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第842回 株式会社デフ イート 代表取締役 高村峻允氏
update 21/06/29
株式会社デフ イート
高村峻允氏
株式会社デフ イート 代表取締役 高村峻允氏
生年月日 1984月2月5日
プロフィール 15歳からヒップホップダンスをはじめる。イベントなどにも招待されるが、ダンスだけでは食べてはいけない。横須賀米軍基地でアルバイトをはじめ、のち、正社員に。ダンスは23歳で辞め、仕事をかけもちするように、いくつかの事業を起業。28歳、友人に誘われ、立飲み店を創業し、社長になる。30歳で基地での仕事は辞し、飲食1本に。2021年現在、FC希望者からの問い合わせも多い人気店、5業態、7店舗を経営している。
主な業態 「チャコールスタンド」「もつ肉店」「大衆食堂2.0とぽす」「まんてんプロ」他
企業HP https://defeat.base.shop/

ダンサー、もしくは、公務員。

ダンサーで食べていけるとは思っていなかった、と高村氏。15歳からダンスをはじめ、進学校に進むも大学ははやくから断念。街にくりだしては、ストリートで踊った。
「横浜のビルの下、アパレルのショーウィンドウにすがたを映しながら、練習していました。大会には出場していません。イベント中心です。大手事務所から仕事をいただいたりもしました」。
当時は、まだダンスで食べている人はいなかったそう。だから、冒頭の言葉になる。けっきょくダンスは、23歳で卒業している。
「20歳でダンスチームを解散して、それからは個人で活動をつづけます。その頃、アメリカに行こうと思い立つんです。そのためには英語がしゃべれないといけないでしょ」。
どうするか、と思っていた時、先輩が声をかけてくれた。「だったら米軍基地の両替所でバイトすればいい」と。これが、第二のストーリーの始まり。
なんでも、面接でしゃべったのは「マイ ネイム イズ」だけだったらしい。それでも、合格し、21歳で社員にもなっている。立場は、副公務員。
基地は、東京ドーム10個がすっぽり入るくらいの広さだったそう。副公務員というのは、両替書を運営していたのが防衛庁だったから。いうなら、ダンスを踊る、公務員だ。

開業。ともだちに誘われ、社長になる。

高村氏は1984年、横浜に生まれている。いわゆるジャパニーズスラムの、団地っ子だった、と笑う。ダンスは、姉の同級生から影響を受けてはじめたそう。
スポーツは野球を少し。「大学に進む気はなかったですが、理学療法士がいいかな、と専門学校に進むことも考えました」。
けっきょく、ストーリーは既述の両替所につづく。
結婚は24歳の時。独立は28歳の時だそう。
「私たちは、副業がOKだったんです。だから、基地での仕事と並行して飲食の仕事もしていました。この店は、28歳の時に、同級生2人と創業した、もつ肉の立飲みです」。
同級生が「のれん分けで独立するから、いっしょにしないか」と声をかけてくれたそう。おもしろい話をする。「その時ね、社長になりたかったし、『社長にしてくれるならいいよ』って言って。それで、私が今も社長です/笑」。
高村氏は飲食未経験だが、なぜか調理師免許を取得していたという。本人曰く、「米軍基地時代に暇だったから、独学で取得した」んだそう。結果、それが役立ったから、人生わからない。
「基地の仕事を辞めるのは30歳ですから、2年ちかく、二足の草鞋です。オープンから半年は、給料をとってなかったですね」。
オープンしたのは、ホームグラウンドの関内。1・2階合わせ、15坪の立飲み。「安定したのは、半年くらい経った頃ですね。2年目になって2号店、最初から、3年で3店舗と計画していました。私も基地を辞めて、こちら専業に」。
リスクはさして感じていなかったようだ。

コロナ禍の模索。

「もし、最初のメンバーだけなら、3店舗でよかったかもしれません。ただ、そのあとも同級生が3人参加することになって。だったら、3店舗では少ないでしょ」。
創業は、2012年。インタビュー時で9年が経っている。「最初は、都内へ、なんて思ったこともありましたが、いまのところ全店、横浜の中区です」。
5業態、7店舗すべてですか?
「そうです。だいたい遠くに行くのが苦手な性格なんです/笑。経営は楽じゃないですね。5月で10周年になりますが、いちばんたいへんだったのは、昨年(2020年)の4月。都や国のサポートもぜんぜん整っていなかったから」。
「とても不安だった。今は、雇用助成金などもありますから、なんとか」とつぶやく。
全店ではないが、長らく閉めている店もあるそう。とはいえ、指をくわえているわけではない。振興会から依頼を受けて、療養ホテルに療養患者向けの弁当をつくり、配達している。多い時は、夜だけで100食ちかくになったりするのだそう。
新ブランドのラーメン店も始めるそう。「都内の有名なラーメン店と組んで仕掛ける予定です」とのこと。着々と布石は打っている。
「じつは、この会社の前にも、いろんな事業をしているんです。パーソナルジムのトレーナーとかね」と、高村氏。そういう経験があって、逆に飲食は未経験からスタート。その経歴を紐解けば、コロナ禍のなかでも、一般の飲食店とちがうアプローチができるかもしれない。
「飲食店=店舗展開というのも、ちょっとヘンだなと。だから、通信販売や卸売り、スーパーさんにも販路を広げていければと思っています」。
いまはまだ模索中のことも多い。

(コロナを)打ち負かす。

もとダンサーという異色の経歴をもつ、飲食経営者、高村氏。
「ダンサーをしたい」と、父親に告げた時、「23歳まで好きなことをすればいい」という返答だったそう。その言葉を守り、23歳でダンサーを辞めている。
「職業ではなく、好きでやっていた仕事ですからね」。
スキかキライかと言えば、今の仕事も「好き」なんだろう。ただ、社長業は、「好き」だけではやってはいけない。社員のことが心配になる。
「そうですね。社員のことが何より気になりますね。コロナが収まり、ふつうにもどるには、まだまだ時間がかかりそうですが、それまでなんとか頑張らないといけませんね」。
脱コロナになれば、みんなで宴を。その時には、得意のダンスを披露してくれるかもしれない。
ちなみに、社名の「Def eat」の意味は、「(敵を)打ち負かす」という意味。
「ただ、それだけじゃなく、『def』はスラングで『衝撃』っていう意味なんです」。
そこに、プラス『eat』ですね?
「そう。それにね、もう一つ。『Drink Entertainment Food』の頭文字をとって『Def』っていう意味も」。
いずれもしっくりくる、いい意味だ。
ただ、いまの時代でいえば、(コロナを)打ち負かす、でいいかもしれない。

思い出のアルバム
 

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