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第893回 SunnyHills Japan株式会社 ゼネラルマネージャー(日本法人経営責任者) 堂園有的氏
update 22/08/09
SunnyHills Japan株式会社
堂園有的氏
SunnyHills Japan株式会社 日本法人経営責任者 堂園有的氏
生年月日 1982年6月14日
プロフィール 慶應義塾大学環境情報学部卒、米国ペンシルヴァニア大学建築学科修士。2009年、隈研吾建築都市設計事務所に就職。2014年に、隈事務所でのクライアントだった縁から台湾のパイナップルケーキブランド、SunnyHillsの日本の会社のゼネラルマネージャーに就任。
主な業態 「SunnyHills」
企業HP https://www.sunnyhills.com.tw/index/ja-jp/

パイナップルケーキと台湾茶のおもてなしと、世界戦略。

どこからお話すればいいだろうか?
創業者の許銘仁(英語名:マイケル)氏からだろうか、それともパイナップルケーキ、もしかしたら隈研吾氏から始めたほうが興味がわくだろうか。
SunnyHills Japanが誕生したのは2013年のこと。南青山に奇抜な木組みの店舗がオープンする。木材が幾重にも重ねられ、森のようなイメージ。世界的な建築家である隈研吾氏によるデザインだ。
なかに入ると、2階のフロアに案内され、パイナップルケーキと台湾茶が振る舞われる。隈研吾氏のデザインはもちろん、おもてなしもまた日本ではなかなか体験できない世界観だ。
パイナップルケーキに話を移すと、パイナップルケーキは台湾で鳳梨酥(オンライソー)と言われる、台湾ではもっとも有名な銘菓の一つ。
「ただ、安価な商品が多かったのも事実」。そう語るのは、今回、ご登場いただいたSunnyHills Japan株式会社のゼネラルマネージャー堂園氏。
「台湾政府は1960年代から70年にかけて国策として、パイナップルケーキの生産を進めました」。
たしかに台湾のみやげものとして、一定の認知はある。ただし、品質には多少なりとも問題があったようだ。当時50歳だった創業者、許銘仁(以下英語名のマイケルを用いる)氏は、そこに目をつけた。
「私たちはマイケルと英語名で言っていますが、彼は、台湾の半導体商社AITの創業者です。簡単に言えば、使い切れないお金持ちです(笑)」。
潤沢な資金をどうするかで、人間性が問われる。マイケル氏は、台湾の農業を扶け、生まれ故郷に恩返ししようと動き出し、2009年、台湾の南投県八卦山麓に「微熱山丘(サニーヒルズ)」を創業。
パイナップルケーキの世界戦略という、壮大な計画がスタートする。
台湾に初のショップをオープンしたのち、シンガポール、上海、香港にも進出。そして、世界ブランドに育てるために、2013年、東京に進出することになった。
これが、南青山にショップがオープンする、言い方を変えれば「森」が生まれた背景だ。
現在は、南青山だけでなく、「GINZA SIX」や「ルクア大阪」にもショップが設けられている。むろん、オンラインショップでも購入可能だ。
ところで、堂園氏は、どういう経緯でゼネラルマネージャーに就任したんだろうか?

設計担当者の1人が、ゼネラルマネージャーになる。

堂園氏は1982年6月14日生まれ。子どもの頃からバイオリンを習っていたという秀才である。アメリカでの生活も体験している。「小学校の頃と大学院ですね。父親のアメリカ転勤で、私もそちらで生活します」。
高校から慶應に進んでいる。「建築家になろうと思ったのは大学4年。祖父が大手のゼネコンの設計士だった影響もあったんだと思います」。
建築の勉強するためにアメリカの大学院に進み、デンマークで半年、北京で1年、建築の修行を重ねている。そして、隈研吾の下にいく。
「隈研吾建築都市設計事務所に就職するのは、難関でしたが、幸い課題をクリアし、面白いと評価いただき、採用いただきました。じつは、南青山のショップの設計を担当していたんです」。
もともとこの建物の設計者だったんですか?
「そうなんです。隈さんはなんでも任せてくれるんですが、トイレだけは、なかなかOKがでなかった。何十回も描き直しましたね(笑)」。
設計図はできても、特殊なデザインだけに建築会社がなかなか決まらなかったという。「5社は断られたと思います。唯一、神社仏閣も手掛けている建築会社さんが、面白そうだと。だれもかれもが儲けとかは関係なく、『面白い』という一言で、動くんです。もう、そういう世界なんでしょうね。もちろん、建築はたいへんだったと思います。木組みだけで4ヵ月もかかっています」。
木材は岐阜県産のヒノキ。日本でもっとも有名な神社にも利用されている木材だそうだ。堂園氏にとっても、記憶に残る作品だったに違いない。
しかし、どうして?
「そうですよね。私だってまさかゼネラルマネージャーになるなんて思ってもなかったです(笑)」。
その話をつづけよう。

