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第84回 株式会社ピューターズ 代表取締役社長 松下義晴氏
update 09/12/01
株式会社ピューターズ
松下義晴氏
株式会社ピューターズ 代表取締役社長 松下義晴氏
生年月日 1962年12月28日生まれ。
プロフィール 三人兄弟の長男として、恵比寿で生まれ、育つ。実家は、1966年創業の「松栄寿司」を経営する老舗の寿司店。92年にこの寿司店を引き継ぎ、95年に、株式会社ピューターズを設立。次男、三男も、経営に参加し、現在は、国内15店舗、海外に2店舗を展開する。スポーツ好きで、子どもの頃から、野球、バレー、ゴルフ、サーフィンと、さまざまなジャンルに挑戦する。料理人の道場六三郎氏や陳建一氏、ゴルフの片山晋呉氏など交友関係も広い。
主な業態 「焼肉チャンピオン」「MASA'S KITCHEN 47」「松栄」「松下」など
企業HP http://www.pewters.co.jp/

1992年、老舗の寿司屋が、生まれ変わる。

良くある下町の寿司屋が、1992年に改装され、スタイリッシュなたたずまいに変貌した。檜のカウンターの前に、カッシーナの椅子がならぶ。「この椅子一脚が30万円もしたんです」と、今回登場いただく株式会社ピューターズ 代表取締役社長 松下義晴は、第二の創業当時を振り返える。いまの「松栄」からは想像しにくいが、当初は、改装費が足りず、2階はたたみ部屋のままだったらしい。改装後、客単価は一気に1万円オーバー。高級店の仲間入りである。当時、まだ珍しかった、このスタイリッシュな寿司屋に取材が殺到する。著名な雑誌で取り上げられ話題をさらった。ともかく「恵比寿」という「町」が「街」へと変貌するなかで、取り残されかねなかった老舗の寿司屋が、いまの「恵比寿」を象徴するような近代的な店に生まれ変わったのである。

将来の夢は、野球選手。

松下は、1962年、1966年創業の「松栄寿司」を経営する寿司屋の、長男として生まれ、育つ。将来の夢は、野球選手。当時は、たいていの子どもが野球選手になりたかった時代である。小学生時代から野球をはじめた松下だったが、中学校に野球部がなかったこともあって、中学進学後は水泳やテニスなどいろいろな部を渡り歩く。スポーツは得意だった。都大会で上位を占めるバレーボール部に勧誘され続けたのも、そのため。中学2年生の秋になり、入部。都で3位の成績を残している。これから後も、松下は「スポーツ」に多くの時間を割いていく。野球選手にはなれなかったが、からだを動かす楽しみは、修得することができた。

野球選手、改め、プロゴルファーに。

松下は「斬新さ」を好むことが良くある。当時、いまほどゴルフブームではなかったにも関わらず、高校進学時には「将来、プロゴルファー」になろうと決意。ゴルフ部がある専修大学の付属高校に進んだ。「大学にそのまま進学できるだろうという思いもあった」と松下。高校進学後は、一年生の時から生徒会に入り、ゴルフ部と生徒会を行き来することになるのだが、実際には「めんどくさくて、どちらもさぼった」と白状する。何しろ、部といっても名ばかり。それが、我慢ならなかったようだ。だから大会に参加しても強いはずがない。ところが高校2年の夏の大会で、松下はいきなりハーフを37で回った。部、設立以来、初の予選通過が目の前に。スポーツ誌のインタビューまで受け、翌日の朝刊にコメントが掲載された。だが、「ジュースを飲みすぎて最後の方ではお腹まで痛くなって、敗退してしまった」とのことだ。余談だが、現在も松下はゴルフを続けている。ハンディは「8」。ホールは80台で回るそうだ。料理人たちが参加する大会には良く出場していて、道場六三郎氏や陳建一氏とも競っている。2009年の成績は、3回出場し、優勝が2回、2位が1回。プロゴルファーの片山晋呉氏とも交友があり、共にコースを回ることもあるそうだ。

高校卒業後は、サーフィンにハマり、そして、ついに商売にハマる。

「向こうを八時にでればだいたい10時には店に着く」と松下はいう。向こうとは、湘南の海のことだ。高校を卒業した松下は、実家の寿司屋に就職。だが、仕事より先にサーフィンにハマってしまった。だから、明け方から海に行き、台風が来ると知ると、心を高鳴らせてしまうのだった。一方、寿司屋の修行でも手は抜かなかった。「ただ、次男がやがて本格的な寿司屋へ修行に行くんですが、後で一緒に店をやるようになって弟をみているとやはり基本ができているんですね。私の場合は、実家の店で2年、親戚の店で2年修行させてもらったんですが、上の人が入れ替わったこともあって、なかなかちゃんと修行ができなかった」とも言っている。とはいえ、料理のセンスは抜群だ。好奇心も旺盛。料理人としての素養は十分にある。22歳で六本木に出店した20坪の店舗を任されたのもそれゆえだろう。

「恵比寿」の街を変える、新業態を次々に開発。

スポーツでもそうだが、松下はひとつのところに留まらない。「持続力がないから」というが、逆にいえば、それだけ好奇心が旺盛だからなのだろう。商売でも、旺盛な好奇心を発揮する。92年、父から家業を引き継ぎ、寿司屋である「松栄寿司」を改装してからも、95年にウエイティングバー「松下」、97年に同じく「松虎」、99年には、「夜遅くに、呑める蕎麦屋」というコンセプトで手打ち蕎麦「松玄」、ほかにも、炉端、立ち飲み、スペインバルと次々に異業態を立ち上げ、成功していく。主戦場は、生まれ育った「恵比寿」。海外(ハワイ、ニューヨーク)の2店舗を別にすると、1店舗ある国内店舗のうち10店が「恵比寿」にある。いつの間にか、「恵比寿」の街を変えるところまできたような気がする。A-5ランクの厳選肉で話題の「焼肉チャンピオン」も松下が経営するお店だ。次の戦略は? と尋ねると、明確な答えは返ってこなかった。だが、話題をさらうような店舗を出店すべく、そのチャンスを虎視眈々と狙っているような気がしてならない。

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