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第821回 株式会社てんてん 代表取締役 中島一薫氏
update 20/01/26
株式会社てんてん
中島一薫氏
株式会社てんてん 代表取締役 中島一薫氏
生年月日 1975年6月17日
プロフィール 1975年生まれ。阪南大学卒。学生時代に始めた飲食のバイトをきっかけに、飲食の世界へ。バイト時代から合計12年、1つの店で修業を重ね、32歳で独立。現在は店舗に立つだけではなく、自身が主催する「楽花成の会」の運営や、PTAの会長、教壇にも立つという。「やれば、できる」が、信条。
主な業態 「てんてん」「満マル」「BooBoo キッチン」「てんてんスタンド酒場」
企業HP https://tenten-dream.co.jp/

お山の大将、態度がでかい。

「おい、ジュースもらってこい」。従兄弟の兄が、命令を下す。「いちぃ、にいぃ、さん〜」。
「一つ屋根の下に、祖父母とおじさん家族といっしょに暮らす大家族です。私に命令を下していた従兄弟の兄は元阪神タイガースの川尻選手です。彼は、野球ですが、私はサッカー/笑」。
運動神経は、2人とも抜群。中島氏もサッカーをはじめるといきなり頭角を現す。当時は、「ドラえもんに登場するジャイアンのような存在だった」と笑う。
お山の大将。サッカーはだれより巧かった。なまいき。敬語もつかわない。中学生になっても、でかい態度はかわらない。上級生にすぐ目をつけられた。
休みのベルが鳴れば、上級生が獲物を襲いにくる。多い時には、13人いたそうだ。獲物はむろん、中島氏。
「殴る、蹴るですよ。ともだちも、できやしない。だって、私と親しくしていると、奴らから目をつけられますからね」。殴られても、蹴られても、ビビらなかった。その態度が、いけなかったのだろう。いじめは、加速するばかり。
「1年間、毎日です。あいつらも、よう頑張ったもんですね。こっちは、いくらいじめられても、心は折れへんかったんですけどね」。
話すトーンは軽いが、中身は重い。サッカーはつづけたが、そちらも高校の時に断念している。もっとも、いじめは関係ない。代わりにはじめたのが、キックボクシング。

「お兄ちゃんはできる」というまじない。

自信家。「とにかく、『オレは、できる』と思っている」と中島氏は、笑う。「45歳になった今でも、無限の可能性があると思っているくらいですから」。こちらは、真剣に。
自信があるから、心が折れない。
「私は1975年生まれです。兄弟だけで4人。さっきも言ったように親戚も祖父もいっしょだから大人数です。あのなかもまれて育ちます」。
ただ、小学1年生の時には、東京を離れ、姫路にある父親の実家に移り住んでいる。
サッカーを始めたのは、3年生の頃
「経済的には、そう恵まれてなかったと思います。兄弟も多かったし。それが、だいたいわかっているから、何かをねだったことはなかった。外で、やりたい放題でしたからストレスはなかったですね/笑」。
父も、母も、どんな時も中島氏を信じ、応援してくれたそうだ。「お兄ちゃんは、なんでもできる」。
そう母に、言葉をかけられる度に力がわいた。
心が折れなかったのは、実は、父や母の応援があったからかもしれない。

バイトで、手にした未来図。

大学は大阪の阪南大学に進んでいる。「大学時代はバイトですね。料理にも目覚めます。サッカーのインストラクターもやりましたが、長いのは炉端居酒屋です」。
「できるバイトだったと思いますよ」と中島氏、会心の笑み。なんでも、料理もできるし、接客もできるスーパーバイトだったそう。将来、起業しようと思ったのも、このバイト時代。
「大学2年からですね。お客さんとのふれあいがたまらなく、楽しかった」。バイトのおかげで、将来のしっぽをつかむ。
「大学を卒業して、着物屋に就職します。独立資金のため、給料のいい会社を選びました」。話を聞くと、たしかに、給料がいい。当時で初任給25万円は、なかなかなかったはず。
ただし、営業会社。数字がすべて。ストレスはなかったんだろうか?
「飲食もそうですが、こちらも天職だったんでしょうね/笑。3ヵ月で50人中、3位の成績をおさめます。ただ、かなり引き留めてはいただいたんですが、半年で辞めて、大学時代にアルバイトをしていた店にもどりました。この店には、バイト時代を含めてトータル12年間います」。
「修業だった」と、中島氏。
「一瞬で心の距離をゼロにするコミュニケーションを会得してやろうと思っていました。正直、だれよりファンが多かったのとちがいますか」。お客さんにも、スタッフにも愛され、慕われていた。今の中島氏を観れば、ほぼイメージできる。ただし、このあと、起業するのだが、起業して半年、社員が逃げ出している。

