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第89回 株式会社エンカレッジ 代表取締役社長 小森寿文氏
update 09/12/22
株式会社エンカレッジ
小森寿文氏
株式会社エンカレッジ 代表取締役社長 小森寿文氏
※2011年9月末現在 代表取締役 荻野 信彦氏
生年月日 1971年8月20日生まれ。
プロフィール 福岡県出身。4人家族。両親と4つ離れた妹がいる。幼稚園の時に父の会社が経営破たん。家を追われ、母の実家で暮らすことになる。高校時代、割烹料理店でアルバイトを始めたのが飲食業界に入るきっかけ。後に友人に誘われるまま上京し、グローバルダイニングやレインズインターナショナルに在籍。コンサルティング会社を経て、独立。株式会社エンカレッジを立ち上げる。現在、首都圏に「みろく」「花唄」など10店舗を展開。
主な業態 「みろく」「花唄」など
企業HP http://www.e-encourage.com/

テイクアウトの寿司を食べて感動する。少年時代の鮮明な記憶の一つ。

父が経営する会社が破たんしたのは、小森寿文がまだ幼稚園生の頃。家を追われ、母の実家で暮らす日々が始まった。父も、母も働いたが、借金に消えていく。「食事がおにぎりだけの日も多かった」と振り返っている。幼いなりに、当時のことは鮮明に覚えている。「父も、母も、妹も寡黙で、誰もしゃべらない。だから、夕食だって、4人で黙々とおにぎりを頬張るだけなんです」。そんな中にいるから、小森ももちろん静かだ。
ところが学校に行くと、家で寡黙だった分を取り戻すかのようによくしゃべった。それで心のバランスをとっていたのかもしれない。
当時の小森にとって「食事」は、単にごはんを食べるだけの時間でしかなかった。旨くもなく、楽しくもない。だが、この味気ない食事が逆に、小森の関心を「食」に向けていくことになる。「小学生の頃、テイクアウトのお寿司を食べて感動した」と小森。高校生になった小森は、割烹料理屋でアルバイトを始め、卒業後、同店に就職している。ちなみに高校時代、小森はテニス部に所属。県大会にも出場するほどの実力だった。運動能力も長けた少年だったようである。

友人から「東京に行こう」と誘われた。府中のアパートで独り暮らしを始める。

この割烹料理屋に小森は8ヵ月ほど勤め、その後、友人に誘われるまま上京する。府中の小さなアパートが、東京暮らしの始まりだった。友人の父の紹介で、ある飲食店で働き始めた小森だったが、3年近くが経ち、「せっかく東京まで来たのだから、もっと派手な、東京っぽい店で働きたい」と思うようになったそうだ。
「そんな時、偶然、三宿の『ゼスト』を見かけたんです。暗闇のなかに浮かび上がるような感じで、これは凄いな、と。すぐに、お店を調べて働かしてくださいと押しかけたんです」。これがグローバルダイニングと小森の出会いだった。グローバルダイニングは厳しさでも有名だ。仕事ができないと容赦ない。「半年間ぐらい、アルバイトからもアゴで使われました。『おい、小森、これやっとけ』みたいな」。だが、その最初の関門を乗り越えた小森は、次第に中心メンバーから直接指導されるような立場になる。当時の、グローバルダイニングには、そうそうたるメンバーがいた。その人たちから直接、薫風を受けられたことが小森にとっては貴重な財産になる。
22歳から25歳。人生のなかでも極めて貴重な年齢を、小森はグローバルダイニングで過ごした。

感性主体の「食の世界」にのめり込む一方で、「科学的な手法」にも惹かれる。

「対極だが、行き着くところは同じ」と小森は2つの会社を比較してみせた。一つはグローバルダイニングであり、もう一つはレインズインターナショナル(当時:アートフードインターナショナル)のことである。グローバルダイニングで濃厚な3年間を終えた後、小森はレインズに転職する。グローバル出身というだけで、鳴り物入りの転職だった。だが、まるで思い通りの成績が残せなかった。
理論立てた「マネジメント」「コーチング」、「コンピュータ」と「数字」の世界に、皮膚感覚で教わってきた小森は戸惑ったに違いない。それもそうだろう。レインズは感性までデータ化し、誰もがすぐにでも使えるように行動形式にまで落とし込んでいる。「このレインズの手法に反発した人もいましたが、ぼくはいつの間にか肯定派になっていた。これだけ分析できていれば、10年かかるところを確かに数年で教えることもできる」。「しかも、結局、行く着くところはグローバルとも代わりがないことに気づいたんです。だから、これを修得してやろう、と」。
店が終わってから4時間はコンピュータに向かい、操作方法を勉強した。実際に、この手法をまったく加工せず取り入れてもみた。すると、店が生き物のように動き出した。
実績が評価され、社運をかけた巨大な店も任された。赤字だったその店は、小森が任された月から黒字転換し、400万円の利益を出すまでになった。

3つの赤字店を引継ぎ、独立を果たす。

レインズの後、かつての上司の会社にいったん小森は就職している。この会社でも、多彩な業態開発に関わり、経験を積んだ。このようにみると、会社を転々とする小森は、まるで失敗を恐れない人かのように思える。だが、いまだ「独立」という言葉は出てこない。独立して失敗すればすべてを失う。幼少期の体験が二の足を踏ませてきたのかもしれない。だが、ついに独立を決意する時がきた。「赤字の店舗だったんですが、それだけに条件が良かった。これなら間違いなくいける、と」。それが「株式会社エンカレッジ」のスタートだった。
小森は、店では脇役に徹するという。主人公は店長であり、スタッフであるからだ。出店は慎重かつ、積極的だ。「いまは撤退店が多く、好条件でお店をオープンできるんです。初期投資もかからない。街と店を見て、いけると判断すれば積極的にいきます」と小森。「店の造り」に合わせた業態を開発できる「エンカレッジ」ならではの戦略だ。この戦略で、時代を逆手に取り、2年間で7店舗、さらに現在はプラス3店舗をオープンした。今後も、ペースを落とさず出店する意向である。新卒者や求職者にとっても、チャレンジし甲斐がある店といえるだろう。
小森の話を聞いて一つ思ったことがある。子どもの頃の貧しさから脱出する手段として、飲食で「独立」する人もいる。だが、小森の場合は少しニュアンスが異なるような気がしてならない。子どもの頃、一口で自分の人生を決めた「おいしさ」の正体。それをいまだ追いかけているように思えてならないからだ。

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