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第854回 アイエムエムフードサービス株式会社 代表取締役社長 水口直文氏
update 21/09/21
アイエムエムフードサービス株式会社
水口直文氏
アイエムエムフードサービス株式会社 代表取締役社長 水口直文氏
生年月日 1969年4月18日
プロフィール 大阪市西成区生まれ。高校卒業後、いったん音楽の世界の道に進むが、「代官山タブローズ」で働くスタッフたちの姿に感動し、グローバルダイニングに就職し、飲食の世界へ。同社の「レガート」で料理長を務め、「ラボエム」「権八」では総料理長に就任している。執行役員にも就任するが、15年勤務したのち、退職。いったん起業したのち、現会長の河村氏と合流。2020年8月、社長に就任する。
主な業態 「LEMONADE by Lemonica」「輝らり」「YAUMAY」「オー!マイステーキ」「sabrina」他
企業HP https://immfoodservice.com/

1969年、生まれ。

「レアな牛乳瓶を探していた」と笑うのは、アイエムエムフードサービスの代表取締役社長、水口氏。なんでも、牛乳瓶のふたでメンコをしていたそうだ。
今はちょっと説明がいるかもしれない。昔の牛乳はガラス瓶で、飲み口は厚めの紙で蓋をされていた。この蓋をメンコに用いていたわけだ。割とポピュラーな遊びだった気がする。水口氏は1969年生まれだから、まだ市内にもメンコの定番ステージとなる路地裏がたくさんあったに違いない。
「兄が1人いるんですが、私は兄とは対照的でした。兄は内向的な人ですが、私はその逆で。インベーダーゲームなど、ゲーセンにも入り浸っていました。とくに何かをしたかったわけではなく、何かになりたかったわけでもなかったですね」。
これは、中学の話。
「高校は先生と相談して、工業科に進みます。私が選択したのは精密系で、時計のしくみなどを勉強しました。意外と思われるかもしれませんが、じつは今の仕事にもつながっています」。
大学には進学せず就職。
「進学は頭になかったです。最初に就職したのは、精密系の製造販売会社です。私はものづくりがしたかったのですが、配属は営業。それもあって1年で退職しました」。
社会人1年生。まだ20歳にもなっていない。人生、迷う年頃だ。しかし、次の道はもう決まっていた。

目指すのは、プロのDJ。プロダクションとの契約が切れる。

どんな道に進んだんですか?
「音楽です。音楽も好きだし、DJに魅了され、『音』をつくるのが好きになります。ディスコでDJもしていました。プロのDJを目指したのはこの頃です」。
ただ、アマではまったく金にはならない。だから、親戚が経営している中華料理屋で仕事をさせてもらった。「仕事をしながら、音楽もしていました。じつは、東京に来たのも音楽のため。私が26歳の時です」。
水口氏は、海外にも渡っている。「そうですね。海外のクラブもみてみたくなって。東京に上京してからは、飲食でバイトです」。
一時、プロダクションにも所属していたらしい。
「あの頃は、やりたいこと以外、やらないというか。プロダクションで小さな仕事をもらって、なんとか生活していたんですが、契約が切れてしまって。新たな活動もするんですが、収入の道が閉ざされます。それでアルバイトをかけもちしていました。その一つが『代官山タブローズ』だったんです」。
「代官山タブローズ」については、いうまでもないだろう。グローバルダイニングのコアブランドの一つ。
「センセーショナルでしたね。何もかもが。スタッフたちは、輝いているし、格好いい。私にすれば。『え? なんで?』って感じでした」。
疑問が、驚きにかわり、魅了される。
「私も、この人たちのようになりたいと思うまで、そんなに時間はかからなかったですね。音楽を趣味にして、飲食へ進もうと思ったのは、これがあったから。30歳の時です」。