起業と、ともだち。

「独立したのは、32歳の時です。半年くらい経った頃でしょうか。仕事をさぼったスタッフの1人を、キックボクシングの教え子だったこともあって、かなり痛めつけたんですね。それをみた、ほかのスタッフが辞めっていっちゃいます。かなり凹みましたね。当時は、いうなら恐怖で支配するみたいなイメージです。ぜんぜんいいマネジメントじゃないのはわかっても、それしか知らんかったから」。
中島氏がつぶやく。
「あの時、なんで起業しようと思ったのか、真剣に考えました。けっきょく、中学の時のいじめに行き着くんです。1年間、ともだちが1人もいなかった。『これだったんだ』って思います。なんで飲食をしようと思ったのか、独立して店をやろうと思ったのか、それは、ともだちが欲しかったからなんです」。
小さな時から、何一つねだったことのない中島氏が、はじめてねだったものが、ともだちだった。
2020年現在、中島氏は、飲食事業を軸に、通販事業、SDGs社会貢献事業、教育・飲食プロデュース事業を展開している。店舗数は4業態、10店舗。従業員数はアルバイト・パート含め150名。
60社が参加する「楽花成の会」の会長等で多忙を極める。「それ以外にも、小学生のPTAの会長を5年つづけている」と笑う。
大学でも講演し、小学生でも授業をしているというから、驚かされる。お山の大将が、いつの間にか人のために汗を流している。3人の師匠に巡り合ったからだろうか。
負けたくないから、人知れずがむしゃらにがんばった、その時から比べると、人間のスケールが何倍にもなったように映る。人として成長するというのは、こういうことなんだろうか。

フレー、フレー。

「学べば、学ぶほど、足らざるを知るですよね」と中島氏。とことん、自信家であり、努力家だ。その自信家であり、努力家でもある中島氏が描く未来図の話を最後に少し聞いた。
「『2030年に100店舗にするぞ』っていう、『てんてん大家族主義経営プロジェクト100』っていうのがあるんです。今年の初頭に、『100店舗』じゃなく、経営感覚をもったリーダーを『100人』育成すると解釈をかえました。これが、当社の今後の指針です」。
100という数字は、てんてん、つまり、10×10でも表現されている。
「ただ、私が実現したいのは、数字じゃないです。みんなの夢を、みんなで叶えたいと思っています。それには、まず10億円くらいは儲けないといけない、と。だから、これも、みんなとの共通目標ですね」。
「10億円あれば、たとえば『美容室てんてん』や、『バイクショップてんてん』ができる」と笑う。美容室? と首をかしげると、「これは、たとえ話で、たとえば『美容室をオープンしたい子がいたら』『それをみんなが応援したいとしたら』という話です」。
なるほど、素敵な話だ。
「いま私たちのキーワードは、『応援される人になろうぜ』です。一人で夢を追いかけるのもいいですが、みんながそれを応援するっていうのもいいでしょ」。
たしかに、たしかに。
でも、まだ夢がないって人はどうすればいいんでしょう?と質問を重ねてみた。
「そうですね。『これだ』っていう夢がある人ばかりじゃない。事実そうですよね。でも、それなら夢を持っている人を応援すればいいんです。それが、ちからになる」。
なるほど、たしかにそうだ。
「フレー、フレー」。
その言霊は、いずれ、「私に」「俺に」かえってくるから。
いずれにしても、だれかが、だれかを応援する会社。かつてのお山の大将は、今その会社のてっぺんに立ち、だれよりも大声でみんなを応援しているに違いない。
フレー、フレー。フレー、フレー。

思い出のアルバム
 

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