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第846回 株式会社オーチャードナイト 代表取締役 宮澤英治氏
update 21/07/27
株式会社オーチャードナイト
宮澤英治氏
株式会社オーチャードナイト 代表取締役 宮澤英治氏
生年月日 1977年9月8日
プロフィール 東京都文京区生まれ。大学生時代のアルバイト先でバーテンダーに憧れ、その道を志すようになる。2003年サントリーカクテルアワード部門最優秀賞、2005年・2007年入賞。2009年ヒーリングチェリー・カクテルコンペティション世界大会優勝。これを機に2010年、「Bar Orchard Night」を神田淡路町に開店。2012年、株式会社オーチャードナイト設立。
主な業態 「Bar Orchard Night」「Cocktail Works」「LEAP BAR」「LOW-NON-BAR」、グループ会社株式会社カクテルワークス運営「Bartender’s General Store」
企業HP http://orchardknight.com/
https://www.bartenders-generalstore.net/

お店をやってみたい。

学生時代は古着屋が大好きで、原宿や高円寺に出向いては、当時流行していたリーバイスなど、アメカジの古着を探し回っていた。古着の、現行品にはないオリジナリティやデザイン、その希少性に魅了され、いつか自分の選んだ商品をお店に並べてみたいと思ったのが、商売や起業を考えた最初であった。古着を購入する為に始めたのは、飲食業のアルバイト。東京大学の学食での仕事が最初であった。

バーテンダーとの出会い。

高校卒業後は夜間の大学に通い、昼間は働いた。勤務先は、東京駅近くのリーガルシューバーというお店。八重洲に二店舗あったうちの、アウトレットを扱うお店で、限られた物を売る事とその接客を楽しみながら2年間働いた。靴を買っていくお客様の接客だけでなく、シューケアー用品の販売、履きこんだ靴のリペアなど、アフターケアもしつつ長くリーガルシューズを履くお客様との接客はとても勉強になった。
しかし、昼に編入学になったのを機に辞め、また飲食店でアルバイトを始める。
「いろいろやりましたが、選んだお店は洋の業態ばかりでした。欧米のものが好きなんでしょうね」という宮澤氏に、元バーテンダーだった店長との出会いが待っていた。
仕事終わりによくバーに連れていってもらう中で、バーテンダーがカクテルを振る舞う姿に惹かれていった。バーカウンターでのきめ細かいサービスや、お客様の目の前でカクテルを仕上げるバーテンダーがとても特別な存在に見え、興味が沸いた。
幼い頃は絵ばかり描いていたと父に言われたことがある。欧米の文化やデザインが好き。自分でオリジナルのものを作るのが好き。そんな宮澤氏がバーテンダーを目指すことになったのは、運命だったのかも知れない。

狭き門。

バーテンダーになりたいと思ったものの、未経験の宮澤氏にとって、ホテルのバーや個人経営のバーなどに入るのは難しく、狭き門だった。暫くは、日本バーテンダー協会(NBA)の支部長がいるお店にご縁があり、客として通った。そこで、NBAに加入すれば、「お酒の研修に参加できる」「カクテル大会に出られる」「人脈ができる」と教えてもらい加入。そこで大会の練習をみて頂いたり、オリジナルカクテルのレシピを見てもらうなど、可愛がってもらった。
後に日比谷Bar(環境開発計画)がバーテンダーの育成と独立支援をしているとのことで入社したが、初めてのキッチン業務に慣れるのが遅く、中々カクテルを作らせてもらえなかった。「先の見えない日々が続き、辞めたいと思ったことは何度もあった」と、辛い時期だった事を振り返る。

カクテルコンペで優勝したものの…

時は過ぎ、日比谷BARで一通りのBAR業務をこなしていくうちに「新天地で働きたいたい」と思うようになり、西新宿の高層ビル街にある「響」という創作和食のお店でオープニングスタッフとしてバーテンダーをしていた。飲物はビール、日本酒、焼酎がメインのお店ではあるが、それも勉強と受け入れて、たまに入るカクテルの注文を楽しみながら作っていた。
2003年には、サントリーカクテルコンペティションに出場。2000〜3000の書類応募数の中、最終選考会の舞台に残り、食前酒部門で優勝する。有名なバーテンダーの方々に混じって表彰され、海外の蒸留所や世界的に有名なバーを視察できる研修旅行にも参加できた。これがきっかけとなり、当時200店ほどの飲食店を経営していた大手外食グループのダイナックに入社。八重洲にある「アリーズバー」というお店に配属され、後に新店舗新業態である「銀座水響亭」というお店に移る。立地等を考えても、会社にとってもかなり重要なお店であったはずだ。BARのオペレーションを立ち上げたものの、そこでもバー業務だけでなくスタッフの教育や予約などの店舗管理まで幅広い業務を任される日々は、「カクテルを作る」仕事から遠ざかるということだった。「カクテルが作りたいのにバーカウンターに立てない」二度目の思うようにならない時期を経験した。「会社を辞めたいとまでは思いませんでしたが、正直お店のスケール感や日々変化していくスピード感についていけず、自信を失いかけていた時期もありました」。
ただ、この二度の辛かった経験は、それを乗り越えた時に自分のレベルが確実に上がっていくことも教えてくれた。バーテンダーとしての心持の上では、守破離(しゅはり)の言葉通り、「伝統を重んじつつも、型を崩し、また離れる」重要さを身をもって痛感できたのは大きかった。苦労したキッチン業務は然り、カフェやレストランでの経験や、アイデア満載で時代の流れに順応し、頭脳や数字的理論で経営していく熱い上司と働けたこと、バーテンダー以外のシェフ、パティシエ、ソムリエなどと同じ空間で働けたことで、不思議と既成概念にとらわれず、色々なカクテルを描けるようになっていった。

