株式会社ブロスダイニング 代表取締役社長 鈴木一生氏 | |
生年月日 | 1972年12月8日 |
プロフィール | 辻調理師学校卒。株式会社「なだ万」に就職し、料理の道を極めはじめる。その時の料理長が、2代目、和食の鉄人、中村孝明氏。香港での勤務を経て、株式会社孝明の「中村孝明有明店」の立ち上げに参加。総料理長に就任するなどしたあと、株式会社ノバレーゼにスカウトされ、同社に移り、「三瀧荘」の料理長を経て、取締役に。2019年より現職の株式会社ブロスダイニング、代表取締役社長。 |
主な業態 | 「SHARI THE TOKYO SUSHI BAR」「SERAFINA NEWYORK」「鉄板みたき」「CRAFT」 |
企業HP | https://brothdining.co.jp/ |
牛肉を克服したのは高校生になってから。それまでは、ささみとミンチが主なメニューだったと、こちらを笑わせる。
今や生粋の料理人であり、ブロスダイニングの社長でもある鈴木氏の言葉だから、にわかに信じられなかった。「中学になっても背が低く、高校でも150センチくらい。高校になって小学校からやっていた野球を辞めるんですが、背が低かったのも理由の一つです/笑」
なんでも、小学校の頃から、前へならえをしたことがないそうだ。
鈴木氏が生まれたのは、1972年12月8日。パナソニックの本社もある守口市出身である。小学校は5クラス、中学校は12クラス。「からだは小さかったですが、野球はそこそこうまかったですね。守備は、ショートやセカンド」。
じつは、苦労もされている。
「私が中学に上がる頃、両親が離婚します。お金もなかった。中学になると、野球が軟式から硬式になるんですが、硬式になると、グローブも万単位です。だぶん、母が借金をして買ってくれたんでしょうね」。
野球を辞めたもう一つの理由は経済的な問題だった。
「高校時代から様々なバイトをしました。今思えばいい経験です。大学進学は、最初から頭になかったですね。私たちの頃って、ITとかPCとか、そういう流れが加速する時代でした。じつは、私も最初、そちらへ、と思っていたんですが、何しろ、難しい/笑」。
だから、料理に進んだ。もっともミンチとささみで育った人間だ。食材も、そう知らないし、料理に対する関心も薄い。
「ただし、母が仕事に追われていましたから、興味はなくても料理は経験しています。父親の知り合いが辻調の先生だったこともきっかけになりました」。
大学進学という選択肢もなかったし、ITに進むことも、断念した。残り物には、「福」があるともいうが、さて?
辻調理師専門学校で専攻したのは、フレンチだったそう。たぶん、それ以外は未知だったのではないか。イタリアンも、中華も、食べたことがない。しかしフランス語を覚えるのが大変だったため和食の道に。
「1年制なんですが、正直言うと勉強はそっちのけで、あんまりしていない。にもかかわらず、就職するなら、吉兆だ、なんて思っていましたから、吉兆さんには、失礼な話です。しかも、笑っちゃうんですが、大事な吉兆さんの説明会の日を失念して、ともだちと旅行に…。思い出したのは、どこでだったと思います?」。
答えは、鳥取県の砂丘の上。砂の丘に立ち、「あっ」と叫んだにちがいない。それでも、恵まれている。鈴木氏が、就職したのは、株式会社なだ万。吉兆と双璧をなす、和食の料理店だ。
「今思うと、たしかに恵まれていたと思います。時代的にも、売手市場だったんでしょうね。早く家を出たいとも思っていた私は、東京のホテルニューオータニのなだ万を希望します」。
いきなり東京へ。
「守口の田舎者が、思い切ったもんですね。でも、これが、私の人生をひらくんです」。
鈴木氏が19歳だから、1991年のこと。バブルの残滓は至るところに残っていた。「料理人も、そうですね。私の同期だけで20人はいたと思います。その時の、料理長が中村孝明さんだったんです」。
孝明氏といえば、フジTVの「和の鉄人」ですよね?
「そうです。2代目、和の鉄人です」。
「同期ですか? 1週間、2週間とだんだん人が減ります」。「あの頃は」と言いながら、当時の様子を教えてくれたが、文字に起こすのは、気がひけるので、そこは、想像にお任せすることにしよう。
「私の場合は、帰るところがなかった。だから、辞められなかったが、正直なところですね」。辞めない、辞められない。どちらが正しいかはわからないが、しがみつき、残ったことは正解だった。
ところで、料理人になるには、問題があったのでは? と聞いてみた。
「偏食のことですよね」といって、鈴木氏は、笑う。
そう、ミンチとささみと、多少の牛肉の話です。
「料理人になって100%、なんでも食べられるようになりました。昔は、のどを通らなかった牛肉も、もちろんへっちゃら」。
仕事ですからね、そんな言葉がついてでてきそうだった。
「私が辞めなかったのは、先輩たちにかわいがってもらっていたから。孝明さんにも目をかけていただきました。たぶん、要領のいい小僧だったんでしょうね」。
料理の上手い下手より先に、機転や気遣いといった人間力が試されると昔、料理のプロ中のプロに聞いたことがある。もって生まれた才能と言っていんだんだろうか? それとも、苦労した結果なのだろうか?
