株式会社PLEIN 代表取締役 中尾太一氏 | |
生年月日 | 1992年1月30日 |
プロフィール | 料理人 兼 経営者と名乗る。インタビュー時の2021年で29歳。調理師学校卒業後「星野リゾート」「Smiles:」を経て、25歳で独立。コロナ禍の下でも出店を加速し、29歳の若さでありながら・東京都表参道・麻布十番・恵比寿など中心に5店舗の飲食店運営とオンラインショップの経営、プロデュース事業でも高評価を獲得している新進気鋭の経営者。 |
主な業態 | 「Bistro plein」「Atelier plein」「michiru by plein」「BIRTH DINING by plein」 |
企業HP | http://replein.com/ |
小中高とサッカーに明け暮れた。両親は、ともにリクルートでバリバリと仕事をする姿が印象的で、教育熱心。
中学時代からたくさんのビジネス書を読まされていたそうだ。
「サッカーは小学校からはじめ、高校まで12年間続けました。中学・高校では副キャプテンを務めていました」。
人生の分岐点は?と聞くと、「料理学校に進学すると決めたこと」と予想外の答え。
てっきり大学進学が既定路線と思っていたがなぜ?
「そうですね。私もそう思っていて、高校1年から予備校にも通っていたんです。サッカー部の引退後、燃え尽きてしまって受験勉強にどうしても身が入らず、受験から逃げる様に何となくマクドナルドでバイトはじめます。親には部活をやっていた時間をバイトするだけで、勉強と両立するからと苦しい言い訳をして無理やり始めました。笑」。
それが、きっかけ?
「そうなんです。たまたま食べるのが好きで何となく始めたのですが、サッカーに注いでいた情熱をバイトに注ぎました。たった3ヵ月でマネージャー候補になり、表彰などもされました」。
それはすごい。
「ひたむきさというか、今思うとそういうのが認められたんでしょうね。ただ、こっちは、それが何であれ、評価されたのがうれしくて、フードビジネスに向いていると思い込んでしまったんです/笑」。
構想はふくらみ、マクドナルドのような従業員が楽しく働ける食の会社をつくるのが、目標になる。
18歳で生涯の仕事に出会ったと思った。しかし、教育熱心なお父様は、飲食の道に進むことを許してくれるのだろうか?
「高校を卒業し、調理師学校に進むんですが、きっかけは、父親の一言です」。
どう言われたんですか?
「18歳の時に父親に、フードビジネスで経営したい話をすると、最初は反対されました。飲食業界は大変な仕事。もしやるのであれば、職人的な専門性があって、ビジネススキルの両輪がある人が成功すると思う。食のプロフェッショナルスキルを持ったジェネラリストになるキャリアを積むなら、大学ではなく調理師学校にいってもよい。食の世界で料理とビジネスを両立出来る人になりなさい』と言われます」。
父親の事は尊敬していたので、言われた言葉に納得した。
「大学進学を辞め2年制の調理師学校の服部学園に進学しました。飲食業を極めるために料理を始めようというきっかけです」。
「服部では、和・洋・中、全ジャンル勉強させてもらいました。ただ、ジャンルが決められなくて、その時、アドバイスいただいたのが、『それならフランス料理をすれば』だったんです。フレンチなら他の料理に応用が利くと言われた事が理由です。今思えばその選択は正しかったと思います」。
そうとは聞いていないが、素直な性格なのかもしれない。
卒業後、中尾氏は2つの会社を経験している。
「就職したのは、星野リゾートです。軽井沢のホテルブレストンコートで、フレンチを研鑽します。ただ、料理の一方で、業務の改善にも自主的に取り組みはじめるんです」。
中学時代に読んだビジネス書やマクドナルドのアルバイトの経験から?
「そうですね。周りからはヘンな新人と思われていたはずです。恥ずかしながら同期入社の中でも出来も悪かったです/笑。ただ出来ない分、休みの日も黙々と料理・経営の勉強をしたり、ひたむきには働いていました」。
ただ、そのヘンな新人を上層部はしっかりとみていたようだ。3年目にはグループ全体の料飲部門を取りまとめる、本社のグループ統括へと異動している。グループ統括は、役員直下のポジション。
「星野リゾートは、すごく楽しかったですね。環境に恵まれて全国各地でたくさんの事を経験させて頂き社会人としての礎を築いて頂きました。このあと、『Soup Stock Tokyo』を展開するSmilesに移ります」。
転職の理由は何だったんですか?
「星野リゾートとは非日常な体験を創る会社だったので、日常を豊かにする事業を経験したかったからです。Smilesに転職したのは、ちょうどレストラン事業をはじめるタイミングで、社風にも共感し新規事業にチャレンジしたいと思って転職を決意しました。」
起業の疑似体験ですね?
