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第826回 株式会社ジョージーズ 代表取締役 春名翔仁氏
update 21/03/02
株式会社ジョージーズ
春名翔仁氏
株式会社ジョージーズ 代表取締役 春名翔仁氏
生年月日 1986年3月17日
プロフィール イタリア料理店、カフェなどで料理長また店長として、経験を積み、24歳で独立。27歳、パクチーと出会いパクチーに振り切ったパクチー鍋をリリース。月間70キロのパクチーを消費する大ヒット。のちに、イブ美豚とイブ美豚のオーナーに出会い、イブ美豚のブランド化に着手。現在、4店舗。百貨店の催事への出店や、イブ美豚の料理プロデュースを通じ、更なるブランド化を進めている。
主な業態 「じょーじぃず」「はるな」
企業HP https://haruna-g.co.jp/

ドレッドとアロハが、店長とキッチン。

「小さい頃から通知簿に協調性がないと書かれた」と笑う。なんでも、高校まで同様のコメントが繰り返されたそうだ。「ポケモンもやらんかったし、勉強もしなかった。やるのは、したいことだけ。サッカーはその一つ。ロベルトバッジョのPK外しの背中を観て、格好ええなぁと思ってはじめました」。
「そうそう、大学は子どもの頃から『行かへん』っていっていました」。
今回ご登場いただいた春名氏が生まれたのは、昭和61年。姫路城で有名な姫路市。好きなサッカーでは中学2年で初優勝。県大会でベスト8に進んでいる。高校にもサッカー部はあったが、弱小だったそう。試合の日と、バイト以外の日だけの部員だった。 兄弟は2人。「弟がいます。弟は、サッカーで兵庫県の代表になって、推薦で岡山の高校に進みました。私のほうは、高校になってもあいかわらず協調性もなくって/笑」。
パーマをかけ、派手な髪色をした高校生。「そんなんだから、アルバイトも全落ち。ただ、高校2年の時ですね、バイト募集の貼り紙をみて、ある店にとびこんだんです。社長がいらして、『おもろい奴や。夕方になったら またおいで』って。いわば、この一言が、私の飲食人生の号砲です」。
ドレッドにターバンを巻いた人、アフロヘアーはキッチンスタッフ。「オレなんかふつうやんって/笑」。
「就職である会社を受けに行ったんですが、『髪の毛きれますか?』『転勤できますか?』って矢継ぎ早に言われて…。その時に『料理がやりたいん』だって思うんです。それで、けっきょくバイトしていた店に就職することになるんですが、新しくやってきた店長に『料理したいなら、ここじゃないほうがいいよ』っていきなり言われて」。
なにがなんだかわからないなかで、飲食人生が動き出す。

24歳、軽いノリで、オープン。

元町のイタリアンに2年半。
「それなりのリストランテです。ただ、私が入社する2日前に、料理長がスタッフみんなを連れて辞めちゃいまして、料理をしたことがない私が、早くも3番手です。あの頃は朝の8時から深夜2時まで仕事です。休日もなくって、2年半でぶっ倒れました/笑」。
だから、勤務期間2年半。
「いったん姫路にもどるんですが、そのタイミングで、以前のオーナーがアメ村に店をだすから『来い』と言われて。その店で1年半、料理長をさせてもらいました。それから、堀江のカフェのオーナーに引き抜かれて、そちらで店長を務めます。そうこうしているうちに24歳に。高校の卒業文集に『店をやる』と書いた時の、年齢になりました。
じつは、私はすっかり忘れていたんですが、同級生に、『どうすんだ?』って言われて。じゃぁ、みたいな/笑」。
「あの頃はけっこう儲けていましたね。アメ村に行ってからずっと好調で、カフェの店長時代も周りの友達に比べると貰っていたと思います。だから、当時は飲食店を甘くみていたかもしれませんね。イタリアンもいいかな?と思ったんですが、けっこう他にもいい店があるし初期投資も高くなるんで、アジア料理に目を向け、2ヵ月間タイ料理店で修行して堀江で独立しました」。
24歳。希望の船出。ただ、明確な進路はまだ決まっていなかった。

パクチー鍋とパクチー食べ放題。

「1店舗目は楽勝でしたね。赤字になったこともない」と春名氏。「アルバイトと2人だけです。高校の時に、書いていたからスタートしただけで、そうですね、3年くらいは、ふつうです。やる気もそうないから、3年間メニューもおんなじ/笑」。
やる気になったのは、27歳の時。結婚したことで、スイッチONになる。「たまたまも、重なるんですが、東京に行った時に、向こうはもうパクチーブームだったんですね。もちろん、パクチーは知っていましたが、『パクチー鍋ってなんだ』と。大阪では、やっている店がなかったんですね。だから、じゃぁ、それだと」。
ボルテージが上がる。
「食べ放題も、台湾料理の店が1店舗やっているだけで、まだぜんぜんない。それで、パクチー鍋とパクチー食べ放題のお店をはじめます。これが、爆裂ヒット。予約だけで、2回転です」。
お鍋のスープはトムヤンクンと、グリーンカレー。パクチーは、これでもかというくらい器に盛った。「当時は、大阪でいちばんパクチーを買っていましたね。月間70キロ。農家さんにお願いして直取引をさせてもらっていました。料理ってたいてい自宅で食べたほうが安いんですが、パクチーに関するかぎり、うちの店で食べたほうがぜったい安かったですね」。
パクチーブーム。ただ、ブームは長くはつづかない。

イブ美豚×春名氏。

「いい豚があると、紹介いただいたのは、和歌山の『イブ美豚』でした」。
パクチーのあとは、ブタ?
「食べたらすごく旨かったんで、一度、イブ美豚の農家さんを訪問したんです。2時間くらいかな、お話して。その時、たしかに新しい店をだしたいっていうお話はしましたし、農家のオーナーさんも『ほな、イブ美豚の店やったらどうや』って。でも、初めてあって、たった2時間でしょ。まさか後日、資金も送ってくるなんて、思わないやないですか」。
最初はさすがに、断ったそう。「『まだ一回しか会ってないのに、信用できないでしょ』と。でも、オーナーさんは『大丈夫、わしにはわかるから』と、そればかり。それで、『じゃぁ、いいんですね』『おう、まかせたで』みたいな」。
おかげで、新店がオープンできたのも事実。イブ美豚専門の1号店、土佐堀店である。「あの時、オレ、決めたんです。イブ美豚と、オーナーさんのために、『オレの今からの5年間』を捧げよう、と」。
「イブ美豚ってほんとうにおいしいんですよ。イベリコ豚や黒豚以上です。配合は、『黒豚』と『イノシシ』で『イノブタ』ができて、『イノブタ』と『三元豚』で『イブ美豚』が、生まれます。驚くほど、美味です」。
この3年半で、イブ美豚専門店を大阪に4店舗オープンしている。
「百貨店の催事にも参加しますし、じつはTVにも5回くらい出ています。次にオープンする予定の岐阜のカフェの料理で、イブ美豚をプロデュースしています」。
イブ美豚にハマっている。
「いったら、2時間で私を信用してくださったイブ美豚のオーナーさんへの恩返しです。もう、充分、お返しできたかな、と思っているんですが、5年と決めましたから、あと1年半、イブ美豚のブランド化のために、あらゆるソースをつかって取り組んでいこうと思っています」。
その先も気になるが、ひとまず、ここまで。ちなみに、イブ美豚は、「イブビトン」と読む。TV番組で紹介された時には、宮川大輔さんも「うまい」と唸っている。これは確かに興味深い

思い出のアルバム
 

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