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第870回 アークス物流サポート株式会社 代表取締役社長 白石康博氏
update 22/01/25
アークス物流サポート株式会社
白石康博氏
アークス物流サポート株式会社 代表取締役社長 白石康博氏
生年月日 1972年8月12日
プロフィール 東京江戸川区小岩生まれ。小学3年生からバレーボールをはじめ、大学2年までつづける。大学時代に出会った友人たちに感化され、30歳で独立すると宣言。31歳、運送事業を譲り受け、1年のタイムロスはあったが宣言通り起業を果たす。飲食事業をスタートしたのは2012年。TOKUCHI代表の平山徳治氏と共同経営で「根室食堂 八重洲店」をオープンする。
主な業態 「根室食堂」「魚蔵 ねむろ」「ととバル nemuro」
企業HP http://www.arcs-bs.co.jp/

ハタチの独立宣言。

小さい頃からバレーボールの選手だった。「私がバレーボールを始めたのは小学校3年です。私が育った船橋はバレーボールが盛んなエリア。だから、私がバレーボールを始めたのは必然だったのかもしれませんね」。小学校6年生の時には日本一にもなったというから驚かされる。
ポジションをたずねると「センター」とのこと。センターと言えば、守備の時にはブロックのかなめとなり、攻撃時にはクイックスパイクを打ち込む、攻守ともにカギをにぎる選手だ。
センターには背丈がある選手が多い。白石氏も中学で180センチちかくあったから、センターに抜てきされたのだろう。ただ、中学3年でパタッと背丈が止まってしまった、と笑う。
「高校はスポーツ推薦で千葉商科大付属高校に進みます。県下で当時2番目の強豪校です。私の背丈がとまってしまったこともあるんですが、高校になればデカイのがゴロゴロいる/笑。それまでバレーボールで食べていくと思っていましたし、その自信もあったんですが、バレーボールの選手にとってなんだかんだ言っても背丈は生命線なんですね。なんとか食らいついていきましたが。一杯一杯だったのも事実です」。
千葉商科大に進み、大学でもバレーボールをつづけたが、2年で終止符を打つ。怪我が原因だが、すでに心は折れていたのかもしれない。
白石氏はこの大学時代を、人生のターニングポイントに挙げている。
「バレーボールを辞めることもそうですが、代わりにサークルを立ち上げたり、バイト仲間と出会ったり、と、今までにない経験をします。とくにバイト仲間は、有名な大学に通っている人ばかりで、学歴だけでなく、思考もぜんぜん違っていて。私はそれまでバレーボール一筋だったから尚更、彼らの話が新鮮だったんだと思います」。
「国家資格を取って、それそれ独立して会社をつくろうと盛り上がったりもしました。私もその気になって、20代で資格を取って、30歳で独立すると大学の仲間たちに宣言します」。
宣言したからには、やらないといけない。
「そうなんです。独立に向け、新たな道がスタートします。バレーボールの人生がゼロリセットされて、新たな人生の幕開けですね。とにかく、最初は国家資格の取得です」。

宣言どこへ行く?

「国家資格と言っても色々あって、私は『不動産鑑定士』をめざします。ただ、『宅地建物取引士』は取得できたんですが、『不動産鑑定士』は3年で挫折します」。
「バレーボールしかしてこなかったから、勉強はまったくで。笑われると思いますが、最初は分数の計算も?です。そこからですからね、カベは高い。不動産鑑定士の事務所でもはたらき、経験も積んだんですが」。
すでに合格した仲間たちから「方向転換したほうがいいんじゃないか」と諭されたそう。「人間的には才能があるんだから、30歳になった時に肩をならべあっていればいいじゃないか」とも。
「わりと素直なんでしょうね。みんながいうなら、じゃ、そうするかと舵を切って通信関係の会社に就職します。当時は、日本の通信の黎明期です。最初は店頭にも立ちましたが、営業が向いていると言われ、法人相手に営業をするようになりました」。
成績はどうでしたか?とたずねるとと、「まぁ、それなりには」とのこと。ひかえめな表現というのは、話しぶりからもうかがえた。仕事も面白く、上司からも評価されたが、独立をあきらめたわけではない。この会社では、23歳から30歳まで勤務している。つまり、決断の時になる。
「会社に残る選択肢もありましたが、思い切って独立に向けてスタートします。学生の頃の宣言が、いい意味で私の背中を押してくれたんでしょうね」。
最初は、携帯ショップをと思っていたらしい。ただ、うまく物件がみつからない。そんな時、父親が思いもしなかった話をパスしてくれた。

