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第85回 株式会社サンクスプラス 代表取締役社長 桝本幸典氏
update 09/12/08
株式会社サンクスプラス
桝本幸典氏
株式会社サンクスプラス 代表取締役社長 桝本幸典氏
生年月日 1976年5月、福岡で生まれる。
プロフィール 曽祖父も、祖父も、父も医者という家系に生まれたが、小学校の夢は、「社長になること」。中学生時代にはテキヤに憧れる。高校からラグビーをはじめ、名門の関東学院大学へ進学する。卒業後は建築関連の会社に就職するが、水に合わず、社長に3年で辞めると言い切る。3年後、公約通り退職し、(株)グローバルダイニングの門をたたく。飲食業に進み始め、オペレーション技術を徹底的に磨き上げた。その後、(株)甲羅の組織活性化を任されるなどの実績を残し、2007年7月31日、株式会社サンクスプラスを設立する。現在、「ステーキハンバーグ&サラダバー けん」をはじめ、全5業態、11店舗を運営している。
主な業態 「ステーキハンバーグ&サラダバーけん」「VOCO凹」など
企業HP http://www.thanks-p.co.jp/
豪快、だが緻密。桝本の話を聞いていると、そんな人物像が浮かび上がってくる。「牛丼屋でも、イタリアレストランでも、繁盛店にする自信がある」と桝本はいう。優秀な営業マンが「なんでも売れる」というのと同じ感覚ではないのか。桝本は、オペレーションに絶対の自信を持つ。それが業態を問わず繁盛店にできる自信の根拠。では、そのオペレーションの極意とは? 株式会社サンクスプラス 代表取締役社長 桝本幸典の自信の裏側に迫ってみる。

祭りで見たテキヤに憧れる

1976年5月、桝本は福岡で生まれる。父は開業医。祖父も、曾祖父も医師という家系だ。「普通なら、医師の息子は医師になる」というイメージがある。しかし、桝本の場合、医師の道には興味がなかったそうだ。子どもの頃から体が大きいこともあって怖いものなし。小学生時代には、全生徒を泣かしたこともあるという。中学進学時には、中学の校長がわざわざ小学校を訪れ桝本の処遇を話あったというエピソードまであるぐらいだ。中学時代、桝本が憧れた職業はテキヤだった。祭りで屋台を出す先輩の友人を見てかっこいい、と思うのだ。客との軽やかな会話。屋台に並ぶ客の姿。商売への憧れをこんな風にして抱き始める。一方で、成績は抜群によかった。学年でも数本の指に入った。基本、頭がいい、不良でもあったのである。

ラグビーの名門大学で、ラクビーのサークルを作ってしまう。

高校になり、ラクビーを始めた。ガタイがデカイ、それだけで優位なスポーツだ。大学は、ラクビーで有名な関東学院大学へ進学する。ところが、7軍まであるクラブに嫌気がさし、サークルをつくってしまう。「ラグビーは好きだけど、クラブに入ってまでという奴もたくさんいて。そういう人間を集めてサークルを作ったんです。毎日練習だとなんだから週3日ぐらいで」。サークルといえど強かったらしい。大学でも桝本の周りにはいろんな人間が集まる。飲食店のアルバイトなども、この頃から始めている。学科は、建築学科。将来は建築関連に進んだ友だち達と会社をつくろうと決めていたからだ。だから履歴書を書くとすれば建築学科卒。その点から見ても異色の経営者である。就職したのは、建築関係の会社だったが、半年で水が合わないと悟り、「3年経てば辞める」と社長に告げた。仁義を切ったという感じだろうか。この素直さが桝本の持ち味だ。何故、会社を辞めようと思ったのか。転機は実はこのとき訪れる。「何を建てても、誰かに感謝されることもなかったんですね。そういうのがおもしろくないな、と。」。「じゃぁ、どんな仕事なら感謝されるんだろうかと考えて行きついたのが飲食業だったんです」。テキヤに憧れた少年は、ここで新たな道を歩み出す。

腕力だけでは勝てない相手と、真っ向勝負。体重は13キロ減った。

こうと決めたら一直線。まったくの未経験で株式会社グローバルダイニングの面接を受けた。同社が経営する「権八」に魅了されたからだ。「ジントニックの作り方も知らないのに、とにかくやらせてくれ」と。アルバイトからでいいのではないか、という担当者の言葉に耳を貸さず、ともかく「正社員で」の一点張り。ついに根負けした担当者が社長に合否を委ね、社長があっさり採用してくれた。ただし、面接官の言う通り、そこからがたいへんだった。実は、同社には正社員とアルバイトに大きな違いはなかった。アルバイトでも長ともなれば平気で正社員を叱りつける。当然、カクテルひとつ作れない桝本には叱責が飛ぶ。実力では到底かなわない。腕力だけでは勝てないことがあると初めて悟った。がむしゃらに働いた。「5倍、10倍、働けば、絶対、勝てる」そう思いながら。それから半年で「体重は13キロ減った」そうだ。桝本にとって良かったのは、次から次にライバルが登場してきたことだ。同社は人材の宝庫でもあった。負けてたまるか。そう思っている間に、力はもちろん実績もみるみる積み上がっていった。

独立の二文字を追いかけ、グローバルダイニング退職。今度は甲羅の活性化を託される。

まるでブルドーザーのようではなかったか。桝本は、任された店を次々に根本から立て直した。ついてこられないスタッフは、自然と去り、逆に強い人間だけが残った。桝本を頂点とするプロ集団をイメージすればわかりやすい。そんな風にしてグローバルダイニングでも貴重な人材に育っていく。しかし、目標は独立の二文字。31歳の時、独立を追いかけ同社を退職する。次に舞台に選んだのは、個人経営のレストラン。経営のすべてがわかるから、というのが理由だった。そんなとき、株式会社甲羅の料理長が専務を伴って現れた。ヘッドハンティングである。当時、甲羅は組織改革の真っただ中。活性化を託すために、桝本に白羽の矢が立った。「グローバル時代に料理長が店に良くお見えになっていたんです。その料理長がたまたまレストランにもやってこられて、あれ、何してんの?って。そして、しばらくして専務を伴ってお見えになったんです」と当時の様子を語る。

オペレーションの極意は、人を好きになること。

約束通り2年勤め、組織を活性化させた時、偶然にも、新たな誘いがあった。今度は、資本を出すから会社を興せという話だった。「ある会合で知り合った人と気が合いましてね。共通の知人がいたものだから、じゃぁ、その店で飲もうということになって。飲んでいるうちに、さらに意気投合することになって、じゃぁ、こうこうこういうプランで、『桝本さん、お店をだしなよ』ってことになってしまったんです」。この偶然が、サンクスプラスの始まり。言い換えれば桝本の独立である。その後のサンクスプラスの躍進は、想像以上だ。「仲間や元部下を連れて来て、ガガァと。埼玉、町田、横浜に3店舗出店して、とにかくヨーイドンって感じで」。桝本は料理ができない。勝負はオペレーションのみ。だから人を動かし、業績を上げていくことにこだわる。「人が好きなんですね。基本。だから、熱くもなる。ちゃんと動かすために、教育もする」、それが極意といえば極意である。徹底的にオペレーションにこだわった店。桝本が作った店は、「人」が中心の店といえるのではないだろうか。

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