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第816回 株式会社エン(株式会社ひと味)  代表取締役 杉本孝太郎氏
update 20/12/08
株式会社エン
杉本孝太郎氏
株式会社エン(株式会社ひと味)  代表取締役 杉本孝太郎氏
生年月日 1978年7月18日
プロフィール 神奈川県相模原市出身。高校中退。アメリカのハイスクールにも3〜4ヵ月通っている。帰国後、定時制高校に入り直し、22歳で卒業。入学時から始めた営業の仕事を卒業後もつづけたが、再度、アメリカへ。しかし、9.11直後。アトランタの空港で、1日半拘束されている。そのアメリカで、アメリカンBARに魅了され、バーテンダーの道を進もうと決意。帰国後、横浜の(有)パーティーアニマルズで、飲食の一歩をスタートする。
主な業態 「孝太郎」「CONA」「武双」「ひとみ」他
企業HP http://en-foodbiz.com/

玉川学園とハイスクールと。

小田急線の「玉川学園前」駅で降りる。学校のホームページでは、そこから徒歩3分となっている。むろん、校名は「玉川学園」。
「小学校から、高校まで玉川学園です。サッカーを始めたのは小学生で、中・高は野球です。子どもの頃は品行方正だったんですが、高校の時にやんちゃになって、2年で退学しています」。
今回、ご登場いただいた株式会社エンの代表、杉本氏はそう言って笑う。ちなみに、杉本氏は2020年7月に株式会社ひと味の社長にも就任している。
「父親は、建設会社を経営していました。きょうだいは、姉が二人、そして、私。じつは、高校を辞めていったん川崎の職人の世界に入り、1年くらいつづけます。その頃、姉がアメリカ人と結婚していたので、その姉を頼って、19歳の時に渡米します。向かったのは、ジョージア州。観光ビザでハイスクールに潜り込み、3ヵ月〜4ヵ月通っていました。観光ビザでも、問題ないと思っていたんです」。
10代の青年にとって、アメリカはどうだったんだろう。英語はできない。予備知識もない。言葉も、当然、通じない。「でも、楽しかった」と杉本氏。 ボディランゲージで、アメリカ人の心をつかんだのだろうか。
「楽しかったんですが、ビザが切れて帰国します。そののち定時制の高校に進みます。定時制ですから、昼は父親のコネで就職した、KDDI関連企業の会社で営業を始めます」。
なんでも、定時制に行き始めた時から父親と改めて話をするようになったそう。「自由奔放に生きてきましたが、私自身もかわり始めたんでしょうね。ただ、高校に進学して、すぐに父親が心筋梗塞で急死します」。
杉本氏、ハタチのことだから、1998年のこと。

アメリカンBAR。

「2001年9月11日。じつは、あの後すぐにアメリカにあそびに行ったんです。ハイ、アトランタ空港で、拘束です。1日半くらいで解放されたんですが、以前、観光ビザで学校に通っていたのが問題になり、怪しまれます。だから、今も、正式な手続きを経ないと入国できないんです/笑」
「アメリカの思い出ですか? やはり、義理の兄、つまり、姉の旦那さんにいろんなところに連れて行ってもったのが記憶に残っていますね。なかでも、私がいちばん魅了されたのは、BARです。バーテンダーになりたいと思ったのは、この時です」。
帰国後、横浜でアメリカンレストランバー(有)パーティーアニマルズの「フラッシュバック・カフェ」を経営されている田邊さんと出会い、弟子入り。飲食の人生の一歩を踏み出すことになる。
「3年くらい経った頃ですね。店長に昇格っていう時に、脳梗塞になる可能性があると診断されるんです。『今のままだと、悪化する』とのことだったので、田邊さんに相談し、辞めさせていただきます。ハイ、田邊さんのことは今も慕っています。だから、辞めるのは辛かったです」。
これが、26歳の時。1年後に、結婚している。

