アンテナを広げ、誰よりも行動してきたつもりです。『ブルーウォーターシュリンプ』もそうですが、あのスピーディな対応は、素人じゃなきゃできなかったかもしれません。だからこれからも、素人の、ストレートな発想を大事にしていきたいと思っています」。
その一方で、中村氏は「今、従業員数は200名程度なんですが、彼、彼女らがやりたいということをサポートしていきたい」とも語っている。
どんな色が加わるのか、それも楽しみ。
最後に、新型コロナウイルスの影響もうかがった。「4月、5月は前年度50%割れだったが、6月、7月で回復しつつある」とのこと。とくにテイクアウトの「たこ焼き」「たい焼き」が、いいそうだ。
ところで、社名の「モグモグ」も、ストレートな言葉だ。
「モグモグ」という響きから、「元気」を連想する人は多いだろう。そう、人も、会社も、いまこそ、「モグモグ」すべき時代なのかもしれない。
「モグモグ食べて、元気になろう」。
中村氏の、ストレートな笑顔は、そんな風に語っているようにもみえた。
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