株式会社石焼ビビンパ 代表取締役社長 松原直彦氏 | |
生年月日 | 1961年、福岡県北九州市に生まれる。 |
プロフィール | 父は、外科の開業医。母は、長崎で老舗の旅館を営んでいたこともあるそうだ。三人兄弟の長男であったこともあり、いずれ医師となり、父の仕事を継ぐことになると思っていた。ところが、中学時代から音楽にのめり込みはじめ、2年で高校を中退。ミュージシャンを志すことになる。 29歳、結婚を機に、吉野家に就職。モンスター店舗である「有楽町店」で副店長を務める、一時、株式会社ペッパーフードサービスの執行役員に。その後、店内の企画などを担当し、東海エリアの部長職に。 2008年3月、株式会社石焼ビビンパの社長に抜擢される。 |
主な業態 | 「石焼ビビンパ」 |
企業HP | http://www.bibimpa.co.jp/ |
大型のショッピングセンターにあるフードコートは、飲食店にとって小さな戦場だ。「うどん」や「らーめん」、「たこやき」など、さまざまな店が軒をならべ、客を奪い合う。消費者にとっては、店の種類が多く、料金も手頃なことがありがたい。ファミリーにも大人気だ。このフードコートの一角に、「石焼ビビンパ」の店を出店しているのが、「株式会社石焼ビビンパ」。今回、登場いただく松原直彦は、同社の代表取締役社長である。
松原は、初代から数えると四代目社長になり、吉野家が傘下におさめてからは、三代目の社長になるという。業績が低迷する同社に、松原は「経営再建」の切り札として送り込まれた。着任は、昨年3月。現在は、松原カラーの定着に努めている。料金の改定も行った。新メニューは、ワンコインがウリだ。
松原は開業医の長男として1961年、福岡県北九州市で生まれる。弟、妹の三人兄弟。裕福な家庭だったこともあり、何不自由のない生活を送る。子どもの頃からバイオリンを習っているのも経済的に恵まれていたからだろう。開業医の父をみて育ったからだろうか、「小さい頃から医学書」を読んでいたという。将来は、「医者になる」。それが当然の目標だった。だが、高校進学前に両親が離婚。進学後には父が死去した。一方、進学したのは、県内でも1,2を争う進学校。勉強に熱心で、夏休みも5日間しかないような学校だったらしい。それでも、医者を目標に勉強に精をだす松原だったが、この時点ではすでに音楽に強烈に惹かれていた。
父の後を継ぎ、医者になるか、音楽で飯を喰うか。松原は後者を選んだ。高校2年の夏、松原は、進学校を後にする。それは同時に有望な将来を手放すことを意味していた。
「プロになろうとしてたんですから、ヘタじゃぁなかったんでしょうね」。その頃の腕前を尋ねると、そんな答えが返ってきた。最終的にはスタジオミュージシャンの声がかかったのだから、相当な腕前だったはずだ。結局、ミュージシャンの道をあきらめ、吉野家に入社するのだが、高校2年、17歳で音楽界に入り、29歳になるまで、まる10年以上、松原はこの世界で生きてきたことになる。
ジャンルはヘビーメタル。松原のパートはリードギターだった。「生活はギターを教えたり、ライブハウスの仕事をしたりしてしのいでいた」という。だが、音楽が好きだから苦にならない。福岡から広島、千葉、そして再び福岡と転々としている。福岡ではもちろん広島や千葉でもそれなりの人気があったようだ。
松原は2度結婚している。一度目は19歳の頃。そのとき生まれた長女はもうすぐ30歳だそうだ。そして二度目の結婚が、実は、29歳のとき。結婚を前にして、松原は楽器を置く決断をしたのである。
安定した定職を求め、就職情報誌を購入した。「人間の縁とは不思議なものですね。実は購入した雑誌をみたとき、片方に吉野家が、もう片方には大手ステーキチェーンが載っていたんです。大手だからどちらでもよかったんですが、吉野家は学歴不問と書いてあった。たったそれだけのことで、吉野家を受験したんです」。
新卒の年齢を遥かに超えた29歳の、新入社員時代が始まった。「吉野家は、すごくいい会社だというのが最初の印象ですね。上司たちにも恵まれた。そのおかげでいまの私があるんです」。福岡で採用された松原だが、後に東京に転勤。日本で最も売上規模の大きい「有楽町店」の副店長を任される。「普通の店のピークはだいたい1時間で100人くらいなんです。でも、有楽町店は、200〜300人単位だったんです」。桁が違う。しかし、このモンスターともいえる店を勤めあげたことで、松原の評価はさらに高まる。後継者育成のために新設した「経営塾」にも、一期生として入塾することができた。
40歳代。油が乗り切っている年齢だ。2年の契約で「株式会社ペッパーフードサービス」の執行役員になり敏腕を振るう。期間が終了して、吉野家に戻ると今度は、「新フォーマット」という新たな店舗の開発に参加。その後、東海エリアで部長職にまで辿り着いた。その次の辞令が「石焼ビビンパ」への社長としての出向である。
「飲食業にはいろいろな経歴を持つ人材がたくさんいる。吉野家のいまの社長の安部さんだって、バンドを組んでいた人なんだから。そういう過去に関係なく、迎え入れてくれるっていうのが飲食業の良さじゃないでしょうか」、と松原。社長となったいま、今度は、松原が、新たに社員を迎える立場になった。「年齢や経歴などは一切問わない」と松原。給与体系にも「石焼ビビンパ」ならではのシステムを採用しようと意欲満々だ。
松原の過去を振り返ると二つの分岐点が見えてくる。「医師になる」という目標を捨てた時、「ミュージシャンの道」を志半ばであきらめた時、の二つである。しかし、いすれの道のりも、けっして無駄にはなっていない。まるでまっすぐに、今の道につながっていたかのようだ。
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