開拓先の1社が町田商店(現ギフト)。

「奥さんは、玉川学園の同級生です。学生の時、面識があったってくらいなんですが、成人式の日に会って意気投合します。それから、私がアメリカに行ったり、定時制の高校に入学したり…。彼女はぜんぶ知っています。私がバーテンダーに憧れたのも、店長にならず、辞めたのも」。
「私が今あるのは、父の死と、妻との出会いです。妻とは、27歳の時に結婚します。それから、10年くらい彼女の父親の下で仕事をしていました。養鶏場を経営されていたんです」。
定時制高校の時も営業だった。こちらの会社では飼育から営業。
「町田商店(現ギフト)に出会ったのは、東京を開拓することになった時のことです。それまで、商圏といえば、会社のある茨城だけ。役員も兼務していましたから、なんとか商圏を広げたいと思って。その時、町田商店にも営業をかけ、無事、契約していただきました」。
「驚く、スピードだった」と杉本氏。
「商品を卸しているから、わかるんです。すごいスピードで大きくなっていきます。そんな会社から、ある日、フランチャイズをやってみないか、と声をかけていただいたんです」。
杉本氏は、むろん、YES。ただ、会社は「NO」。
「だったら、自分でするしかないと、独立を決意します」。

常務の椅子をけって、ラーメンにかける。

常務だったから、「常務」の椅子を投げうって、独立したことになる。
今いる創業メンバーも二人、当時の部下がついてきてくれました。
「町田商店さんとしては、社内独立のスキームをつくるという狙いがあったそうです。だから、私は一度、会社に入り、修業し、独立するという一連のプロセスを経験し、2015年に相模原店で独立します」。
「最初は、400〜450万円くらいを計画していたんですが、初月からいきなり600万円です。しかし、3ヵ月目には、計画を大幅に下回り、300万円を切ります。やばかったですね」。
「気絶寸前だった」と杉本氏。社員2人、バイト10人はいたが、全員、素人。「指揮もやんないといけないから、休みもない。営業も最悪。だから、初月600万円だった時も不安だったんです」。
歯車が回りだすまで、数ヵ月かかったそう。
「最初、ぜんぜんできなかった社員たちが、だんだんできるようになって。そのおかげで、予定通りの月商になります。厳しい言い方をしたと思うんですが、それでも、みんなついてきてくれて。ええ、今も創業メンバーは全員います」。
厳しくも、温かい、それが、杉本流。むろん、スタッフを信じている証。それは、今もかわらない。現在、店舗数は6店舗になる。
「横浜家系ラーメン孝太郎」2店舗に加え、「PIZZA&WINE BAR CONA」「つけ麺や 武双」「ぼんたぼんた」と、「広尾とんかつ ひとみ」の運営も行っている。

フリーハンドで描くから、人生は楽しい。

最後に、「今後の目標は?」とうかがってみた。
「自由奔放ってわけじゃないですが、とにかく、私自身は自由がいいですね。出店目標とか、そういうことにも縛られたくないし、創業はラーメンですが、業態もラーメンだけじゃない。アメリカンBARもやってみたいですね。ただ、もう一つ、社内で独立したいスタッフがいれば、それを支援する。これも、やりたいことの一つです」。
新たにリリースした『とんかつ』のブランドも、ポテンシャルが高い。海外でも広げられそうだ。「そうですね。こちらは、直営で10店舗、フランチャイズで50店舗くらいまで広げたいなと計画しています」。
10代の最後に観たアメリカ。アメリカンBARと、田邉氏との出会い。奥様との出会い。父親の死。常務のいす。町田商店との出会い。独立と、出会ったメンバーたち。すべての縁が円となり今につながっている。
『エン』という社名もそういった縁に感謝し、少しずつでも恩返しをしていければという想いで命名したそう。
とはいえ、心は、いまも自由。フリーハンドで描くから、人生は楽しい。若いスタッフに、いちばん伝えたいのは、それかもしれない。

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