株式会社じねんじょ庵 代表取締役社長 請川和哉氏 | |
生年月日 | 1976年9月13日 |
プロフィール | 静岡県生まれ。システム会社に就職したのち、レインズインターナショナルに転職。14年在籍、主にマーケティングを担当する。日本ケンタッキー・フライド・チキンでもマーケティングを担当し、のちに、ダイニングイノベーションに転職。グループ会社の一つ、株式会社じねんじょ庵の社長に就任する。 |
主な業態 | 「じねんじょ庵」 |
企業HP | https://jinenjoan.com/ |
今回ご登場いただいた請川氏は、1976年9月13日、静岡県沼津市に生まれる。兄弟は2人。請川氏は次男で、長男は現在、静岡市内で開業医をされているそうだ。
「小学校では野球を、中学ではテニスをしていました。中学から中高一貫の暁秀中学校に進みます。高校も、暁秀でもテニス部です」。
子どもの頃から経営者になりたいと思っていたのは、お父様の影響ですか?
「そうですね。それもあると思います。父は北海道生まれ。静岡で仕事をして、のちに仲間たちと起業します。ちょうど私が中学くらいの話で、立ち上げたばかりの頃は資金繰りにも困っていたようでが、もちろん、たいへんな話は聞かされていませんでしたから、サラリーマンより、かっこいいなと思っていたんじゃないでしょうか」。
大学で経営工学を専攻したのは、経営に関心があった証。
「大学時代は、兄といっしょに東京で暮していました。就職時に、いったん静岡に戻り、システム会社に入社します。こちらの会社に4年くらいいました。学生時代はピザハットや居酒屋などでアルバイトをしていましたが、飲食の世界で生きていくとは、この頃はまったく思ってもいなかったです」。
経営者と飲食が結びついていない頃の話。どうして、飲食の世界に進むことになったんだろうか? 今のところまったく畑違い。
「ともだちがベンチャー・リンクに転職するんです。彼から話を聞いて、シンプルに楽しそうと思ったのが、この世界に入るきっかけ。ベンチャー・リンクって何者?っていうところからのスタートです」。
請川氏が26歳の頃の話。
「私は、ベンチャー・リンクではなく、実際に飲食店を経営しているレインズインターナショナルに入社します。当時、100店舗くらいの時です。土間土間の4号店に配属されます」。
せっかくいい会社で仕事をしていたのに、ご両親は反対されなかったんだろうか。
「飲食はまっとうなビジネスじゃないという時代の人ですから、そういう意味で心配はしていたと思います。私自身は、飲食というよりもレインズインターナショナルという企業に惹かれ、入社します。1年半で店長になり、そのあと、マーケティング部門に移り、販売促進やメニュー開発などを担当します」。
最終的にはマーケティングマネージャーにまで昇進。飲食の世界に足跡を残し始める。
「私にとって、母はもちろん、父や兄も大きな存在です。父は、北海道生まれだからでしょうか。スキーやスノボーが好きで、よく連れていってくれました」。
アクティブで頑固者というイメージだそう。
「私が小学1年生の時に巨大な穴に落っこちちゃうんです。父に助けを求めるんですが、その父は、私がはい出すまで手を貸すことなく、みているだけ。自分でなんとかしろ、というわけです。3時間かけ、なんとか抜け出すんですが、あの経験のおかげで、あきらめない精神が身についた気がします。それが父の狙いだったかどうかわかりませんが。しかし、3時間も子どもの脱出劇を観ていた親父も相当、疲れたでしょうね」。
3時間の修業。子どもだけにインパクトはでかい。
「兄とはよく喧嘩をしました。3歳違いですから、ちょうどいい喧嘩相手だったのかもしれません。その兄は、薬剤師の母の影響もあって、先ほどいったように今は静岡で開業医をしています。私は兄の背中を追いかけていましたし、いい意味で、今も目標です」。
静岡のシステム会社を去り、レインズインターナショナルに転職した、その背景には、お兄様の存在があったかもしれない。
「レインズインターナショナルに在籍していたのは2002年〜2016年です。もともとシステム会社にいたもんですからネットにもそれなりに詳しくて、社長の西山さんともTwitterなどのSNSで話がよく話をしました」。
当時の話をもう少し。
「牛角に配属されるもんだと勝手に思い込んでいたんですが、実際に配属されたのは、新業態の土間土間。それまで、まったく畑違いのシステム会社で仕事をしていたもんですから、ついていくだけで精一杯でした。あの頃は、飲食の大半がハードワークだった頃でしょ。たとえば、月イチで店長会議があるんですが、朝、始発で自宅に帰り、スーツに着替えて参加するといった今では信じられない強行スケジュールでやっていました笑」。
それでも、気持ちの温度は下がらない。
ちなみに、レインズインターナショナルは教育にも注力している。その点もうかがった。
「そうですね。人材育成にはかなりの投資をしていました。社員全員が参加するベンチマークプログラムも、その一つ。いわゆる勉強会の一種ですが、一つのテーマに沿ってブレストを重ねていきます。私も最初は、なかなかしゃべれませんでした」。
人材育成は組織づくりそのもの。組織作りの目的はお客様の笑顔をつくること。
「その一点で、私たちがブレたことがありません」。
「西山さんは、人材育成のほかに、体系化された経営管理、データに則したマーケティング、すべてのものを網羅するコミュニケーションが大事だと言っていました。それが、レインズインターナショナルのつよみでもあったように思います」。
その一つ、マーケティングを任されたいただけに、当時から西山氏からの信頼が厚かったに違いない。
2016年から2019年までKFCで仕事をされていますね?