2400万円の賭け。

「長年、運送業に携わってきた父親が『ある会社が物流部門を分割し、そこを引き受ける事が出来るかもしれない』という話を持ってきてくれたんです。」さっそく提案書をもっていったらしい。「話はスムーズに進んだんですが、『200坪の倉庫を借りる』という条件をいただいて…。何しろ200坪ですからね/笑」。
しかも、200坪ちょうどの倉庫など、都合よくあるわけがない。けっきょく、契約できそうな倉庫は400坪のものしかなかった。家賃だけでも倍になる。
むろん、難問であっても下を向かないのが、白石氏の真骨頂。
「金融機関は相手にしてくれません。だから、ほんといろんな人に頭を下げました。そして何とか2400万円を用意することができ、正式に契約することができました。私たちの覚悟が伝わったんでしょうね。相手先からは、お客様もご紹介いただけました」。
その昔の、バイト仲間が言った通り、人間的な才能で、独立を果たしたことになる。これが、白石氏の人間力というものだろう。
「もう18年前の話ですよね」と白石氏は目を細める。けっきょく1年、先送りされて、独立したのは31歳の時。この2022年のインタビューで、会社設立18年目となり、白石氏は49歳になっている。
独立してどうでしたか?
「ちょっとゆとりがでてきたのは、10年目くらいからですね。最初の5年間は1日も休みませんでしたし、5年〜8年がいちばんきつかったです」。
事業についてもうかがった。「基本、生鮮食品なのでニッチな分野です。スーパーや飲食店に配送しています」
飲食に進出したのはいつ頃ですか?
「2012年です。じつは、学生時代に、ホテルで行われる結婚式で配膳とかのバイトをしていた頃から将来は飲食業をやりたいなとも思っていました。ただ、あくまで将来の話。設定としては40歳です」。 その40歳がちかづいてきた?
「そうです。だから、役員にも『飲食をやりたい』と話をしていたんです。ただ、やるなら『物流と相乗効果のある飲食を』と思っていまして」。
それで、「根室食堂」だったんですね。

Dayゼロでとどく、根室の食材。

「そうです。根室食堂は、私のやりたいことを実現したお店だったもんですから。だから、私どもの飲食事業はTOKUCHI代表の平山徳治さんと共同経営でスタートした『根室食堂 八重洲店』が始まりです」。
根室食堂は、東京のビル群の下で、北海道根室市のご当地グルメを堪能できると評判の店である。テレビ番組「ガイアの夜明け」でも取り上げられているから、ご存じの方も多いことだろう。
産直の秘密は、北海道根室市のバックアップがあるからだが、もう一つ忘れてはならないのが物流である。これは、白石氏が経営する「アークス物流サポート」の得意分野。
「平山さんが、ガイアの夜明けに出演されたあとに知り合いを通してアポを取ってもらって直接、お話を聞きに行き、すぐに『いっしょにやりましょう』となりました」。
相性はむろんいい。
「アークス物流サポートは、航空生鮮をメインにしています。2009年には、羽田空港貨物地区内に生鮮センターを開設していますし、その翌年には、大田市場内に新たに配送センターを開設しています」。
白石氏によれば、アークス物流サポートを利用すれば、根室市で朝に水揚げされた鮮魚が、Dayゼロ、つまりその日のうちに東京に届けられるそうだ。
朝水揚げされたばかりの鮮魚は、塩焼きにするもよし、刺身でいただくもよし。なんでも旨いに決まっている。食せば、距離もいっきにゼロになる。
「根室の観光大使でもある平山さんのネットワークと、弊社の物流を組み合わせることで、よりいっそう漁港とテーブルをちかづけることが可能になる。だからいっしょにやりませんかと」。
八重洲店をオープンさせた半年後には、蒲田に今度は単独で出店している。「もともと様々な飲食店さんとお付き合いをさせていただいていましたから、飲食の経営ノウハウはある程度もっていました。ただ、料理の経験はない。だから、単独といっても、蒲田のほうでも平山さんにはアドバイザーをお願いしています」。
共同経営からのスタートだが、八重洲、蒲田、両店のオープンは、白石氏自身が、飲食業にアクセルを踏みこんだ証でもある。
2013年には、羽田空港より産地当日速配サービス『A-Quick』を開始し、翌年には「魚蔵ねむろ 秋葉原」をオープン。その翌月には、「魚蔵ねむろ 蒲田駅前店」をリニューアルオープンし、同月、「ととバルnemuro 赤坂溜池」をオープンさせている。ちなみに、グルメサイトではいずれの店も高得点をたたき出している。
「今後は北海道のお肉メインの網焼き業態をやる予定です。2022年中にはスタートします。北海道と言えばジンギスカンですが、牛肉も旨いんですよ」。
白石氏がめざすのは、「生鮮食品の総合企業」である。そのなかで、飲食のカテゴリーは、キープレイヤーの一つになるにちがいない。
ちなみに、白石氏が生まれたのは、1972年8月12日。東京江戸川区小岩に生まれ、3歳の時に船橋に引っ越している。
30歳の時、白石氏に事業の話をもってきた父親は、トラックの運転手。モノを運ぶ意味を知り尽くした人だ。
現在は完全に引退しているそうだが、創業後にすぐ会長となり、苦しかった最初の運送屋10年間は一緒に支えてくれた存在。そんなお父様に、「『物流』×『飲食』で、距離のカベを超えた食の楽しみを創造する」と言えば、ニヤリと笑ってくださるだろうか?

思い出のアルバム
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小学校の黄金時代 高校時 高校時代の関東大会時。
左上端から2番目が父
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大学時代の仲間 大学時代のグループの創設メンバー 魚蔵ねむろ秋葉原店オープン時
 
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