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第820回 株式会社カワード・チャレンジ 代表取締役 新井翔碩氏
update 21/01/19
株式会社カワード・チャレンジ
新井翔碩氏
株式会社カワード・チャレンジ 代表取締役 新井翔碩氏
生年月日 1977年12月31日
プロフィール 京都府出身。高校卒業し、サラリーマン生活を送るが1年半で離職。京都の飲食店でアルバイトを開始し、飲食の楽しさに惹かれる。22歳まで京都の店を転々としたあと、神戸へ。24歳で海鮮割烹の店長となり、3店舗の店長経験。27歳で、今度はリクルートで勤務し、2度目のサラリーマン生活に入る。31歳で、再度、飲食へ。神戸に「おかげ小町」をオープンし、飲食人生を本格スタートする。
主な業態 「くずし割烹こまじろ」「くずし割烹Sake Sumibi」「立呑ZUTTO」「居酒屋じげん」他
企業HP http://www.kyomo-otsukaresama.com/

サッカーと、ラグビーと。

新井 翔碩。名は「しょうせき」と読む。
「翔碩は、お坊さんに決めてもらったありがたい名です。父親は染め職人で、母親は飲食店を経営していました。小さなお店です」。
女きょうだい3人と、新井氏。
「私は末っ子で唯一の男子です。おじいちゃんとおばあちゃんともいっしょに住んでいましたから、大所帯です」。
小学生の頃の話も聞いた。
「ふつうでしたね。ちがうといえば、気が短かったくらいかな。喧嘩ばかりしていましたから。もっとも連敗つづきでしたが/笑」。
野球選手になりたかったが、なぜかサッカーをしていた。中学生になっても、けっきょくサッカー選手。サイドバック、センターバック、ボランチ、ぜんぶ経験した。京都でベスト8まで進んだ。「チームのなかでは、いちばん巧かった」と笑う。
将来は?
「そうですね。どこかで親父の仕事をつぐのかなというのはありましたね。もちろん、まだ子どもだから突き詰めなかったし、高校に進学してから、ラグビーを始めるんですが、すっかりラグビーの世界観にハマってしまいます」。
なんでも「いずれ高校のコーチをしたい」とまで思ったそう。
「生涯つづけたいものに初めて出会ったって感じです。ただ、問題が一つあった。大学に進んでラグビーしようにも勉強はイヤだし、簡単に進学できないこともわかっていましたから。でも、ラグビーはやりたい。『どうしたら、ええんやろ』って」。
ひらめいた。クラブチームがあるやん。

ハローワークに列ができる。

「で、就職してサラリーマンになるんですが、性に合ってなかったんでしょうね。3ヵ月くらいで、『もう辞めたい』って泣き言をいっていました」。
なんでも1年間は、留守番専任だったそう。「さすがに、1年半くらい経って、親父も『もう辞めたら』って。で、退職するんですが…」。
新井氏、19歳。1996年。バブルが弾け、金融危機がスタートした頃。「ハローワークに行ってびっくりです。人があふれています。職を求めて、列をつくっているんです。こりゃ、正社員というのは無理だなと思って、それで飲食店でアルバイトをはじめます」。
いつのまにかラグビーどころじゃなくなっていた。
だが、飲食と出会って、また、ハマる。
「みなさんはどう思うか知りませんが、私はたのしかった。だって、目の前に課題があって、それができるようになるってスポーツといっしょでしょ。最初は、野菜。野菜が切れるようになると、つぎは、魚。今度は、魚がさばけるようになる。どんどん、巧くなる。ラグビーの時といっしょです」。
がむしゃらにはたらいた。これぞ、天職と思ったかもしれない。ただ、社会は好きだけでは渡れない。

脱、京都。

「正社員になるつもりでいたんですが、社長と店長の仲が悪くて、そういうのがイヤになって辞めるんですが、依然、猛烈な氷河期でしたから、ぜんぜんうまくいきません」。
かろうじて中堅クラスの和食の居酒屋に滑りこんだが。「もう、ボロカスです。一体、なにに怒られているか、なにを怒っているのかもわからない。それでも1年ちょっとつづけるんですが、ある時、社長が『くびや』いうてね。くびを宣言されます/笑」。
転々とした。「22歳になって、オレ、何やってんねんって/笑」。
「さすがにそうなるでしょ。それで、知り合いもいない神戸でゼロリセットや、と」。新生活を開始する軍資金は20万円。幸い、住まいもみつかり、職にもありつけた。
「京都とはぜんぜん違った」と新井氏。
「京都時代は朝6時に出勤して、きっつい仕事して、それでも虫の居所が悪かったら怒鳴り散らされます。でも、こっちは違った。おなじことやっても評価がちがうんです」。
京都時代とおなじように、朝いちばんで出勤した。楽しかった頃が蘇り、調子があがる。店長にもなった。「27歳くらいの時ですね。自分の店をやりたいなと思ったのは。でも、そのまままっすぐ開業ってわけじゃないんです」。
「このまま飲食だけでいいんだろうか」と思ったそう。「ちがった世界もみておくべきだと思ったし、19歳からの1年半の、消化不良のサラリーマン生活。あれがすべてじゃないと思いたい、と」。

