1965年広島県生まれ。90年3月専修大学商学部卒業、同年4月イトーヨーカ堂に入社。約半年で同社を退職後、旅行代理店を経て、96年に株式会社サティスファクトリーインターナショナルを設立し、フランチャイズのカフェを経営。その経験を活かし、現在は廃棄物のコストマネジメントや企業の環境対策コンサルティングを展開している。


  そうやって物件を探す間もいろんな本部を回っていたんですが、カフェ・ド・クリエ本部に行ったら「物件ありますよ。好きな所を選んでください」って言われたんですよ。「信じられない!」と思いました。それで、貯めていた1300万円の範囲でやれる物件に決めて、事業計画とか何もわからないままに会社を設立しました。「小松オーナー」なんて呼ばれて気をよくしてね(笑)。
設立当初は友人が代表でした。というのは、僕はこういう性格なので絶対にワンマンになるって思って、それが怖かったので。でも、結局彼とはうまくいかなくなって別れちゃいました。彼は学生時代一番の友人だったんですが、思えばその頃から僕が彼をコントロールしていたんです。僕が留学に行くと半年後に彼も留学したり、僕がジムに通い始めたら彼も行くようになったりね。


  まさにそうだと思います。それで最後は「小松に使われたくない」と言って去っていってしまいました。
  そんなこともありつつカフェ・ド・クリエを始めたんですが、それが今の事業のきっかけになったんです。その店で日々ゴミを出すうち、その廃棄コストをはじめ清掃費とか電気代とかいろんなコストが気になるようになって、コスト軽減の自助努力を始めたんです。コストごとに見積もりを取って業者を選定して。でも廃棄物業者だけ、うちの店の業者の名前を聞いた途端どこも見積もりを出してくれなかったんです。その業者が業界内で余りに大きな力を持っていたので恐かったんですね。
それで、これはすごいことを発見したと。廃棄物というのはこういう旧態依然な業界なんだなと。この業界が俺の目の前に出てきたということはこれを打ち砕けってこと以外の何ものでもないと思ったんです。それで「よおし、これからは廃棄物だ」と思って。だって、手つかずのマーケットがあったら面白いじゃないですか。
  でも、まずは管理コストを見直すところからやろうと思って、最初は空気清浄機の営業から始めました。当時自分の店で使っていた空気清浄機が全く効かなくて、別メーカーのものに変えたらすごく効くようになったので、そのメーカーを訪ねて「俺にこの空気清浄機の営業をやらせてくれ」と言ったんです。「俺は営業にかけてはすごいから」って(笑)。それでそのメーカーの代理店をやるようになったんですが、そのうちそこの若い社員たちと一緒にご飯を食べたりするようになって。ある時彼らに「この先どうやっていこうと思っている?」って聞くと「俺は何百台売りたい」って単純な数値目標を言うんですね。それで僕は「俺は違う」と言ったんです。「俺は、飲食業界25兆円マーケットの片翼を担っているって認識があるんだ。君たちにはそれがあるか」と。さらに、飲食業界のコスト関係をすべて並べて「このうち1つでも2つでもいいから、その損益分岐点を下げて飲食業界を活性化させたいんだ」と言ったんです。「この日本経済を活性化させるというようなでかい目標じゃないと面白くないじゃないか」って。そうしたら、彼らがすごく賛同して「一緒にやりたい」と言うんです。だから僕はこう言いました。「君たちは創業者という言葉を知っているか。創業者というのは給料出ないんだぞ。わかってるよな。君達は創業メンバーなんだ。給料出ないぞ」と。そしたらみんな「そうですよね!」って(笑)。「じゃあやろう」といって始めました。
そしてそこからコスト関連事業をいろいろ立ち上げたんですが、その中で廃棄物が一番面白かったんですね。例えば清掃業だと、ビルメンテナンスがいて、より安い業者を精査して、というプロセスが成り立っていたんですが、廃棄物だけはそういうものが一切なかったんです。旧態依然の利権構造だし、怖い人は多いし、法律もガチガチだし、みたいな感じで。
  そこで、1軒1軒店に飛び込んで営業していきました。当時は事務所もなかったので、毎日六本木のプロントで机をくっつけて打ち合わせしていましたね。電話も「電話がないんですが…」って言われる前に「お前の携帯あるじゃん」って先手を打って(笑)、個人の携帯で営業していました。もちろん自腹です。だってほら、創業者ですから(笑)。そのうちにメキメキ受注が取れて、3年間で単独店だけで2500店も取れました。それをすべて創業メンバーだけでとったんですよ。
最初はコスト削減が売りだったので「廃棄物コストを下げる方法があるんです」といって業者の選定をするだけでしたが、そのうち店側の要望がだんだん変わっていきました。こっちが提案するというよりも、店側の顕在化していない漠然とした要望を嗅ぎつけて手を打っていくうちに、だんだん環境系の依頼に変わっていったんですね。
(次回へ続く)