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第924回 さか萬株式会社 代表取締役社長 坂巻章宏氏
update 23/02/21
さか萬株式会社
坂巻章宏氏
さか萬株式会社 代表取締役社長 坂巻章宏氏
生年月日 1963年
プロフィール 高校を卒業し、劇団員を皮切りに様々な職業を経験する。その一つひとつの経験をスキルにして、独立。ほれ込んだ「じぃえんとるまん」を開業したのち、店舗数を拡大。2022年9月から、エンターテイメント事業部を立ち上げ、新たなチャレンジを開始する。
主な業態 「じぃえんとるまん」「風来坊」
企業HP http://sakaman.com/

劇団員までの人生。

「坂巻牧場っていうと横浜あたりでは結構、知られていたんですよ」と、今回ご登場いただいた「さか萬株式会社」代表取締役、坂巻氏。牧場は祖父の代の話。「それから牛乳屋をやり、あとはビル経営などを始めます」。
今なら、「横浜に牧場?」と思ってしまうが、坂巻社長が生まれた頃は、横浜もまだ田舎町だったのかもしれない。「兄弟は3人です。母の影響でしょうか。長兄は音大を卒業し、音楽教師に。次兄は商社でデザイナーをしています。私だけです。ジプシーみたい人生を送るのは」。
そう言って笑いながら、人生を語ってくださった。
「私が生まれたのは1963年。昭和のド真ん中です。上2人とちがって、勉強が大嫌い。いたずらっ子で、とにかく先生によくぶたれた。当時は拳骨も、OKだったからね」。
成績は下から10番目。しかし、図工だけは学年で1番。展示会の常連で、表彰もされている。「人間、取り柄っていうのはあるもんでさ。図工と、そうだね、器械体操もしていたから体育もいいほうだった。ただ、勉強がだめ笑」。
中学時代、1年下に、あの俳優の阿部寛さんがいたらしい。「当時から背が高かった」と笑う。
「高校は都内の私学に進みます。舟木一夫さんや山田隆夫さんの出身校です」。
渋谷もちかかったそうだ。
「在籍したのは、1年〜1年半くらいですが、劇団に所属します。あの大竹しのぶさんも在籍されていた劇団です」。
時代はちょうどバブル経済に向かっていく頃。

転職数、合計7社。

「最初に就職したのは、アパレル会社です。ここから私のジプシー人生がスターするわけですが、こちらは案外、長かったですね。10年くらいいましたから」。
入社当時は、17店舗だったが、10年で50店舗にまで拡大。10代〜20代後半の女性をターゲットにみるみる業績を拡大していったそうだが、バブル経済が崩壊すると、業績が悪化。バイヤーまで昇格した坂本社長も、やむなく退職することになる。
ファミリーマートの本部に転職。フランチャイズオーナーの不採算店を立て直す仕事に奔走した。
「うまくいってないショップは、掃除ができてない。そういうショップに限って商品の補充も疎か。細かいことの積み重ねなんですね。そういう勉強はできたように思います」。
面白そうな仕事ですが、2年で退職されるんですよね?
「そうなんです。つぎは、水商売です。横浜で、店長やオーナーも務めました。今でいうクラブやキャバクラです。このあと、アルバイト生活に突入します。トータル5〜6年かな。いわゆるつなぎです」。
合計7社。「ま、いろいろ経験しましたね。たとえば、このあと、有名な布団の訪問販売の会社に就職します。1年ちょっとかな。成績は悪くなかったんですが、もともと運転免許がなかったから、移動が面倒くさくなっちゃって笑」。

転職する度、経験値があがる。

劇団員からスタートし、アパレル、ファミリーマートの本部、水商売、布団の訪問販売。まるで、共通項がない。ただ、職探しに苦労した経験はないそうだ。
「売り込む才能はあったんでしょうね。このあと派遣会社に就職するんですが、営業トークもうまくて入社すぐに7社受注し、1ヵ月で所長に昇進します」。
「劇団での経験がトークにみがきをかけた」と坂巻社長。共通項はないが、様々な業界で獲得した経験値は、高く積み重なっていく。ただ、リーマン・ショックで派遣切りがスタートし、業績が悪化。会社をあとにする。
派遣会社を退職したあとは、スポーツメーカーで、1年半。経営を再構築する7名のプロジェクトチームに選抜される。「理論的な経営ノウハウはこちらでマスターします」。
組織作りのノウハウも、この時にマスターしたという。転職回数で、人を測ろうとする採用担当者がいるが、回数そのものは案外、意味のない指標かもしれない。

15坪の、オンステージ。

「『じぃえんとるまん』は、ゴールだったかもしれないですね。ただ、『じぃえんとるまん』と出会わなかったらどうだっただろうって思います。転職回数が天文学的になっていたりして笑」。
お客さんだったんですよね?
「そうなんです。『じぃえんとるまん』の総本店ですが、そちらの常連客だったんです笑。とにかく、楽しいし、元気になる。これはいいと思ってある時、社長に直談判させていただくんです。で、話しているうちに意気投合して、『じゃぁ、フランチャイズで』って話になるんです」。
ファミリーマートの経験がいきてきますね?
「そういうことです。『じぃえんとるまん』は15坪程度の立ち飲みです。私の創業店は二俣川。賃料30万円。500万円用意していたんですが、ちょっとたりなかった。だから、借入もしています。妻も賛成してくれて、最初は夫婦2人でスタートしました」。
業績はどうでしたか?
「初月はぜんぜんだめでしたね。でも、心配はしていなかった」。
どうしてですか?
「お客様はたしかに少なかったんですが、いらしてくださったお客様からは大好評だったんです。だから、そのうち、という確信めいたものがあって。おかげ様で、その通りになります」。
劇団と布団の販売、派遣会社でみがいたトークが客の心を鷲掴みにする。むろん、店内はピカピカ。ファミリーマートで学んだショップ経営の基本である。
ちなみに、スポーツメーカーでは、経営スキルを、水商売では接客スキルを手にしている。いくつものスキルが、客を離さない。
15坪の立ち飲み店は、坂巻社長のオンステージになった。

人生のターニングポイント。

「『じぃえんとるまん』の売りは安さかな。今、お店は7店舗あって、社員は30人、アルバイトが15人。コロナ前と比べると売上はダウンしていますが、それでもおかげさまで業績は好調。総本山の『じぃえんとるまん』から、権利すべて買い取らせていただいています」。
今の課題を一つ挙げるなら、人材だという。スタッフがいなくてクローズした店もあるらしい。「ただ、改善しようにもなかなか難しい。難しいことを前提に経営していかなければならない時代になった気がします」。
解決の糸口になるかもしれないとスタートしたのが、エンターテイメント事業部を立ち上げてつくったスタジオだ。新たな試みである。
最後に「人生のターニングポイントを一つ挙げるとするなら」と、質問してみた。すると「じぃえんとるまん」の社長、鳥海さんと出会ったことだという。
人との出会いを挙げるあたり、いかにも坂巻社長らしい回答だと思った。

思い出のアルバム
 

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