株式会社浅野日本酒店 代表取締役 浅野洋平氏 | |
生年月日 | 1975年1月6日 |
プロフィール | 新潟県新潟市東区出身。米どころ新潟に生まれ北海道大学に進むが、2年時から始めたミスタードーナツのアルバイトにハマり、卒業を待たず就職。17年間、ミスタードーナツで勤務し、2014年に独立起業。日本酒を買い、飲みできるショップ、浅野日本酒店をオープンする。 |
主な業態 | 「浅野日本酒店」 |
企業HP | http://asano-nihonshuten.co.jp/ |
大阪市北区太融寺に日本酒好きがつどう「浅野日本酒店UMEDA」がオープンしたのは2014年のこと。創業者は酒どころ新潟生まれの浅野洋平氏。酒販店だが、浅野日本酒店にはいつものサイズの瓶がない。
「うちは、四合瓶のみで、一升瓶をおいてないんです笑。オープンした頃は『なんや、一升瓶、ないんか』って叱られましたが、今は、『鮮度がいい』などという理由で、逆に四合瓶が喜ばれています」。
浅野日本酒店は「純米酒専門店」でもある。ちなみに純米酒とは、醸造アルコールが入っていないピュアな日本酒群を指す。
「じつは、普通酒や本醸造酒など日本酒全体の消費量が落ち込むなかで、純米酒は堅調に推移しているんです。これは、飲み手が純米酒の持つピュアさ、尊さに気づいたからだと思います」。
白ワインのようにフルーティな日本酒もある。豊饒な香りは、太古の昔の宴を連想させる。ちなみに、浅野日本酒店には、酒好きのためにバースペースも用意されている。 日本酒と日本酒にピッタリのアテ。しかも、ほとんどすべての銘柄をテイスティングできる。日本酒好きにはたまらないスペース。もちろん、日本酒デビューもここなら間違いない。
さて、ショップの話はこれくらいにしていつも通り、創業者の人生を追いかけてみよう。
浅野社長が生まれたのは、1975年1月6日。4人兄弟の長男。
「父親は、もともと三菱自動車で勤務していたようですが、のちに独立し、便利屋のような仕事をはじめます。私が、今、起業しているのは、そんな親父の影響も少なくないような気がします」。
子どもの頃の話を聞いた。
「親父が毎日飲んで、うちにもなかなか帰ってこない人だったので、我が家は、いわゆる放任主義でした。勉強はそこそこできて、運動はからっきしだめな少年でした笑」。
だめといっても、スポーツは大好き。ただ、出来はイマイチだったらしい。小学校では野球、中学はバトミントン、高校で再度、野球。やるにはやったが、結果はでない。
ただ、頭はいい。だから、高校も県内一の進学校。大学は、新潟から離れた北海道。
北海道大学に進まれたのは、何か特別な理由があったんですか?
「いえ、うちから出たかったことと、偏差値がちょうどそのあたりだったからです」。
淡々と「北海道大学」と言えるところがすごい。
「ただ、目的がなかったから、バイトに主軸を置いちゃったんでしょうね」と浅野社長。
どういうことだろう?
「じつは、大学2年からミスタードーナツでアルバイトを始めて。ちょうどその頃のミスタードーナツは黄金期で、年間100〜200ショップが新たにオープンしていた頃なんです。バイトでも、そういう時期だからか、むちゃくちゃ楽しかったです」。
大学生ということも忘れるくらいに?
「そうですね。アルバイトリーダーでしたし、仕事そのものに惹かれます。大学生活を一口にいえば、サークルとミスタードーナツのバイトです。ただ、3年からは大学にも行っていませんし、4年で退学して、ミスタードーナツに就職します」。
思い切った決断ですね?
「ですね。でも、それから17年のミスタードーナツの人生がスタートするんです」。
最初に配属されたのは、埼玉。
「埼玉からスタートし、首都圏のショップを転々とします。埼玉、横浜、西葛西、市川、大森、そして、山形に異動して、初めて店長を務めます。出店も少なくなかったんですが、人材も豊富にいた時代。なかなか店長のイスはあかなかったんです笑」。
その後、本社に異動され、大阪というわけですね?
「山形から大阪の江坂です。こちらでは、商品開発を担当します。これを10年くらいつづけました」。
合計17年。ミスタードーナツといえば、「ポン・デ・リング」が印象的だが、そうした商品の開発にも参加されていたんだろうか?
「独立は、そうですね。父親の影響もあって、昔から頭のどこかにあった気がします。具体的に行動を起こしたのは2008年頃から。まずは、中小企業診断士の資格取得をめざして勉強をはじめ、2012年に取得します。経営をマスターし、人脈をつくり40歳で独立というのがロードマップです」。
創業が2014年。2016年に法人化。ところで、どうして酒店だったんでしょう?
「小さい頃から、一升瓶はいつもちかくにありましたからね(笑)。それはジョークとして。だいたい食べて、飲むくらいしか趣味がなかった。だから、独立するなら飲食と思っていました。日本酒にした理由はシンプルで、私自身が日本酒にハマったからなんです」。
日本酒に魅了される一方、日本酒のバーにも魅了された。それが、東京駅の地下にある「はせがわ酒店 グランスタ東京店」。衝撃をうけ、東京出張の度に時間をつくり通ったという。
いうなら、今の浅野日本酒店のモデルである。
2014年からスタートし、現在、店舗数は4店舗になる。「いずれ10店舗くらいには」と浅野社長。飲食が可能なショップの出店など、様々なチャレンジも行っているが、基本は、日本酒と、日本酒のアテ。このピュアさがいい。純米のピュアさと通じるものがあるような気もする。
最後に、浅野社長に今からの青年に伝えたいことを伺った。
「今の時代、広告などSNSが発達しているし、銀行や国金もお金を貸してくれる。クラウドファンディングだってある。起業のハードルは、確実に低くなっています。それに、頑張っていれば、助けてくれる人も必ずでてくるものなんです。リスクを考えて、踏み出せない人もいると思いますが、やりたい事はやった方がいい。私はそう思います」。
クラーク博士流にいえば、青年よ、リスクを恐れるな。そして、ピュアであれ。実際、浅野社長は、そう言いたいのかもしれない。
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