リクルートで、2回目のサラリーマン生活。

「こんなに、楽しくてええんかと思いました」。
転職したのは、リクルートのホットペッパー事業部。
「才能っていうのがあるんでしょうね。神戸エリアで1位になりましたし、全国でも2回、表彰されています。飲食ではたらくっていうのは、いろんな意味で修業です。でも、リクルートでは同年代と、熱く、楽しく、はたらける。修業じゃないんですが、修業とおなじように、ちからが付きます」。
ただ、限界も知る。新井氏は才能といったが、上には上がいたそうだ。
「でも、この数年間は、私にとって業種はちがっても貴重な経験になりました。飲食だけでは気づけなかった世界。逆に、飲食で、こんな世界観やチームがつくれたらな、と」。
リクルートを退職し、「おかげ小町」をオープンしたのは、新井氏が31歳の時。新井氏は、人生を消去法で選択してきたというが、けっしてそれだけじゃないだろう。
削って、削って、残ったものはピュアなかたまり。飲食は、新井氏のピュアな思いがかたちになったものに違いない。スタートは、アルバイトのみ。
「けっこう、自信はあったんですが、スタートから大きく躓きます。うちのオープンといっしょに、『豚インフルエンザ』が流行ります。1ヵ月は、ぜんぜん客もいない。誤算どころか、大誤算です/笑」。
「とはいえ、それほど長引かなかったのが、幸いしました。ホットペッパーの営業をしていましたから、来店数を上げる方法は知っていました。だから、あとは、来たいただいたお客様をいかに大事にするかで勝負が決まる」。
お茶の葉も、「一杯ごとにちがうものにした」という。「とにかく必死です。ルールも、マニュアルもなんにもない。ただ、目の前のお客様に必死です」。
2号店は、韓国料理店。今度は、出店と同時にブームが来た。「だから、スタートダッシュは最高だったんです。でも、すぐに、どこにいってもサムギョプサルになって。これはあかんと、すぐにクローズしました」。
イメージでいえば、1勝1敗。 でも、本質は0勝だった。

迷走する経営。

「お金はなくなるし、揉め事だらけやし、かげで社長、つまり私ですが、私の悪口はいうとるわで、いっしょにはたらいてくれてた子が鬱にもなってしもたり。そりゃもう、客サービスどころやない。なかの人間関係がぐちゃぐちゃなんですから」。
4年間で、韓国料理の店を含めると、計3店舗出店した。当初、思い描いた世界とは、ぜんぜんちがう。豚インフルエンザのせいでも、ブームのせいでもない、もっと本質的なこと。
「けっきょく、もう一度、やり直すしかないと思いました。私自身が先頭に立って。『くずし割烹 こまじろ』をオープンさせて、そうですね、半年は休んでいません。10キロは体重が減りました」。
「正直いうと、2009年に創業してから2016年までの7年間は、もうかってもいなかった」と新井氏は笑う。人間関係がぐちゃぐちゃになり、経営体制もつくることができなかった。
どうすればいい。
「むちゃくちゃ勉強しました」。4年目、頭を打ちに打って、リクルート時代にできなかったもう一つの修業がスタートする。
「決算書や、政治の本も読みました。松下幸之助さんや稲盛和夫さんの本にもかじりついて。ヒントは本の、いろんなところに落ちていました。経営理念だと思ったのも、この時です」。
迷走していた経営に、終止符が打たれるのだろうか。とにもかくにも、今度の修業は新井という「人」を試す修業だったのかもしれない。

キザよりも粋。

「理念経営」を軸に今、新井氏は曇りのない目で人をみる。「『だれでも採用』は、もう辞めました。今は、いい人が来れば採用させてもらっています」。
「ものごとには、意味があるでしょ。経営にも経営する意味がなくっちゃいけない。利益は大事だけど、それだけじゃない。スタッフを幸せにするのも、大事なことの一つ」。
だが、これが難しい。1人残さずとなれば、尚更。だから、新井氏は、会社の思いにシンクロしなければ、たがいに幸せにはなれないと言い切り、面接では、そこをみる。今や、ルールもいっぱいあると新井氏。むろん、縛りつけるイメージではない。羅針盤のようなものだ。
これも、脱、どんぶり経営の表れ。「とはいえ、まだまだ試行錯誤。毎日、スタッフに向けて、トークノートっていうアプリで発信しているんですが、返信がぜんぜんない/笑」。
そりゃ、そうだろう。そう簡単に、意思の疎通は図れない。ちなみに、グルメサイトで、新井氏が経営する店を検索してみると、つぎからつぎに高評価が現れた。
ホームページで、新井氏はこんなことを言っている。
カワード・チャレンジがめざすのが「流行を意識しつつも流行に流されないお店」と宣言したうえで、こう語りかけている。
「例えば、出汁巻や豚の角煮。これは10年前もお客様に愛され、おそらく10年後も愛されると思います。こういった料理が、高い水準でしっかり作れることが大切ですよね。接客もしかりです。パフォーマンス接客が最近増えています。でも、10年前に愛され、10年後も愛される接客って、パフォーマンス接客よりも、笑顔ですよね? 心遣いですよね?」と。
そして、「キザよりも粋でありたいですね。」で〆ている。
たしかに、たしかに。
「キザより、粋」。
それは「ルールより、作法」とおなじかもしれない。そう思うと、新井氏が説くのは、ひょとすればルールではなく、作法ではないかという気がしてきた。
コロナ禍の下、まだまだ先はみえないが、作法はどんな時代もきっと残り、評価され、愛される。新井氏が経営するお店も、きっとそうだ。

思い出のアルバム
 

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