株式会社SGマネジメント 代表取締役 勝山 聡氏 | |
生年月日 | 1972年9月7日 |
プロフィール | 上智大学卒。学生時代、ディスコ・クラブ「ヴェルファーレ」で、VIPルーム専属のバーテンダーを務める。卒業後、芸能事務所に就職したのち、音楽レーベルの立ち上げに参加するなどネットワークを広げる。その一方で、恵比寿のバーで店長を務める。セミナーで天才的なバーテンダー後閑信吾氏らとの出会い、のちに中国、上海に、創業店である「Speak Low」をオープンする。 |
主な業態 | 「Speak Low」「Sober Company」「The SG Club」「The Odd Couple」「SG Low」他 |
企業HP | https://sg-management.jp/ |
氷点下の世界をシベリア鉄道が走る。
「上智大学に進み、ヴェルファーレでアルバイトをしてお金を貯めて、友達と2人でシベリアからオーストラリアまで南下する旅をしました。スタートはウラジオストク。シベリア鉄道に乗り、モンゴルまで南下し、中国を縦に横断。ただ、オーストラリアまで行くはずがバリ島で旅は完結します」。
特別な理由があったわけではなく、ただ、バリが終着点になっただけだそう。
氷点下の世界から南国のパラダイスまで、四季が車窓を通り過ぎる。
「モンゴルのホテルで友人がドアを蹴り破るというハプニングはありましたが、基本は楽しい旅でした。ただ、シベリアやモンゴルでの食事はギリギリ食べられたって感じです」と笑う。
旅のおかげでアジアが身近になった。のちに、上海でバー「Speak Low」をオープンするのだが、その源流はこの旅かもしれない。
さて、今回ご登場いただいた、株式会社SGマネジメントの代表取締役、勝山聡氏は、1972年、現在はさいたま市に併合されているが、元の名でいうと埼玉県岩槻市に生まれる。
「父も母も長野の果樹園育ち。父は普通のサラリーマンで、母は専業主婦です。兄弟は兄がいます。私たちらの世代は第二次ベビーブームで、小学校は6クラスくらいあって、1クラス40人をオーバーしていました。私は背がちっこくて…(笑)」。
背丈はないが、すばしっこい少年だったそう。
「中学生では野球をやっていたんですが、プレーもできないくらいヒザが痛くて。成長痛ってやつで、痛みは高校1年まで続きます。その代償が、今の背丈です(笑)」。
実は、この痛みが最初の旅のはじまり。背丈を伸ばした少年は、空をかける青年になっていく。
「高校では陸上部に入り、棒高跳びを始めます。陸上競技の中でも競技人口が少ない種目だったこともあって、埼玉県の大会で2位にもなっています」。
ポールをかがげ、走る。タイミングを合わせ、地上を蹴り、ポールをしならせ。そして、バーを超える。下から観れば、青空をバックに鳥人が宙に舞うシーンが目に映る。
「大学は上智大学に進みます。大学に入ればキャンパスライフを謳歌するはずだったんですが、体育会の陸上部に勧誘されて。ベストの記録は4メートル80センチでしたね」。
ちなみに、このインタビューを行った2023年6月、アルマンド・デュプランティス(スウェーデン)によって、ワールドレコードが更新されている。その記録は6メートル17センチ。1センチ、記録を破ったそうだ。
大学時代には「ヴェルファーレ」の立ち上げにも参加している。
「ライターの仕事などアルバイトは色々するんですが、ヴェルファーレもその一つです。旅行の費用は大体50万円持っていったんですが、すべてヴェルファーレで貯めて、1月に新潟空港から旅立ちます」。
「旅費目的でしたがかなり刺激されました。多士済々、色々な人がいましたからね。私が今あるのは、ヴェルファーレでアルバイトをしたことがきっかけになっていると思います」。
ディスコチックな音楽が支配する世界は、その空間だけもう一度、バブル経済に向かっていくようだった。
冒頭の旅の話。シベリアに向かったのは大学4年生の時。
「友達は卒業旅行で、私は留年が決まっていたので友達の卒業旅行に便乗した旅でした。新潟空港からボロボロの飛行機で3時間。ウラジオストクに到着します」。
ウラジオストクは極東ロシアにあり、ウラジオストク駅はモスクワのヤロスラフスキー駅までの世界最長の「シベリア鉄道」の東の起点となる。
ただ、その旅が次の旅に繋がる。大学生5年目、勝山氏は就職活動を開始する。
「旅行に行ったおかげで世界を意識し、円の価値に気づきます。当時は円高ということもあって、ドルじゃなく、『日本円だ』ってマインドになって。日本で仕事をする意味を見出すことができたんです」。
