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第815回 株式会社ファミリア 代表取締役 菅原哲男氏
update 20/12/01
株式会社ファミリア
菅原哲男氏
株式会社ファミリア 代表取締役 菅原哲男氏
生年月日 1978年8月3日
プロフィール 高校2年で中退。職を転々とし、ブルーカラーからホワイトカラーまで、様々な仕事を経験する。名店の「らーめん大」や「いごっそう」で修業し、31歳で、独立。二郎系と蒙古系の禁断のフュージョン、「蒙麺 火の豚」でブレイクする。
主な業態 「火の豚」「ヒノブタ セカンド」「ファイヤーマウンテン」他
企業HP https://hinobuta.jp/

菅原氏×ラーメン。

亀有生まれ。5人兄妹の長男。「母親が1人で、育ててくれた」と菅原氏。むろん、長男。ときに父親代わりになって母を助けたにちがいない。
昔から「強さ」に惹かれた。だから、小学校は空手、中学は柔道、高校はキックボクシングと格闘技路線を進む。中学生の頃は柔道で都大会にも出場している。
推薦も来たが、進学したのは地元の商業高校。
「女子生徒が多く、バラ色だった」とこちらを笑わせる。
しかし、普段の生活はもちろん苦しかった。「とにかく、貧乏だった」と菅原氏。「電話もなかったし、電気やガスが止まることもあった。子ども心にも、貧乏だってわかる/笑」。
「だから、裕福になりたいとずっと思っていました。そのためには、社長にならないとけないと思っていたんですが。まさか、ラーメン店の店主になるとは、ね/笑」。
ラーメンが好きだが、もっぱら食べるほう。「小学3年生の頃からです」と菅原氏。家系ラーメンを知ってからは、益々、ラーメンの深みにハマる。ラーメン店の名刺をコレクションしていたくらいだ。
菅原氏とラーメン。関係はとりわけ長い。

中退×仕事×ラーメン。

じつは、菅原氏。高校2年で学校を辞めている。
「先生たちから無言の『辞めろ』の圧があった」と笑う。
「高校2年を2回やっているんです。まぁ、態度が悪かったもんですから。ただ、諸事情があり、自主退学です」。
諸事情を聞いて、なるほどなと思った。おとこの選択だ。「その後は横浜のほうで、仕事を始めます」。
どんな仕事だったんですか?
「最初は、建築関係ですね。給料は悪くなかったです。というか、仕事はとにかく転々とするんですが、とにかくいい給料の仕事を選択していました。たとえば、当時の時給って800円くらいだったんですが、私がチョイスするのは、日給1万1000円にたばこ代や昼飯代がプラスされるっていうようなバイトです」。
ただ、給料はよくても、お金は残らなかったらしい。もちろん、母にもいくらかを渡している。「家系ラーメンにハマったのは、横浜で現場の仕事をしている時です。いちばん好きだったのは、六角家さんですね」。
たしかに、肉体労働はハラが減る。エネルギーを補うにも、ラーメンは最高だ。しかも、安い。
「昔からラーメンが大好きでしょ。旅行に行っても、その地元のラーメン店に入るくらいのラーメンマニアが食べても、『これは旨い』と唸るんですから。そりゃ、旨いに決まっていますよね」。
旨いと思う一方で、ラーメンの奥深さにも惹かれたのではないか。まだまだ、オレの知らないラーメンがある、と。

上野×ホスト×ナンバー1。

「とにかく、いろんな仕事をするんですが、基本、からだを動かす現場の仕事です。ただ、ある時、パソコン一つも知らないぞと思って、いきなりプログラマーを志すんです。でも、中卒だし、そもそも素人は採用してもらえません」。
どうしたんだろう?
「たまたま知り合いの女性が、秋葉原のパソコンショップのオーナーを紹介してくたんです」。
そのショップで、仕事をしているうちにパソコンが自作できるまでになったそう。
「ハードって、やっぱりわかっているほうがいいんですね。で、めでたくあるソフトウェアの会社に入社することに成功したんですが」。
「まるで、あわなかった」と笑う。
「頭がおかしくなりそうだった」とも。菅原氏いわく、思考回路がまったく違うんだそう。ただ、経験したことで、納得もできた。「他にも、いろいろチャレンジしています。そうそう、駅前にテーブルをおいて携帯並べて売ったりもしました。あれが、初の起業ですね」。
お金になると、ホストも経験している。上野のクラブで、ナンバー1ホストだったそう。「でも、いっても上野ですからね。新宿とは、ぜんぜんちがう/笑」。
もうひとつ言えば、キャバクラのマネージャーも務めている。つまり、いろいろやった。笑い話になるものもあれば、そうじゃないものもある。

ラーメン×仕事。

「いろいろ経験したあと、ラーメン店で仕事を始めます」。25歳、キャバクラのマネージャーだったの時のこと。「そろそろ表の仕事を」と思ったそうだ。
「いったん営業とかも経験していたわけですが、ホストやキャバクラのマネージャーですから、最後は夜の仕事です。それじゃあかんと、もう一回、表の仕事にチャレンジするわけです」。
何をするかとなった時、現場も営業ももういいと思った。
「いらないものをとっぱらうと、ラーメンが残ったんです。もともと、大好きなわけですしね。で、初めてラーメンを仕事とみるようになるわけです。お世話になったのは、『ら〜めん大』さん。二郎系です」。
「ら〜めん大」は1年と半年。これも諸事情があって退職。社長とは、今でも仲がいい。
「人生の転機といえば、この時ですね。1ヵ月、落ち込んで。そう、初めてお金を貯めてラーメン屋をやろう、とマジメに思いました」。
「それからですね。もう1回、建築の仕事をして、夜の仕事もして。今度は、もう流されません。だいたい4年で、開業資金がたまります」。
「ヘンな自信があった」という。ラーメン店開業について、である。「でも、物語が足らないと思ったんです」。物語? 「そう、物語です」。

ラーメン×店主×店主の物語。

武蔵関に「いごっそう」というラーメン店がある。総本家の尊師がかわいがった人がオープンしたジロリアンのなかでは、知らない人がいない名店だ。
「これが、物語かなと。つまり、『いごっそう』で修業をしたというストーリーですね。大将は、私より10歳上くらいでした。もちろん、いい勉強をさせていただきました」。
物語がスタートして1年経った2009年、地元亀有で希望通りの物件が空いた。「『いごっそう』の大将にはお花もいただいて、向こうの常連さんもいらしてくださって。これが、創業店の『ラーメン○菅』です」。ちなみに、「ラーメン○菅」は、グルメサイトでの評価も、高い。
ところで、2009年といえば、菅原氏、31歳の時。昔の暴れん坊も、もう落ち着いている。ただし、それは私生活のほうで、ビジネスではまだまだ丸くなる様子はない気がする。
二郎インスパイア系と蒙古系が融合した「蒙麺 火の豚」が、そう思わせる。菅原氏いわく、二郎系と蒙古系の禁断のフュージョンということだ。
ラーメンを食べ歩き、ラーメン歴が誰よりも長い、菅原氏が「旨い」というのだから、文句ない味に決まっている。しかし、それだけでは終わらない。
冷凍食品の通販も開始し、「ヒノブタ セカンド」「ファイヤーマウンテン」という新ブランドもリリース。フランチャイズビジネスまで開始している。
さて、この物語は、いつまで、どこまで続くのだろうか? 
菅原氏は、「いごっそう」が物語の1ページというが、ひょっとすればそれは、勘違いかもしれない。 貧しかった少年が、唯一の楽しみとして、食べた一杯のラーメン。そこからもう、物語は始まっていた気がするからだ。

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