パイナップルケーキの価値を知る日本人。

「華々しくオープンしたものの、売上が想定を下回ります。ニュース性は抜群だったんです。隈研吾の名前にあのデザインでしょ。ニュースバリューもあり、TVや雑誌にもたびたび取り上げられます」。
しかし、一定の効果はあっても、それが逆に、アンバランスな生産を生みだしたそうだ。「品切れ」も続出。計画通りに進まない。
「マイケルにとって、売上自体は問題ではなかった。ただ、食べてもらわないとブランディングも始まらないというんですね」。
いわば、その苦境を、マイケル氏は、ビジネスコンサルではなく、この森を設計した1人の日本人にゆだねることにした。日本のなかでいちばんマイケル氏の思いと、パイナップルケーキの価値を知っているという理由だけで。
「設計で何度も台湾にも行きましたし、マイケルとも話をしています。だから、マイケルがいうのは正しいです。日本でいちばん、マイケルのことも、パイナップルケーキのことも知っていましたから。とはいえ、未知数な人間です。飲食の経験はありません。それでも、オファーを受けたのは、やはりマイケルという人間の存在と、ブランディングに興味もありましたし、自分が手がけた作品に命を吹き込むような、そんな仕事ができれば幅が広がると思ったからです」。
それが2014年、8年前のこと。オープンから1年ちかく経った頃の話。
飲食の経験はない。当初はスタッフを動かすことにも四苦八苦したそうだ。
「私がショップに立って、『ゼネラルマネージャーです』と言ったら、買ってくれるお客さんも少なくなかったんですが、じゃぁ、それをアルバイトができるかといえばノーですよね」。
その時、堂園氏は、マイケル氏や隈研吾氏の流儀を採用することにした。
「マイケルも、隈さんも、相手に任すことで、逆に自身のしたいことを実現している稀有な人なんです」。
そういわれると、なかなか高いかハードルに思えるが。
さて、未知数な人間にかけたマイケル氏の運命はどうなるんだろうか?

催事とオンラインショップと。

「南青山のショップもけっして悪くはなかったんですが、催事がある意味、起爆剤となりました」。
催事ですか?
「そうです。実をいうと、最初は、催事に乗り気じゃなかったんです。ブランディングには逆効果と思っていたから。ですが、色々なオファーをいただくなかでもっと頑張りたいスタッフたちの気持ちもあり、断り続けることも難しくなり催事をはじめていきます」。
最初は、なかなかうまくいかなかったそうだ。
「うちの会社ってやっぱりちょっとヘンなんですね。だって、ブランディング一つとっても、いきなり隈研吾ですからね。そういうことに興味をもった、取引先デパートの元バイヤーが働かせて欲しいと応募してきてくれたんです」。 そのスタッフに催事を任すことで戦略が再構築され、催事を通し、パイナップルケーキの認知度が、東京以外でも広がっていったそうだ。
「1日で200万円ちかくのセールスを記録したこともあります。戦略がヒットしたのは、オンラインに波及したことです。コロナ禍の下では、とくにオンラインが経営を支えてくれています」。
催事が起爆剤となり、オンラインショップで事業が拡大する。
ただ、生み出したのは、それだけではない気がする。
堂園氏には経営者としての自信、催事やオンラインショップを担当するスタッフには、仕事のやりがいと、成功体験が生まれたに違いない。
事業が拡大するのは、こういう時だ。
新製品の開発が、象徴的な出来事かもしれない。
「日本では、パイナップルも好評ですが日本の市場との親和性ではりんごがいいと、マイケルを真似て、りんご農家をまわって新製品を開発しました」。
それがりんごケーキですね。
「そうです。台湾でも好評で、今では売上の25%を占めるようになっていると聞いています。マイケルにすれば本当は台湾の農産物なんでしょうが、そこは目をつぶってくれているようです(笑)」。
オンラインショップをみると、パイナップルケーキとりんごケーキ、バナナワッフルクッキーがならんでいる。今後はフルーツの加工、ドリンクやアイスクリームにも注力していくことになるそうだ。
Sunny Hills Japanという企業のブランディングも、大事な時期になってくる。

大型プロジェクト、始動。

「淡々と」と堂園氏はいう。「派手なことをぶちあげる」のではなく、淡々と。ただ、台湾では、大きな事業が始まっている。
「じつは私は、そちらに設計者としてもかかわっています。4.6ヘクタールの土地に、生産工場、レストラン、イノベーションラボをつくります。マイケルの計画では来場者数、年間100万人。ちょっとこれは難しいと思いますが、彼がいったら、そうなるかもしれません(笑)。実はいま、このプロジェクトで、てんやわんやなんです」。
「金儲けじゃない」という。
「台湾の人に、台湾人がここまでできるようになったことを示したいんだと思います」と堂園氏は、マイケル氏の本音を代弁する。
だからこそ、こけるわけにはいかない。
いつのまにか、堂園氏のなかに、マイケル氏が息づいている。
「マイケルには、感謝しています。私は、こちらのゼネラルマネージャーに就いたあと、マネージャーの仕事をする一方で設計事務所を起業します。彼は、それを否定せず、逆に応援してくれています。まぁ、彼にすれば、ゼネラルマネージャーが建築家というのが面白いんでしょうね」。
果たして、その大プロジェクトはどうなるんだろうか? それが完成すればいよいよ世界戦略の次のステージの幕が上がる。
ニューヨークやロンドンに、パイナップルケーキを求める人の列ができる。そのショップをデザインするのは、堂園氏か、それとも。
いずれにしても、マイケルの片腕として、堂園氏がになうミッションは小さくないはずだ。

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マイケル氏と 隈氏と パイナップル+りんごケーキ
 
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