「帰国してすぐにヴェルファーレにも復帰しつつ、就職活動を開始します。当時、ヴェルファーレの副社長だった折口さんに誘っていただいて、タレントやモデルをマネジメントする会社に新卒で就職。マスメディアや芸能界のネットワークもできます」。
ただ、2年ほどで会社が解散。無職になる。
学生時代に経験していた女性誌のライターの仕事を改めて開始。
「学生時代にはリクルートでもライターの仕事をしていて。その時の上司から、音楽レーベルの立ち上げに参加してくれないかってオファーをもらい、未経験ながらそちらでも仕事を始めます」。
映画のサウンドトラックやCMソングなど数々のCDの企画・制作からセールスまでを行っていたそうだ。ちなみに、プロ野球の楽天イーグルスの球団歌は、プロデュースと作詞も担当しているとのこと。勝山氏のマルチぶりがうかがえるエピソードである。
「当時はそれ以外に恵比寿のバーで店長を務めていました」。ヴェルファーレではVIPルーム専属のバーテンダーだったから、バーテンダーのスキルや知識はそれなりにあったから、と。
ライターに、バーテンダーにと、忙しい。仕事を通してバーの経営・運営にも長ける。稀代の経営者である折口雅博氏を近くで見てきたことで、経営に対する意識は高い。折口氏が日頃言っていた「たゆまぬベンチャースピリッツ」は今でもつい口をつくそうだ。
このあと、北京でのイベントが開催される際、勝山氏は創業者の1人である後閑信吾氏を誘っている。
「彼は、今世界で最も注目されるバーテンダーの一人です。世界的なカクテルコンペである2012年のバカルディレガシーで優勝。2017年にはバー業界のアカデミー賞と言われるTales of the Cocktailの『International Bartender of the Year』を受賞。2019年に『Altos Bartenders’ Bartender』、2021年には『Roku Industry Icon Award』をそれぞれ受賞しています。世界で数々の受賞歴を持つファウンダーといっていいでしょうね」。
「SG Groupは私と、後閑、松永、張の4名で創業します。後閑は天才的なバーテンダーです。北京のイベントがあったので、声をかけさせてもらったところ、快諾。そこから今のSG Groupの創業者の1人となり、現在に至ります」。
「上海での出店が良いといったのも後閑で、ニューヨークで長く活動していたからでしょうね。上海はニューヨークに似ている、だから上海がいい、と。それで上海にオープンしたのが『Speak Low』です。張が現地責任者として運営しています」。
実は、SGマネジメントは勝山氏が経営する会社の1社。グループ会社は8社に及び、それらを総称してSG Groupと名乗っている。「張という中国現地の事情を知り尽くしたパートナーを得て、また、後閑という天才的なパートナーにも出会って、『Speak Low 』をスタートさせるんですが、開業資金などやりくりは大変でした。なぜ中国で、ですか?昔から中国でビジネスをするというのは頭にあったんです。当時(約10年前)の中国はバービジネスの黎明期だったからです」。
現在、SG Groupは、日本と中国にカクテル居酒屋やカフェを含むバー7店舗を経営・運営している。いずれも世界トップクラスのバーである。この9月には昨年コロナ禍で惜しまれつつ閉店してしまった「SOBER COMPANY」を同じく上海の中心地に再オープンさせる。440平米の大箱で、複数のセクションで異なるカクテル体験を提供するSG Groupによる新たな挑戦となる。
ちなみに、このインタビューを行った翌月、うれしいニュースが飛び込んできた。2023年7月18日にアジア地域すべてのバーの中から50店舗を表彰するアジア最高のバーアワード「ASIA’S 50 BEST BARS 2023」(主催:ウィリアム・リード・ビジネス・メディア)が開催され、国内外でバーを運営するSG Groupの店舗が8年連続でランクインしたというのである。
また、ホームページを開くと、「ゑすじ郎」という店舗があった。「IZAKAYA meets BAR」とあり、「バーと呼んでも、居酒屋と呼んでもいい」とのこと。
勝山氏に聞くと、バーの世界観をもっとたくさんの人に体験いただきたい、「バーをみんなのものへ」という思いでリリースしたそうだ。「Boy Meets Girl」にならえば、居酒屋がバーに出会うという意味だろうか。出会いをきっかけに、消費者がバーに恋するようになればもっといい。
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