とにかく、和の鉄人にとっても、鈴木氏は大事な部下の1人になっていく。
「なだ万には、合計8年いた計算です。ニューオータニに4年、大阪で1年、2年半ほど、香港です」。鈴木氏は、25歳で香港に渡り、「香港シャングリラホテルなだ万」に勤務している。
「海外旅行に行ったことがないし、和食なのに、なんで中国なんやろ? と、抵抗があったのも事実です。それでも、辞令をうけて、香港に向かうわけですが、ちょうど香港が中国に返還されて、3ヵ月くらい経った頃だったんですね。だから、向こうも新時代の時だったんでしょうね」。
日本人は鈴木氏を含め9人だったそう。鈴木は下から2番目。使いっ走り。ただ、この香港行きも、結果として鈴木氏を育てることになる。
「だって、日本にいたら、下っ端ですからね、魚もさわれません。それがスタンダードだったんですが、香港ではそうは言ってられなかったんでしょうね。9人ですから。だから、私にも魚を下ろさせてくれた。料理人としては、貴重な経験です」。
たしかに、実践できるかどうかは、大きな差を生む。
「最初は2年契約だったんですが、結局2年半いました。孝明さんにお誘いいただいたのは、帰国してからですね」。
じつは鈴木氏、27歳で「なだ万」を辞めると決めていたそうだ。料理人として、独立するか。それとも、大手チェーン店で料理人の仕事をそつなくこなすか。そのいずれか、で。
そんな鈴木氏に、中村孝明氏が声をかける。
「会社をつくるから、ついてこないか」と。
鈴木氏は、どんな思いでその一言を聞いたんだろう?
とにもかくにも、孝明氏のチャレンジに参加した鈴木氏は、孝明氏の期待通り、頭角を現す。副料理長、料理長を経て、30代で取締役総料理長にも就任している。
「結局、36歳の頃まで在籍しました。それから、いったんノバレーゼに移るんですが、また舞い戻りました/笑」。
その間、苦労もされている。そのすべてが、いまにつながるというと、客観的なものいいになってしまうだろうか。「じつは、ノバレーゼと、孝明さんの会社は、同時期の創業なんです。ただ、こちらは10億円、向こうというのはノバレーゼですが、100億円ですからね、正直、えらい違いやな、と。」。
ノバレーゼはブライダルがメイン事業ですよね?
「そうです。ただ、レストランもブライダルの一つの柱です。最初にお誘いいただいた時は、諏訪湖のお店だったんですが、あまりに田舎すぎて/笑。それでいったんご遠慮したんですが、そのあともう一度お誘いいただいて、今度は広島の『三瀧荘』という由緒ある料亭をノバレーゼが賃借として扱い、そちらで6〜7年、料理長をさせてもらいました。ノバレーゼでは今で合計11年くらいになります」。
ノバレーゼから、レストラン事業に特化するためにつくられたのが、ブロスダイニング。鈴木氏が社長に就任したのは、2019年のこと。
「孝明さんの下にいた頃も役員をさせていただいたんですが、ノバレーゼで改めて経営について教えていただいたと思います」。
料理の道に人生を託し、なだ万で修業し、中村孝明という巨匠に出会い、経営の神髄をノバレーゼで学ぶ。これだけ恵まれた環境を手にした人も少ないだろう。
実力があったからこそなのだが、鈴木氏はそうとは言わない。
「孝明さんはもちろんですが、ノバレーゼの役員の方々にひっぱっていただき、私の下についた部下たちが、私をかつぎ、押し上げてくれてからこそ、いまがあるんだと思っています」と素直に感謝の言葉を口にする。この一言が、鈴木氏という人の人格を物語っている気がしてならない。
「不謹慎なところはありますが、コロナになってある意味よかったと思っています。何がたりないか、それが明確になると思うからです」。
売り上げは正直きびしい。しかし、だれ一人辞めさせてはいない。社長としてはもちろんだが、いまや自身が中村氏を師と仰いだように、料理の師として鈴木氏を仰ぐ人も少なくないことだろう。
だからこそ、悩みも少なくないはずだ。そのなかでどうハンドリングしていくか。経営者しての力量も、料理人としての矜持も、問われることになる。
しかし、それ以上に人間、鈴木一生が問われることになるのではないだろうか?
「昔のようになるには、数年かかる」。鈴木氏は、コロナ禍をそうみている、その時まで何をどうするか。決断は、経営者、鈴木氏にゆだねられている。
ちなみに、鈴木氏は、プロスダイニングの役割を料理人の目でもみつめ、可能性を感じている。ウエディングレストランという位置づけではなかなかできない独創的な料理づくりなど、料理人として新たなチャレンジができるステージ、という意味で。
そちらは、料理人、鈴木氏の腕の見せ所だ。
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