ガスコンロの前で居眠り！全身に水をかけられて…
私が料理人になろうと思ったのは19歳の時。実家が鶏肉の卸売業者だったので、飲食店に肉を配達したりしているうちに料理人と接する機会も多く、調理人の姿に憧れたのがきっかけです。
最初はホテルに勤務し、その後、フランス菓子店やレストランなどで働きました。一般的には遊び盛りと言われる20代前半。でも私の場合は、仕事に明け暮れていました。
朝6時に出勤しては、寸胴鍋でフォン・ド・ボーをつくり、8時までに先輩たちの朝食を用意するためにオムレツなどを作って、そのまま夜まで営業。仕事が終わった後、遊びに行きたいとは思ったけれど、翌朝が早いのであまり遊びには行けませんでした。
あの頃は、毎日、眠くて眠くて…（笑）。ある朝、鍋の前でスープをかき混ぜていると、突然、バシャ！と水をかけられたこともありました。私が立ちながら居眠りをしていたからです。でも周囲は私を起こすために水をかけたのではなかった。エプロンにコンロから火が移ってしまって、あわてて水をかけて助けてくれたのでした。仕事より眠さが勝ってしまっていたんですね。
当時は本やテレビで見る一流シェフとはかけ離れた自分がいて、現実と夢とのギャップに葛藤しながら過ごしていました。料理人になることをあきらめた瞬間もありましたが、でもやっぱりフランスには行きたい―そこで何とか夢をつなぎとめておくめに、フランス語の語学教室に通っていました。
体系化されていないスペイン料理。だから自由で斬新！
その後、ずっとフランス料理の勉強をしてきた私がスペイン料理に開眼したのは26歳の時です。当時、職場にスペイン人の同僚がいて、彼の母親が来日して作ってくれた「コシド マドレーニュ（マドリッド風煮込み料理）が感激の味だったのです！
ポトフのように豚肉や鶏肉、チョリソー、ガルバンゾ（豆）などをくたくたになるまで煮込んだ料理で、その素朴な味わいに私は「これだ！」と思いました。もともとガウディの建築やヘミングウェイの「陽はまた昇る」のバスク地方の闘牛話など、スペイン文化がとても好きだったので、スペイン料理に転向することに迷いはありませんでした。
フレンチやイタリア料理にはすでに偉大なシェフが存在し、ブイヨンの取り方からしても、すでにレシピが体系化されています。もちろんそれがすばらしさの一つでもありますが、私はスペイン料理の自由なところが好きなのです。
スペイン料理には偉大なシェフもそれほど存在しないので、すでにファイリングされたような料理もまだない。だから表現法やテクニックがとても自由で、斬新な発想が受け入れられやすい。でもけっしていい加減な料理ではなく、計算されている―そんなところが好きですね。
30代になる前に、私はそんな自分の情熱を本場で発散させたくなり、29歳のときにスペインに渡りました。最初の一ヶ月は履歴書片手にスペインで職探しです。約50のレストランの門を叩きましたが、ＯＫをもらえたのはわずか４〜５軒でした。それでも最初からマドリードの二つ星「La Ｂoche」に入れたのですから、私はラッキーな方だと思います。
当時は、世界で一番予約がとれない店として知られる「エル・ブリ（elBulli）」などが日本の食材に注目していた時期で、日本人のシェフは比較的喜ばれて採用されたのです。日本に帰国する直前は、サン・セバスチャンの三ツ星「Restaurante Akalare」でも働いていました。
少しずついろんな皿を味わえる本場風の“デグスタシオン”
2008年に帰国してからはスペインで学んだ料理の真髄を日本でもゆったりと味わってほしいと思いながら、東京・神楽坂のスペイン料理店「神楽坂モダンスパニッシュ エル・ブオ」で腕をふるっています。
この店ではスペイン本場風に、少量ずつたくさんのお皿をゆっくりと時間をかけて味わえる“メニュー・デグスタシオン（味見のコース）”をコンセプトに掲げています。このスタイルは実はスペイン人が日本の茶懐石料理を真似たものらしく、前述の「エル・ブリ（elBulli）」などでは20〜25品も提供しているようです。
当店ではディナー6000円のコースは、アペリティーフから始まって最後のお菓子まで全13品を提供しております。13500円のシェフズ・スペシャルでは全19品をご用意しております。09年10月20日にオープンしたばかりの店ですが、早くも舌の肥えた神楽坂近辺のお客様などにご満足いただいているところです。
中でも好評なのは「フォアグラと長芋のアイレ スッポン風味」。すっぽんの和風だしをすりおろした山芋に加えたものを、濃厚な味わいのフォアグラのソテーにかけた料理です。実は私自身、母親の作る“とろろかけご飯”が大好きで…。山芋と和だしという日本人の大好きな組み合わせをスペイン料理に応用してみました。
ほかに「色々きのこのソテー “森の庭園”」では、オリーブの実を乾燥させたものをフレーク状にし、それを大地の土に見立てて皿に盛っています。その上にさまざまなきのこをのせることで、バスク地方の大自然を表現しました。ハーブや柑橘類、トリュフなど、さまざまなアロマを意識しながら“森の庭園”を堪能していただけます。
現在、私は36歳。「私の30代」で思うことは、これからも背伸びをせず、自然体でスペイン料理のすばらしさを表現していきたいということです。
誰にでも壁は存在すると思いますが、すごく高い壁でも、努力し続けて越えて、後で振り返るととても低い壁に思えたりすることがよくあります。それだけ自分が成長した証拠ですね。そう考えると、たとえ悪い結果でも、今後の自分の成長の糧になる、と思えばがんばれるものではないでしょうか。時には壁の高さを自分で調整してもいいと思いますよ。
●神楽坂モダンスパニッシュ エル・ブオ
住所 東京都新宿区神楽坂5-30 ファン神楽坂�僑横�
電話 03-6265-0298
営業時間 火〜金 18時〜翌2時（LO 翌１時）
土・日 11時30分〜14時（LO 13時）
18時〜23時（LO 21時）
定休日 月曜日・祝日、年末年始