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第852回 株式会社Bull Pulu 代表取締役会長 加藤二朗氏
update 21/09/07
株式会社Bull Pulu
加藤二朗氏
株式会社Bull Pulu 代表取締役会長 加藤二朗氏
生年月日 1974年5月12日
プロフィール 東京杉並区生まれ。大学卒業後、大手小売業企業に入社。店頭からスタートし、システム課などを経て、ショッピングセンターの開発チームに異動。2019年12月まで大手小売業企業で勤務し、翌年2月、「BullPulu」の会長に就任し、本格的に「Bull Pulu」の経営に参加する。
主な業態 「Bull Pulu」
企業HP http://bullpulu.com/

就職先は大手小売業企業。

お父様はハーネスを製造する工場を経営されていた。経営がうまくいっていたのだろう。「子どもの頃は裕福だった」、と加藤氏。
兄弟は兄1人。小学校から私立に通っていた。小・中は野球。中学は日大二中に進んでいる。「高校も日大付属だったんですが、成績が足りなくて日大に進学できなかった」と笑う。それで、今度はちゃんと勉強して成蹊大学に進学したというから、もともとやればできる。
父兄の影響もあったんだろう。高校からアメフト部に。「父も兄もアメフトでしたから。ただ、大学ではスキー部。学科はIT系。卒業生はみんなIT系に進むんですが、私はIT系の学科の学生だったのにパソコンが苦手で笑」。
パソコンが苦手?
「もう少し人間くさいというか。もともと日大に進んだら建築をしたいなと思っていたんです。ITも悪くはないんですが。じつは子どもの頃からショッピングセンターが好きで。わくわくするでしょ。通路がわけられていて、子どもにすれば迷路ですよ。何よりみんなで買い物や食事をするのが、楽しかったですね」。
なんとなく、わかる。
それで、就職はどこに?
「大手小売業企業です。小売にも興味がありましたから」。
日本の消費をひっぱるリーディングカンパニー。組織は巨大だ。

ラーメン店、オープン。

たしかにITとは無関係に思えるが、巨大な企業だからIT系の仕事も当然あるのだろう。
「あるには、ありますが、私は、いまでいうIT人材で入社したわけではありません。6年間はちゃんと店頭に立っていましたから。システム系に異動したのは、7年目。それからの4年間、在籍し、そのあとショッピングセンターをつくる開発部門に異動します」。
キャリアを順調に積んでいく。開発といえば、花形部門だ。
「じつは、去年(2020年)の2月に『BullPulu』の会長に就任するんですが、それまでは大手小売業企業にお世話になっていました、というか、おととしの12月までは籍がありました」。
どういうことだろう。
「私がショッピングセンターの開発チームにいた時に、父親の知り合いがフードコートにラーメン店をオープンする予定だったのがうまくいかず、父親がかわってオーナーになってオープンすることになります。いったら、これが加藤家の飲食のはじまりです」。
工場の方はどうされたんですか?
「工場はむろんそのままで、別会社を立ち上げオープンします。最初は兄が社長を務めていました。ただ、経験はないし、計画もしていなかったもんですから、そりゃ、うまくいきません/笑。いくらフードコートでといっても、さすがに難しい」。
たしかにノウハウなしでのスタートはきびしい。「結局、リンガーハットさんのフランチャイズとして再スタートします。これで、なんとか月商800万円くらいになったと聞いています」。