「smilesは、とてもいい経験になったと思います。魅力的な人、事業に溢れていました。 ただ、あまりにも楽しすぎて、起業のタイミングを逸してしまいそうだった」といっている。
25歳で株式会社PLEINを設立する形で起業した。
「18歳の時から、20代のうちに500万円貯金出来たら起業すると決めていて、とても良い2社で働けたお陰で目標通り500万円貯金できたのでチャレンジしようと思いました。表参道の地下にオープンしたのが、1号店です。駅から離れた地下の店舗。どこの不動産からも物件を貸してもらえず、希望のエリアで取得できるのが、その店だけだったんです。業績ですか? 最初の半年くらいは、ぜんぜんだめでした」。
何度も閉店・倒産を覚悟したそうだ。
「軍資金は18歳からコツコツと貯金して貯めた500万円のみ。身内の工面なども全て断り、事業計画書を持って銀行に何度も足を運び、融資をもらって起業しました。とにかくお金がなかった」。
ぜんぜん届かなかった?
「毎月100万円以上の赤字です。従業員に給与も払えないので創業当初はバイトもしました。だからといって、お金ももうないし、どうすることもできない。守られていた会社の看板を外すと自分が何もできない事を嫌という程痛感しました」。
綱渡り?
「そうです。お金もノウハウも人脈もブランド何もない。ただ自分を信じて美味しい料理と、おもてなしを愚直にすることしかできません。ちょうど4ヵ月目くらいでしょうか。グルメサイトの評価がだんだん上がってきて、雑誌にも取り上げられて」。
地下へとつづく階段を降りる人が、後をたたなくなる。1年過ぎた頃には、13坪の小さなお店で平均月商400万円をオーバーしたという。最高月商は1店舗で800万円。
言っておくが、24時間・年中無休ではない。創業時から全従業員の週休2日制を貫くために定休日を週2日設け、ディナー営業のみでこの実績。
閑古鳥は飛び立ち、毎夜、ただしくいえば、週5日、夜になると、歓声があがった。
2店舗目も麻布十番に順調に出店した。しかし、3年目に、コロナが待っていた。
「じつは、3店舗目以降を出店したのは、コロナになってからなんです」と中尾氏。コロナ禍の下で、逆に出店を加速している。
「コロナで、生活様式も、ニーズも、すべてがかわると思うんです。コロナが2年つづくとすると、もう今からやらないと遅いと思っています。事業成立のためのいわゆる助走期間がいりますから守るために攻めないといけない」。
スパイスカレー専門店も、そうした試みの一つですか?
「そうです。アフタヌーンティー専門店もスタートしています。コロナ禍でも豊かな食を提供出来る様チャレンジをしています」。
なるほどの戦略だ。しかし、資金は大丈夫なんだろうか?
「コロナ禍ですがお客様、従業員、取引業者様に恵まれて、順調に新規出店を出来るくらいの経営を実現できています。厳しい世の中ですが限られた経営資源を従業員の給与や生活を守りながら、関わる人が食を通じて豊かになる未来を創る投資に使いたいと考えています」。
コロナ禍でも成長は止まらず、創業4年目でグループ従業員数は2021年5月現在24名、15名の正社員を抱える中小企業になった。
5店舗になった今も全店舗定休日を週2日設けながら、週休2日制を維持し、仕事のやりがいとプライベートのバランスを目指した運営体制を日々磨いている。
「たしかに、コロナはたいへんですが、我々のようなチャレンジャーにはいまがチャンスでもあります」。
1992年生まれの29歳。たしかにまだ守りに入る年齢ではない。どんな挑戦をつづけていくのだろうか。
「私たちのビジョンは、外食産業を憧れの仕事にすること。『食を通じて関わる人を幸せにする』がミッション」という。中尾氏によれば、現在、出店を加速しているのは、生産者の支援もかねているとのこと。
「出店をすれば、投資額・固定費が増えるので一時的に利益額は減ります。ただ良い店を作り、店舗数が増えればグループ全体の売上高は増えます。短期的ば利益率は減っても売上額を増やす事は直近で生産者の支援になり、中長期的に事業成立していけば従業員の成長や待遇改善・お客様のためになると信じています」。
最終的には人間味が出る小規模な店が100店舗集まる集合体の様な独自のホールディングス経営を目指す。個人店の良さを残しながら、グループのスケールメリットを活かした体制作りにチャレンジしている。
「それぞれの店で従業員が自分らしくイキイキとはたらいている。これが、いま思い描いている世界観ですね」。
社員の独立はもちろん支援するが、「大切の仲間です。独立するよりも『PLEIN』にいたほうが得だと思ってもらえるようにしたい」とも語っている。
じつは、中尾氏の下には、創業2年目からプロデュースの依頼が多数寄せられている。食品メーカーや不動産会社、なかにはお花屋さんなど、異業種からのオファーが多いそうだ。このコロナ禍の下でも、シェフ、またプロデューサー、そして経営者として、着実にちからを蓄えている。
コロナがいつ収束するかはまだわからない。ただ、飲食にとって、かつてない苦境の下で、新たな芽が育っているのも事実だろう。中尾氏の話を聞いて強くそう思った。
しかし、料理はどうしてこうも美しいのだろう。中尾氏のような若い情熱家がいる限り、どんな時代になっても、この美しさは色あせることはないはずだ。
だから、いまの苦境は、きっと新たな芽を育む、土壌になるはずだ。
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