飲食のはじまりは、名店「代官山タブローズ」。

「タブローズ」の、当時の月商を聞いて驚いた。MAX8000万円だったそう。水口氏は「タブローズ」で5年。副料理長にも抜擢されている。2000年、「レガート」の立ち上げ時に移って料理長として5年働いたそう。
こうしてみると、精密系の学科もそうだし、音楽もそう。ものづくりが好きなことは一貫している。そういえば、「小学生の頃から母親がどうやって料理作るのか興味をもっていた」という話も伺っている。「ただ、これは、最終的になんですが、じつは、ものづくりだけではなく、作ったもので喜んでもらうことが好きなんだと気づくんです」。
なるほど、深い話だ。
「タブローズでの仕事ですか? そうですね、タブローズはオープンが17時なんですね。私たちキッチンは朝の9時に出勤して、下準備を始めるんですが、もう、フルスピードでやらないとオープンに間に合わない、そんなイメージです。もう、フルパワー、MAXです。しんどくなかったかといえば、うそになりますが、私は、そのギリギリの感じが好きでした。みんなで一致団結して、一つの方向に進んでいくことも含めて」。
「表舞台に出る前の下準備、リハーサルがすごく好きだった」と語っている。
「グローバルダイニングでは、いろんな人に出会います。師匠の渡辺さんにも出会えましたし、じつは、会長の河村 征治ともこの時に出会うんです」。
会長の河村氏というのは、アイエムエムフードサービスの現会長、河村氏のこと。
水口氏と河村氏は、「レガート」を立ち上げるところからいっしょになる。「会長がフードコートをやることになって、いったん離れますが、河村が料理長、私が相方になり、ツートップで、あの『ラボエム』を運営します」。
「河村のことを尊敬している」と水口氏。じつは、河村氏のほうが8歳年下。

一緒にやれば。意見が一致。

河村氏と会社をつくる経緯について、聞いてみた。
「河村は、グローバルダイニングを退職したあと、地元の金沢にもどり起業します。その時、『一緒にやろう』と誘われるんですが、当時は私もいろいろあって『NO』だったんですが、3年くらい経った頃に合流します。グローバルダイニングですか? そうですね。トータル15年いたことになりますね」。
現在、水口氏と河村氏は、社長、会長という立場。だが、話を聞くと面白い。じつは水口氏も1人で起業している。しかも、大成功。
「グローバルダイニングを辞めるときにタイミングだなと思って、私自身も起業します。金沢と東京とロケーションはちがいますが、私も河村もうまくいっていました。ただ、『一緒にやれば…』というのが、2人とも頭のどこかにあって」。
それで合併?
「そうです。意見が一致したわけですね/笑。合併後は、河村が社長で、私は東京管轄の役員という立ち位置でスタートします。お互い分けていたんですが、組織変更にともなって2020年の8月から、河村が会長になり、私が社長に就任。社長になるのは予想外だったので、びっくりしました/笑」。

旨い料理をストロングポイントにする。

もともと、河村氏はブランドプロデュースなどに長けている。一方、水口氏は、リアルな店舗運営に強い。「金沢、東京というのではなく、互いの得意分野を見直していこう、というのが、私が社長になった背景ですね」。
互いに強みも、弱みも知っている。だから、補い合うことも可能だ。絶妙なコンビネーション。そのコンビネーションを活かし、どれだけの未来を描いていくのか、当然、気になるところだ。
「今期は、当然のことになりますが、事業は縮小します。これは仕方ないですね。ただ、守りを固めるという意味ではチャンスです。いらない贅肉を落とし、筋肉質になるというイメージですね。テイクアウトの強化もしていきます。それに合わせ、テイクアウト用のメニューの開発などにも取り組んでいきます」。
なんでも、今しばらくは、食べるものに特化して、料理の開発に注力。お客様を呼ぶ、今まで以上に強力なメニューを生みだすつもりだそう。つまり、旨い料理をストロングポイントにするということだ。
どんな商品を開発し、マーケットに投入するのか?
改めて河村氏、水口氏のコンビネーションが問われることになる気がする。昔、得意だったメンコ同様、時代をひっくり返す一撃になるかどうか、それも楽しみだ。

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