20代半ばで“世界一”を決心!
人生のシナリオを早い段階に描いた
僕が“世界一”になりたいと決心したのは20代半ばの頃。富も名誉もない平凡な20代の若者であった僕は、当時はただ技術力を磨くことだけに専念していました。そして「コンクールなら今の自分の能力を公正に評価してくれるかも」と考え、いくつかのフランス菓子の国内大会に挑戦し、優勝なども経験しました。しかし優勝しても、世の中はそれほど僕を認めてくれるわけではなかった。そこで「次は、世界一になろう!」と思ったのです。
1995年、僕が28歳の時、「クープ・ド・フランス インターナショナル杯」という世界大会で初めて優勝し、さらに97年、フランス菓子のワールドカップと言われる「クープ・ド・モンド」で個人優勝を果たしました。“世界一”の座を勝ち取るやいなや、周囲は僕を認めてくれるようになり、その後は順調にスポンサーなどもついて、30歳で自分のお店を出すことができました。
振り返ると、30代は20代で学んできたことを“かたち”にした時期と言えます。一号店となる「モンサンクレール」を立ち上げて以来、約10年間に渡って僕の想いをお店、あるいは商品という“かたち”に表現して、いま40代を迎えたところなのです。
20代の頃に具体的な設計図を描いたからこそ、30代で“かたち”にできたのだと思います。時間なんてあっという間に過ぎてしまうもの。毎日、意味のある一日を過ごさなくては、夢なんてなかなか実現できませんよ。人生の比較的早い段階で自分の人生シナリオを描くことは、本当に大切なことだと思います。
ところで、大会で勝利をおさめた作品たちは、現在では店の商品にもなっていますが、「セラヴィ(525円)」もその一つ。フランボワーズとピスタチオのスポンジ生地をショコラブラン(ホワイトチョコレート)のムースで覆った六角形のケーキです。こういった作品のアイディアは、僕の場合、味覚の想像世界から蕩々と溢れ出てきます。
ショコラブランと言えば、まろやかで甘いイメージ。それに反して、僕は極限までグリエしたピスタチオをその内側に使いました。そうすることである種の“えぐみ”を演出したかったからです。これに酸味のあるフランポワーズを合わせてインパクトのある妙味を生み出し、食べた後に「何だ?この味は?」と後ろ髪をひかれる味を目指しました。
外側のまろやかな味と内側の刺激的な味。この二つの対照的な味がぶつかり合って、やがてうまみへと昇華していく…という味覚のストーリーを想像しながら考えた作品です。同様に、食感のバランスも創造し、いろんな角度から編み上げた総体がやがて頭の中でひとつの作品となって完成するのです。
大会で勝利した人気のケーキ「セラヴィ」
料理人より数字に厳しいパティシエ
だから経営管理もしやすい
このように味や食感の創造作業は、料理人のそれと非常に似ていると思います。しかし、パティシエには創造力以外に、1g単位の誤差も生じさせない細やかな注意力が求められます。料理人と違って、パティシエの仕事はすべて数字に置き換えられるのが特徴です。だから逆に言えば、原価や温度の管理もしやすいのです。
例えば店のスタッフに作り方を伝授する場合も、「何gを使って、何度で何分焼いて…」とすべて数字を交えながら説明できるので、きちんとした指標も作りやすい。当社ではレシピをすべてオープンにし、スタッフが曖昧な部分を排除して育ってくれるように配慮しています。そうすれば、僕が仕事をスタッフにまかせられるようにもなり、結果として企業として成長していけるからです。
“いいもの(商品)”を作るとは、いいシステム、いい人材を生み出していくことである、と僕は思っています。昔ながらの「見てまねろ!」的な料理人の世界では、個人の瞬間的な判断力に味が左右される場合も多いですが、パティスリーはそうではない。だから比較的、経営管理もやりやすい。それがスィーツ業態のメリットのひとつでしょう。現在、方向性のまったく異なる10ブランドを展開しながら、それぞれのコンセプトが生きているのは、論理的にも整合性があるパティスリーの経営だからだと思っています。
僕が最近取り組んでいるのは、“和スィーツ”という独自のジャンルの作品です。例えば、ゴマ・きなこ・醤油といった和素材を使用したラスク「和楽(わらすく)」にあんこをトッピングする食べ方の提案をしています。また、水まんじゅうの中にムース・ショコラなどを入れたオリジナル商品も考案しています。40代を迎え、さらにパティシエとして作品のクオリティを上げていきたいと考えているところです。
それぞれのスィーツに個性を持たせ、“自分らしさ”が光るようにしてゆきたい。そういった商品を各店舗でお客様に提供していくことで、スタッフの心にも僕の想いが届き、職場の絆もより一層深まっていけばいいと考えています。