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第827回 株式会社N・I 代表取締役 河村則夫氏
update 21/03/09
株式会社N・I
河村則夫氏
株式会社N・I 代表取締役 河村則夫氏
生年月日 1976年2月17日
プロフィール 高校卒業後、企業の野球部で野球を続けるが、2年で退職。30歳で独立すると宣言し、飲食の道をスタート。本格的な和食割烹で修業を開始。30歳を待たず27歳で独立。33歳の時に、株式会社N・Iを設立している。
主な業態 「にほんいち」「ま王」「まあさん」「馬王」他
企業HP http://ni-290.co.jp/

20歳の大法螺。

小学2年生から野球をはじめ、小・中・高とキャプテンを務めている。
高校は、渋谷高校。公立だが、甲子園出場経験もある名門高校だ。入学当初は部員数も多かったが、「1週間で1/2になった」と河村氏は笑う。
河村氏は早くから試合にも出場し、前述通りキャプテンも務める。だが、河村氏が3年生の時、暴力問題で、出場停止になる。けっきょく、3年時の公式戦はゼロだったそうだ。
就職は、最大手デジタル製品の販売会社へ。「お金がないから、大学進学は最初から頭になかったし、だいたい何も考えてなかったですね。この会社に進んだのは、監督のつながりがあったから。軟式野球部があって、入部するのが条件。野球はともかく、サラリーマンはぜんぜん性に合わなかったですね/笑」
けっきょく、2年で辞めている。
野球をつづけたかったが、限界も感じた。だからといって、下を向かないのが河村氏という人だ。「会社を辞める時には30歳までに独立すると言いふらしていました」と笑う。
「大法螺」と笑う人もいたかもしれない。しかし、本人はちがう。言ったからにはうそつきになりたくない。だから、本人にとっては、大法螺が原動力。これが、河村氏の流儀。とにかく、20歳の時の決意は、「約束」という二文字でロックオンされた。

体力・気合・根性。

「ホームページにも書いていますが、居酒屋で独立したいと、20歳で飲食業界に飛び込みます」。20歳、料理人を志すには、けっして早いほうではない。河村氏も、16歳や17歳の兄弟子に顎でつかわれる様子を想像していたそうだ。ただ、ほかの選択肢がなかったのも事実だし、やりたい思いがつよかった。
「やるからには野球といっしょ、基本が大事だと思いました。それで、お世話になったのが、和食割烹です。こちらで6年、修業させていただきます」。
給料は10万円あるかないか。薄給に映るが、ひと昔前は、これがスタンダード。
「夜は、大手チェーンの居酒屋でアルバイトです。あの頃は1日中、仕事ですね。体力・気合・根性。野球を経験していなかったら、根を上げていたかもしれませんね」。
深夜のバイトは週3日。朝まで仕事をつづけ、その日は、寝ない。2日に一度の睡眠だったが、アドレナリン、全開。「ちからのない奴は、時間を遣うしかない。だから、そうしてきた」と河村氏。
独立という約束に向け、ひた走る。

店長に抜擢されるも、大失敗。

「転機になったのは26歳の時ですね。バイト先の社長から『店を出すから、店長やらへんか?』と声をかけていただきます」。むろん、答えは、「イエス」。割烹を退職し、バイト先に勇んで就職。ただし、店長の経験はない。
「大失敗をやらかします」。
どういうことだろう?
「私が経験してきたのは、野球部だし、割烹の世界です。上下関係はきついし、言葉もきつい。だから、ぜんぜん人がついてきません。アルバイトにも、真剣に怒るもんですから、つづかない」。
それで、大失敗?
「そうです。ただ、いったん外されるんですが、ちがう新店でもう一度、チャンスをもらいます。そちらで起死回生。再度、最初の店にもカムバックし、けっきょく2つの店舗、いずれも大繁盛させることができました」。
「失敗せな、大きくならへん」と河村氏はいう。「わずか、1年でしたが、この1年で経営者としての自信も深まりました」。
失敗を通し、自信といっしょに、人を動かす術も会得した。ちからがないから、時間を遣ったとするなら、濃厚な1年だったにちがいない。

ゴールの向こうが、いちばんの勝負時。

「たまたま隣の駅にいい物件が出て、社長が『やるか』と言ってくださったので、二つ返事で、『やります』と。これが27歳の時です」。
目標より3年早く、ゴールテープを切ったことになる。もちろん、ゴールの向こうが、いちばんの勝負時。結果からいうと、当初は、一進一退というところか。河村氏いわく、きっちりと、コミュニケーションをとったのがいけなかったそうだ。いつかの大失敗と、ある意味、おなじ。到来したチャンスを、もう少しで手放すところだった。
「ある会社に、マネージャーで就職します。店は、つづけていましたから、経営者でありながら、他社のマネージャーになったわけです。給料は、比較にならないくらい下がりましたが、とにかく、様々な経営者にお会いでき、勉強になりました」。
この会社で、河村氏は4年勤めている。マネージャーとして、物件やメニューの開発、給料をはじめとしたさまざまな制度設計にもかかわっている。実践を通し、学んだことも少なくない。じつは、1年で役員にもなっている。
「この4年でできた、仕入先とのネットワークが、のちに大きな財産になります。このあと、こちらの会社を退職し、不良債権を買い取るように店舗をだしていくんですが、仕入れ価格がちがうので、最初から利益が改善することがわかっていました」。
株式会社N・Iを設立したのは、33歳の時。
「向こうの会社では、役員だったんですが、役員といってもやりたいようにはできない。だから、2009年の8月末で退職し、翌9月3日に改めて1号店をオープンします」。
11月には、買い取った3店舗を合わせ、合計4店舗に。「あと1店舗も合わせ、1年で計5店舗出店します」。それから、このインタビューまでおよそ10年。40店舗だし、残っているのは20店舗。スクラップアンドビルド。この数字は、経営判断の早さを示している。
ゴールテープを切ったあとを10年のスパンでみると、大成功といえるのではないだろうか。

ピンチの度に、つよくなる。

「この10年で様々な体制をつくりました。もう昔のように、手足で語らなくても、ちゃんとコミュニケーションができるようにもなりましたしね/笑」。
「1日8時間労働。週休2日。給料は30万円以上」。
この10年、目標としてきた数字の一つだ。
「もうすぐってところで、コロナウイルスです。なんとか、やってきましたが、スタッフには、申し訳ないことに負担をかけています」。
なんでも、内部留保の4000万円が、この1年で底をついたそう。「ギリギリですね。でも、ぎゃくにこれもいい試練です」。やはり、河村氏は下を向かない。だから、社員とも、アルバイトとも、ぎゃくに絆がつよくなったのではないか。
「今期のマイナスを、来期で取り戻す」。
河村氏の宣言は、いまや全社員の言葉にもなっているはずだ。もっとも、この大法螺もまた、法螺でなくすのは簡単ではない。「今のままでは、現実的ではありません。だから、新たな方向も、模索しています」。
「デリバリー」や「物販」「ECサイト」「ゴーストレストラン」もスタートしている。経営判断の早さは、ここにも表れている。
「従来の店舗の売上げは、8割程度はもどると見込んでいますが、残り2割を、デリバリーなどほかのサービスでプラスしていく予定です。じつは、先日、ラーメン店もオープンしました。コロナ禍の下でもつよい業態の一つですから。郊外型の焼肉にもお客さんがもどりつつありますので、そうした業態もチャレンジしていきたいですね」。
ピンチの度に、つよくなる。
まさに、河村氏の生き様だ。人生の公式戦は、むろん、負けるわけにはいかない。スタッフの思いも、背負っているからだ。

思い出のアルバム
 
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