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第983回 株式会社バリューテーブル 代表取締役社長 佐藤光彦氏
update 24/03/19
株式会社バリューテーブル
佐藤光彦氏
株式会社バリューテーブル 代表取締役社長 佐藤光彦氏
生年月日 1978年2月21日
プロフィール 高校1年の夏、氷川丸の船上ビアガーデンでアルバイトを開始。飲食に惹かれ、ホテルの専門学校に入学。2年時に1年間のシアトルでホームステイする。帰国後、BARで、アルバイトを始め、飲食人生をスタートする。クリエイト・レストランツで、要職を務め、独立。
主な業態 「cafe&dining blue terminal」「飯場 酒場 ニクノカタマリ」「ALL DAY CAFE & DINING The Blue Bell」他
企業HP https://valuetable.wixsite.com/recruit/

氷川丸、船上のビアガーデン。

ハレの日は、ファミリーレストランにでかけた。「外食の記憶っていったらそれくらいですね」と子どもの頃の記憶を探る佐藤さん。株式会社バリューテーブルの代表取締役社長である。
「小さな頃はやんちゃなタイプでした。べんきょうは好きじゃなかった。高校は私立なんですが、試験が2教科だけだったので(笑)」。
50人のクラスが20クラスあったというから、マンモス校。卒業生には、人気タレントの、あの出川さんもいらっしゃるそうだ。「インパルス堤下は同級生」と笑う。
残念だったのは、男子校だったこと。だからではないが、高校の夏から、舞台は飲食に移る。
「高校1年の夏に、ともだちと『バイトしよう』ってことになって、氷川丸のビアガーデンではたらき始めます」。
氷川丸は、山下公園に係留保存されており、夏になると、船上ビアガーデンがオープンする。
「これが、私にとって飲食との出会いです。ビアガーデンは夏だけなんですが、評価していただて夏が終わってからも、土・日だけバイトをさせていただきます」。
横浜、育ちは、バイト先もおしゃれだ。
「3年になってから、ちょっとちがったバイトも経験してみようと、コンビニでもバイトをしますが、氷川丸でサービス業の楽しさを刷り込まれたんでしょうね。大学じゃなくて、日本ホテルスクールという専門学校に進学します」。

シアトルのBARと、バーテンダーと。

日本ホテルスクールのホームページをみると、日本で唯一ホテルがつくった学校で、「国際感覚と英語をのばす」とあった。
「通常は2年で卒業なんですが、私は1年間、海外留学に行くコースに入ります」。
計3年。もちろん、印象に残っているのは、海外留学。
「アメリカのワシントン州シアトルにいきます。日本でいうと北海道と緯度がいっしょですから、寒いですね。ホームステイです。アメリカは、刺激的でした」。
ある日、ホームステイ先のアメリカ人にBARに連れていかれる。カウンターの向こうで、客と会話し、左右に動く。シェーカーをふり、カクテルをつくる。そんなバーテンダーの姿に、魅了されたという。
「今でも、目に浮かびますね。ホテルスクールなんで、基本は、ホテルに就職するのが既定路線なのですが、私はBARで仕事をしたいと、そちらに進みます。もちろん、明確なビジョンがあったわけじゃありません」。
帰国して、山下公園ちかくのBARでアルバイトを開始する。学校はあと1年。
「週末になると、横須賀のネイビーたちも来るようなBARでしたね」。BARと言っても100人くらい収容できるスケールだったらしい。
「実は、銀座のBARを希望していたんですが、色々あって、邪魔くせぇと思って、ふだん行かないパチンコに行くんです」。
10万円、勝ったらしい。
「こりゃ、すげぇ、と、ともだちを誘って、当時まだ20だったので、その年代がいくようなBARじゃなかったんですが、気が大きくなって(笑)」。
<それで運命の扉が開く?>
「そうですね。酒の勢いもあったんでしょうね。スタッフに仕事したいというと、親切な人で、オーナーにつないでくれたんです」。
「上質というより、やんちゃなBARだった」と佐藤さん。20歳の少年にとってはアメリカでみたBAR同様、キラキラしていたのではないだろうか。
「楽しかったですね。日本のBARも、アメリカに負けてはいません。客層も、さっき言ったようにネイビーたちも来る。人種も、語学も、一様ではない。そういう世界観にも魅了されていきます。もっとも当時は、将来の思いも漠然としたもので、学校を卒業してからも、流されるようにそちらでバイトをつづけます」。
シェイカーをふる。客と会話する。グラスをみがく。カウンターのなかを自在に動く。人脈もできる。「色々な出会いがあり、付き合いも広がっていきます。ちがうBARでもバイトをしたりして。本牧にあった、焼酎バーも印象に残っています。自分で焼き鳥を焼くんです。もう、こちらもなくなっているんですが」。
氷川丸からスタートした、飲食人生。ここまでが、第一章。

