究極の地産地消を20年前に体験!

  私の場合、料理のフィロソフィ(哲学)が見えてきたのがちょうど30歳前後。自分の視点が定まってきたと言ってもいいと思います。

25歳の時、私はフレンチからイタリアンに転向しました。というのも、三国シェフをはじめ、私より10年も長くフランス料理を極めてこられた方々が海外から戻ってこられ、「この人たちに追いつくことはできても、追い越すことは難しいのでは…」と思ったからです。

その後、日本のイタリア料理店で勤務した後、28歳で「もっとイタリア料理を極めたい」とイタリアに渡って、三ツ星レストランなどでも修行しました。けれど、何かが違った。私の目指しているものがそこにはないような気がしたのです。どの店も一様にフランスの方を向いている、というか…。

そんな時「もっとイタリアの地方料理を見てみなさい」とアドバイスしてくれた恩人がいました。そこで、それまでいたミラノを出て、地方に行ってみたんです。そしたら私の求めているものがそこにはあった。

イタリア南方のナポリやシチリアに行った時、「あっ、これがイタリアなんだ!」と実感できました。みんな明るく陽気で、「ナポリ人って、こういう人たちのことなのだ」と改めて思いました。

料理も地元で獲れた豊富な海の幸を、その土地ならではの料理法でいただくというスタイル。究極の地産地消ってやつを、私は20年前にイタリアの地方都市で目の前に突きつけられた。それが今の“自分らしさ”の原点になっています。だからその時の料理「アクアパッツァ」が店名にもなっているんです。

料理は“自分らしさ“を表現するもの

こういった経験や私の感性を最大限に生かした店を、幸いにも、帰国して数年後にははじめられました。自分でもラッキーだったと思います。そしてそれが私の30代のスタート。“自分らしさを表現できる店”で、さらにそれを追及していったのが30代でした。つまり、これは料理のフィロソフィが見えてきた、ということ。

料理のフィロソフィが見えるとは、難しく聞こえるかもしれませんが、例えばこういうことなのです。料理本を読む時、それまではレシピばかりを見ていたのに、フィロソフィが見え出すと、なぜそういうレシピ・発想なのか、とその裏にある作り手の考えや想いを読むようになる。それがフィロソフィであり、その人らしさなのです。

 私の場合、フランスの方向を向いているイタリア料理ではなく、地方に根ざしたイタリア料理の醍醐味を表現したかった。例えば、店のまかない料理で、私は毎日カルボナーラを食べ続けたことがありますが、毎日食べたくなる料理、それがイタリアンの醍醐味のひとつだと思っています。だから今でもお客様に「おたくの料理は何を食べたのかよく覚えているわけではないのに、なぜかまた食べたくなる」と言っていただけた瞬間は、至福の喜びを感じます。

また「この間のあの野菜、また茹でてちょうだい」と言っていただいた瞬間、素材を生かすというイタリアンの醍醐味を楽しんでいただいているのだなと実感し、とても嬉しくなります。切って茹でるだけなので、料理人としてはソースのひとつでも添えて・・と葛藤が生まれることもありますが、フレンチではないので、あえてそのままなのです。それがイタリアンのよさ、私のスタイル。

“器用貧乏”という落とし穴

私はどちらかというと不器用な人間です。下積み時代は、失敗ばかりして上の人に怒られることが多かったし、それがコンプレックスにもなっていました。しかし経営者という立場になってからは、「不器用なら不器用なりに努力すればいいんだ」と思えるようになってきました。

逆に、器用だから優れているというわけでもないのだと思います。器用な人ほど何でもできて自信もあるから、今の会社で高いポジションに付く前に転職してしまい、転職先ではまたゼロからスタートという場合が多い。それを何度も繰り返している人がいわゆる“器用貧乏”。

自分は器用なタイプか、不器用なタイプかを考えて転職を考えた方がいいのかもしれません。たいてい20代はただがむしゃらに働くだけだけど、30代になったら“自分らしさ”も考えながら、頭と体の両方を使っていろんな経験をすべきだと思います。そういう意味では、さまざまな経験ができる環境に身をおくことも大切だと思います。

リストランテ アクアパッツァ