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第903回 合同会社上々 代表 池田真明氏
update 22/10/18
合同会社上々
池田真明氏
合同会社上々 代表 池田真明氏
生年月日 1980年11月29日
プロフィール 京都府伏見市出身。子どもの頃から劇団員となり、中学でジャニーズに入る。18歳まで芸能活動をつづけるが、18歳で一転、飲食の世界を志す。5年の修行期間を経て、23歳で独立、京都の向島にやきとり店を開業。28歳の時にはダイニングバーもオープンするが、30歳でいったん飲食から離れる。35歳で上京し、知人に乞われ、飲食店の立て直しをはかり、見事、再生させたのち、改めて、独立に向け動き出し、2019年、「食堂ミアゲテゴラン」をオープンする。
主な業態 「食堂ミアゲテゴラン」
企業HP https://foodplace.jp/miagete-goran/

小学生、芸能界に入る。

歌手をめざしていた母親の影響だろうか。今回ご登場いただいた合同会社上々の代表、池田氏も芸能活動をしていた。ただ、母親より父親が歌がうまく、母親といっしょにでかけた歌の教室で、歌を披露すると、いきなり、大手プロダクションを名を挙げ、芸能界入りを勧められたそうだ。
「たしかに、親父はめちゃめちゃ歌がうまかったです。ただ、芸能界とかに興味がまるでない人で、だから好きにはさせてくれていましたが、私の活動をどう思っていたかはわからないですね」。
父親とは、軋轢が長くつづいたそうだ。
「私は基本、おばあちゃんっ子でした。おばあちゃんは近所でも。こわいおばあちゃんで通っていました笑」。連れてきた友人にも容赦がなかったそう。
バスケットボールをやり、友人はすくなくなかったが、生活サイクルに芸能活動が入ってくる。
「そうですね。小学校の頃から芸能活動をしていましたから、周りといっしょというわけにはいきません。中学になって、ジャニーズに入ります。母親のともだちがオーディションに応募したのがきっかけです。関西ジャニーズの初期のメンバーだったので、相当、ハードでしたね。最初は劇団とかけもちをしていたんですが、それも許されませんでした」。
TV番組でアイドル歌手のバックダンサーをしたり、有名なアーチストのコンサートにでたりもした。「私から言いふらすことはないんですが、テレビを観ていた子が、『え? アレ? なんで池田くんが?』、みたいな話になって、それで話したことはありましたね」。
TVに登場する小・中学生はたしかにいる。ただ、子どもだからと甘やかされる世界ではない。だからというわけではないが、生活が荒れた。
「いうなら反抗期って奴です。とくに親父に、ですね。小学校の頃はこわいだけだったのが、だんだん私のからだが大きくなってくると、態度にも表れるようになりました」。
とくに中学3年生からは、すさんだ生活が顕著になり、進んだ高校も退学している。
「じつは、高校で1回ダブっているんです。いったん高校は退学しましたが、違う高校に進み、高校を卒業したことにはなっています笑」。
ほめられた生活態度ではなかったが、ダンスもつづけ、18歳までは芸能活動もつづけていたそうだ。

23歳で独立する宣言。

「高校もまともに卒業できなくて、今となっては両親にめちゃめちゃ申し訳なかったと思っています。もちろん、大学には進んでいません。母親の友人のアドバイスもあって、祇園の高級なラウンジに就職し、1年くらいそちらではたらかせていただきました」。
18歳の時に「独立しよう」と心に誓ったそうだ。
「理由はないんですが、23歳で独立するとゴールも設定します。小さい頃から芸能界という大人の世界で仕事をしていたので、その影響もあったんでしょうか?」。
ラウンジを卒業し、今度は、お酒を勉強するために有名な酒店に転職する。「ふつう、お酒はあとだと思うんですが、当時、カクテルっていう映画が流行っていて、もろ影響されて、それで酒店に転職します。こちらで2年ほどはたらき、レストランで料理の修業をして、プラン通り23歳で独立できました」。
12坪の小さなやきとり店。
「どうですかね。なんとか食べていけるくらいでしょうか。こちらを5年くらいやり、28歳で、今度はダイニングバーをオープンします。最初は、向島で、ダイニングは西京極です」。
こちらも、トントン。
「最初は、京都で2〜3店舗できれば、それでいいかなと思っていました。まさか、東京でなんて思ってもなかったですね笑」。
たしかに、気になるところだ。なぜ、京都ではなく、東京なのだろうか?

ミアゲテゴラン。

「飲食でやっていくという絶対的な思いがあったのか、どうか。じつは、いったん飲食を離れます」。
どういうことだろう?
「30歳の時です。結婚の話があって、安定した収入がいると思って染物屋さんですが、そちらにお世話になります。結婚のために飲食を離れたんですが、それがおじゃんになって笑」。
それで、飲食に舞い戻った?
「その染物屋さんでは、責任者もさせていただいていたんですが、おなじ職人の世界でも、やはり飲食だ、と。3年くらいで卒業させていただきます」。
正義の鉄拳をふるったこともあったそうだ。「社長のいうこともきかず、周りの社員にも理不尽なことばかり言ってくる人がいて。私もまだ若かったので」。
そういうまっすぐなところも評価されていたんだろう。
引き留めもされたが、思いは飲食へ傾く。
「もう一つ、東京ですね。やはり、少しでも芸能の世界にいましたから、憧れの残滓みたいなのがあったんだと思います。この時は、飲食ではなく誰かのマネージャーならできるんじゃないか、と。じつは、私の弟も芸能界で仕事をしていまして、マネージャーならという話があったんです。それもあって、35歳で上京します」。
ベクトルが東京に向く。再度、芸能界という世界へ。
「ところが、弟の紹介で、ある人とお会いして、その方はオーナーなんですが、経営しているお店がうまくいっていないということで、『やってくれないか』と誘っていただいたんです」。
縁もなにもない東京で、今度は飲食へ、針路がふれる。
「渋谷の、ある横丁にあったお店です。立て直して欲しいとオファーがありまして、なんとかお約束を果たせたので、今度は私の会社を作る手助けをして頂きました。それで2019年に学芸大学に20坪くらいのお店を出店します」。
それが、「食堂ミアゲテゴラン」ですね?
出店費用1400万円をかけた大勝負でもある。
「そうです。コロナ禍で大変でしたが、2店舗目を出店するところまできました。こちらは、カウンター4席とテーブル2席くらいの小規模なサイズですが、じつは2F〜4Fまでを借りていまして。2Fがそのお店で、3Fをレンタルルーム、4Fをバーベキュースペースにしようと今、最終的なプランを練っているところです(2022年8月段階」。
レンタルルームは、ともだち同士で我が家のように楽しめる。BBQもいい。ミアゲレバ夜空に浮かぶ、きれいな星々が望めるだろう。それもいい。
下を向くな、上を向け。
店名もそうだが、この新たなプランにも、池田氏のそんな思いが込められているような気がした。

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