25歳のビジョン。

「25歳の頃ですね。このくらいになって初めて、将来を真剣に考えるようになりました。飲食は楽しい。だから、この道を進むと決めていたんですが、楽しいだけでは将来がちゃんと描けない。とくに、数字ですね。経営に関することもいる、と薄々感じていたんですが、おざなりになっていました」。
漠然としていた将来像が、焦点を結び始める。
「それで、一念発起して、東京の飲食店で仕事をしようと一人暮らしを始めます」。
横浜生まれの佐藤さんにとっても、東京はキラキラしていたそうだ。そして、当時まだベンチャーだった会社のトビラを叩く。
「実は、そちらは3日でやめているんです(笑)」。ベンチャーで、体制がまだ整っていなかった、と笑う。
<そのあと、どうされたんですか?>
「飲食人生の第二幕があがるはずだったんですが、いったん、ちがう道に進もうかな、と。ただ、もう、ちがう道というのも、たいへんでしょ。それで、ワンダーテーブルに転職します。こちらは2年。これは計画通りです」。
面接で「2年で辞める」と、言ったそうだ。つまり、2年で独立するということ。
「ワンダーテーブルさんで、P/Lなどの数値も勉強できました。それで26歳の時ですね。退職し、1年間、物件探しを始めます」。
もちろん、物件探しも、事業計画書作りも初めて。
「結婚もしていたのですが、1年間、奥さんといっしょに私の実家で生活をします。何しろ、お金を遣いたくなかったので。奥さんには、感謝ですね」。
公庫にも借り、父親にも援助してもらい、27歳でイタリアンカフェをオープンする。
「横浜から3駅いったところに南太田っていう駅があって、住宅街なんですが、そちらで創業します。ほぼスケルトンからなんですが、ともだちにサポートしてもらったので、比較的、安く、オープンできたと思います」。
13坪18席、初期投資1000万円。
「いまウルフギャングで料理長をしているやつがいて。由比ヶ浜のダイニングで知り合ったのですが、彼をさそってスタートします。ただ、1年半くらいで海外にいっちゃったので、そのあとは私が料理をつくっていました」。
<いかがでした?>
「業績は、想定通りでした」。
<つまり、悪いわけではないが、特別、いいわけでもない?>
「そうですね。地域密着で、食べるのに困るようなことはなかったんですが、このままつづけても、物足りないと思うようになって。実は、3年目の更新の時に、クローズしてしまうんです」。
<それはもったいない!>
「ただ、まだ若かったですし。当時、スペインバルが流行りだしていたんです。もともと私の飲食人生は、BARに憧れてスタートしていますから、そちらをやってみたいな、と」。
<それでクリエイト・レストランツですか?>
「そうです。ちょうど30歳の時ですね。まだ、岡本さんが社長だった頃で、今、思うと、まだまだ始まりの頃でしたね。こちらで8年間、修業させていただきます」。
私が今あるのは、クリエイト・レストランツのおかげ、と佐藤さんは言う。濃密な8年間だった。ネットワークも広がる。しかし、本格的な葛藤ははここからスタートする。

おしゃれなカフェ。佐藤さんがつくる、今を代表する一つの世界観。

「クリエイト・レストランツでは、ダイニング部門の部長も経験しました。素晴らしい上司とも出会うことができました。8年間がすぎ、当時の上司といっしょに、クリエイトとはちがう楽しい仕事をしようとなって。出資を仰いで、事業をスタートします」。
<しかし、思うようにいかない?>
「ですね。江ノ島でパンケーキのカフェをオープンします。ただ、ロケーションが悪くて。出資いただいた方が、どうすんだ、って」。
「チームごと身売りされた」と佐藤さん。つぎつぎオーナーがかわる。葛藤の日々。最終的には、佐藤さんが出資者をさがし、買い取ることになる。
「桜木町にある『花咲ブッチャーズストア』ですが、こちらは、私が飲食の事業部長をしていた時にオープンしたブランドです。それ以外にも、『blue terminal』もそうですが、私たちのチームが立ち上げたダイニングをスポンサーをさがして、スタッフも含め、丸っと買い取り、バリューテーブルがスタートします」。
これが2019年8月のこと。
<翌年には、コロナ禍がスタートしますね>
「資金的に多少厳しくなりましたが、売上もありましたし、補助金もいただけたので」。
ホームページには、ロケーションを活かした素敵なダイニングが、並んでいる。
「贅沢な話ですが、コロナ禍の時っていうよりも、コロナ禍が落ち着いた時のほうが、たいへんでしたね」。
どかっ!とお客さまが来られたから、と佐藤さん。インタビューした2024年1月。コロナが第5類に分類され、どかっ!とお客さまが来られるようになってから半年以上経つが、今もまだ、「どかっ!」と、ということだ。
「うちは、陸からも、海からも来られます。カップルも多いですね。皆さんがインスタグラムなどにあげてくださって。これも、いい宣伝になっています(笑)」。
出店のオファーも来ているそうだ。さて、今度は、どんなおしゃれなカフェが登場するんだろう。どんなカフェが誕生するにしても、アメリカでみたBARの世界観が、そのなかに息づいている、そんな気がする。

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