「14年間、レインズインターナショナルで主にマーケティングを担当してきたわけですが、人材紹介を通して、KFCに転職します。マーケティング部門のアシスタントマネージャーからスタートして、プロダクトマネージャーに昇格しました」。
いったん、レインズインターナショナルとも、西山さんとも、別々の道を進まれたわけですね?
「そうです。ただ、ダイニングイノベーションのことも知っていましたし、レインズインターナショナルのコアメンバーだった人たちが入社されていることも知っていましたので、『声がかからないかな』と、心のどこかで期待していたのも事実です」。
でも、実際に声がかかるんですよね?
「そうなんです。ある日、Facebookで、西山さんからあそびに来ないかと誘っていただいたんです」。
手土産は、もちろん、ケンタッキーのフライドチキン。
「フライドチキンを食べながら、社長室でお話させていただきました。その日のうちに、『じゃぁ、うちにこいよ』と言っていただいたんですが、いったん保留していただき、3日後に返事をさせていただきました」。
入社して1週間後、請川氏は空の上にいた。
「当時は、海外展開のフェーズだったんです。ジョイントベンチャーの立ち上げを調査するために、10日間かけインドネシア、タイ、マレーシア、フィリピン、韓国の5ヵ国をまわります。海外出張も初めてだったので、なにが、なんだか。でも、これが、西山さんなんです。とにかく、スピードが早い。じつは、この私のミッションも、1ヵ月くらいでなくなってしまうんです」。
うかうかも、ゆっくりもしていられない。
「じねんじょ庵」の社長になられたのは、もともと決まっていたんですか?
「いえいえ、最初は、別の人間が社長をしていました。『じねんじょ』っていう食材に興味をもった西山さんがスタートしたダイニングイノベーションの新業態です。私自身は、経営管理をさせていただいていました。ただ、前任が退職する時に、手を挙げて社長に就任します。この業態は、まだまだいけると思ったからです」。
父親とおなじ経営者になる。
「じねんじょ庵」は文字通り、「じねんじょ」をメインにした蕎麦業態。現在は6店舗(うち1店舗はFC)だが、5年後の100店舗が目標だ。2023年から本格的にフランチャイズ展開もスタートする。
客単価は昼が1500円、夜が3000円。「コロナ禍で予定通りには進んでいませんが、今からですね。当初、お酒の需要も見込んでいたんですが、なかなかコロナ前のようにはいきませんね」。
経営は、やはり難しい。コロナ禍となれば、なおさら。今までの経験則も通用しない。だからこそ見失ってはいけないものがある。
今、仕事をしていてなにがいちばん嬉しいですか?
「そうですね。お蕎麦屋さんなので、大晦日ですね。お客様の笑顔がやっぱりいちばんです」。
数字では測れない、お客様の笑顔。いつの時代も見失ってはいけないこと。そして、飲食がいちばんおもしろいと思うのは、この笑顔を追いかけられるからかもしれない。
この企業にご興味のある方、コンタクトを取りたい方、また代表にメッセージを送りたいといった方は、下記フォームよりご登録下さい。当社が連絡を取り、返信させていただきます。
例)テレビ番組用に取材したい、自社の商品をPRしたい、この企業で働いてみたい、中学時代の同級生だった など