タピオカドリンク、デビュー。

もともと飲食に興味があったのかとも伺ってみた。
「いまはメインの『Bull Pulu』をはじめ、レストランも4店舗出店しています。フードコート以外にも出店していますが、もともと私はショッピングセンターが好きで、ショッピングセンターを、もっと楽しく、おいしくしたいという思いからスタートしていますので、料理や接客が好きではじめたオーナーさんとは出発点がちがっています」。
お父様の知り合いがラーメン店を計画されたのも、きっかけですよね?
「それはそうですね。当時、私はショッピングセンターの人間ですから、父が代わりにやってくれたことで空きをつくらず済みホッとしたんですが、たしかに、これがスタートといえば、スタートです」。
ショッピングセンターを運営する人の目からみると、つぎにどんなブランドがくるか、わかるものですか?
「ショッピングセンターをつくる側、つまり開発部門に異動になって、いろんなオーナーさんに出会います。それまで社長といったらうちの親父しか知らなかったわけですが、そういう、たくさんのオーナーに出会ってアンテナは広がった気がしますね。ただ、タピオカをはじめたのは、もっとシンプルで、私自身がタピオカドリンクを飲んでおいしいと思ったからなんです」。
加藤氏は、若い頃に衝撃を受けたドリンクとして、スタバのフラペチーノ、スイカジュース、タピオカを挙げている。
「もちろん、初めはショッピングセンター側の人間として、ショッピングセンターにいらしたお客様に、タピオカという日本ではまだめずらしいドリンクを飲んで、楽しんでいただきたいと思いスタートします。ハンドドリンクのショップがなかったことも、『Bull Pulu』をオープンするきっかけになりました」。
オープンは2010年。タピオカブームのずっと前ですね。
「そういう意味では、先駆けです。当時は、フランチャイズをしているショップもなかったし、タピオカも台湾から直接仕入れるしかなかったですからね。これには父親のネットワークが役立ちます」。

Bull Pulu。フレンチブルドックを連れて。

「『Bull Pulu』は、最初、私の奥さんと、奥さんの知り合いに代表になってもらってスタートしました。フランチャイズ希望者から、たくさんお声かけいただきフランチャイズ化も進み、だいたい年商が5億円くらいで推移します。ところが、この数年、タピオカブームが起こり、5億円が、1年で10億円になり、また次の1年で20億円をオーバーします」。
直営店としてオープンした吉祥寺店とヒカリエ店は、7坪程度で月商1500万円オーバーを叩きだす。「タピオカがブームの時には年間でフランチャイズを含め50店がオープンします」。
たしかに、タピオカブームはある種、異様だった。タピオカというだけで、どのショップでも長蛇の列ができた。日本人すべてが「タピオカ」を飲む宝石と思い込んでいたにちがいない。
ただし、ブームは酔いが醒めたように終焉する。
「たしかに、ブームは大事な要素ですが、ブームが去っても『おいしい』ことに変わりありません。また、タピオカだけではなく、これもおいしいんですが、パインジュースを新たに紹介したいと思って、そちらにいま力を注いでいます」。
ホームページをみると、「台湾かすてら」をはじめ、餃子などの点心もある。ルーローハンや担々麺は、立派な食事メニューだ。「ハンドドリンクは、いまはしんどいですね。マスクを外して、飲み歩くことはできませんから。うちも、昨年対比では47%減です」。
厳しい数字だ。とはいえ、加藤氏は下を向かない。
「一昨年の12月に大手小売業を辞め、翌年の2月に『Bull Pulu』の会長に就任します。直営もそうですが、フランチャイズも拡大しましたので、経営に直接参加しないといけないと思ったからです。今後は、私自身が大手小売業からオファーを受け、ブランドを展開していく立場になったわけですから、リスクをコントロールしながらも、いままで以上にたくさんのチャレンジをしていきたいと思っています」。
いまからどんなブランドを、商品を紹介してもらえるか、いち消費者としてそちらも楽しみになった。
ちなみに、「Bull Pulu」のフレンチブルドックは奥様が結婚した時に連れてきた愛犬がモデルだという。ネーミングもじつは奥様が考案。
愛犬といっしょに。それもまたいい。
新型コロナウイルス禍を乗り越え、ふたたびショッピングセンター内に人があふれ、この愛くるしいブルドックを連れた人たちが行き交う。きっと、加藤氏の目には、もうそんな未来が映っているはずだ。

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