転機となった世界大会。

その後「アリーズバー」に戻り、着実にお店を育て、カクテルの創作にも力を入れていた。
お店の運営もカクテルの調合と同じく“バランス”を大事にしていた。飲食店ではよく言われるQSCにそって、である。飲食店は一度来ていただいたお客様に再度足を運んでいただくかが肝であり、初めてお会いしたお客様にいかにして記憶にとどめてもらうかを、カクテルを提供するまでのストーリー(過程)に重きを置いていた。365日、お客様の五感に訴えかけていくのは飲物だけでなく、それを取り巻く様々なモノ、コトが重要であった。
2009年、シンガポール・ラッフルズホテルで開催された「ヒーリングチェリー・カクテルコンペティション」では、ヨーロッパ、アメリカ、アジアから約20名のバーテンダーが参加するなか、日本人ではただ一人出場し、見事優勝を収める。この大会はバーテンダーとファッションデザイナーがコラボレーションした珍しい大会で、バーテンダーは、課題にあったドレスを選び、そのアクセサリーになるカクテルを作るというものであった。カクテルのコンセプトは、アーティストとしての共通項から、自信に満ち溢れた職人の姿をカクテルに表現した。この世界大会での優勝が、「日本と世界で通用した自分のカクテルを次は自分のお店で試したい」気持ちを決定的にし、2010年には念願の独立を果たし「Bar Orchard Night」を開店。「オーチャードナイト」は、果樹園の騎士というフレッシュフルーツカクテルをコンセプトにした、世界大会優勝を頂いたカクテルの名前から。バーテンダーオーナーになりたいと夢見た日から、10年以上の月日が流れていた。

バーテンダーの可能性。

「Bar Orchard Night」を開店してから約10年、ずっとバーの運営だけをやってきた。店舗も順調に増え、それぞれ任せられる人も育ち、今は経営のみで新店の立ち上げ時以外はカウンターに立つことはないという。
そんな宮澤氏が数年前、長野県軽井沢に開業したのが「Bartender’s General Store」。バーテンダーである自分がセレクトした国内外のお酒の販売だけでなく、雑貨、皿やグラスなどのバー用品なども扱う。やってみると非常に難しかったのだが、商品を単品で売るのではなく、「商品をカクテルの様にブレンドして、テーマを商品にしたい」と考えていた。例えば「このお酒には、このグラスが相性よくて、こんな料理に合うお皿はこれ」、のような……。都会から離れた場所で、ゆっくり良い物を選んで欲しいというコンセプトだ。自分が感覚的にいいと思ったものを仕入れて並べている。昔、やってみたかった古着屋に少し似ているかもしれない。
この頃になると少し肩の力も抜け、店舗やスタッフを綿密に管理することもやめて、「自立しながらも協力し、互いに切磋琢磨していける競争と共存していける環境」を突き詰めていく経営スタイルに変わった。
カクテルを作る創造力、技術、知識など、若いスタッフはとても成長が早い。「どんどん追いつき、追い越されていく危機感を感じていた頃、体調も良くない事からお酒も控えるようになっていきました」。正直、お酒を試飲するのが辛くなった時期もあった。数字でなく、体感としての会社の伸び悩みを感じ、別の事業に乗り出す転機を迎えていた。
「僕は僕で、他のスタッフには出来ない能力を高めていくことが会社をより強くする」……
前に記した自立と共存の実現のために、お店を超えて今後の業界全体のあり方も含めて考えるようになり、守りを固めるのは辞めて、打って出る経営に切り替えたのであった。
小売業から問屋業、輸入に関する事も学べ、生産者のいる酒蔵などにも積極的に足を運び、イベントにも参加し、人脈も自ら一から増やしていった。往々にしてスタッフにも新しい体験を提供できるようになり、少しずつだが会社のあり方も変わっていった。
また、ECサイトの可能性にも将来性を感じ、洋酒の販売の他、コロナの影響もあってか、共同経営ではあるが、ノンアルコール専門のECサイトも立ち上げた。
もともとお酒を「飲む」より「作ること」が好きでこの職業に就いた宮澤氏。2020年3月に、日本初となる本格ロー/ノンアルコールバー「LOW-NON-BAR」をオープンしたのも話題となった。
夢は二つあるそうだが、「いつの日かカクテルの聖地、ロンドンでノンアルコールバーに挑戦をしてみたいですね」と、その一つを語ってくれた。

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