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武田あかね
武田あかね写真
武田あかね
3月20日、京都に生まれる。
1992年10月、戦略型人材採用コンサル&求人広告代理の株式会社キイストン設立。取締役就任。各企業様の人材採用の戦略・立案、求人広告等を手掛ける。
2008年8月、飲食専門の人材紹介業、株式会社ミストラルを設立し代表取締役に就任。
全く新しい募集経費ゼロの「ジョブセンス」の普及活動にも注力。
自社新サービスの、対・マスコミ広報戦略では、ニュース番組、新聞、雑誌、単行本など年間多数の掲載実績を持つ。
飲食業界に特化した人材採用支援事業に注力。
飲食専門求人サイト『in-職ハイパー(いんしょくハイパー)』の運営に携わり、飲食業界向けの『転職相談』やコラムを開設。
ニュース、バラエティ番組、書籍、ラジオ番組ゲスト出演等、各メディアに広報出演。また、CM、映画、通販番組、再現などにも出演。
インタビュー
「食文化」を通じて、
社会・経済の活性化を目指すという尾尻さん。
若い人には「とにかく、がむしゃらに」という
メッセージをいただきました。

今回、ご登場いただいたのは、食の月刊誌「料理王国」を発行する株式会社アビーハウスCEO尾尻 佳津典氏です。「料理王国」は1994年の創刊以来、日本国内のみならず世界各国の「食」の最新情報を提供し、現在では毎月10万部を発行。月刊誌の発行以外にも、さまざまなイベントを主催しています。リアルコミュニケーションによって「人・モノ・情報」の交流を図り、食文化の発展にも寄与されています。尾尻氏ご自身のプロデュース能力、また文化・アートに対する深い造詣とアーティストたちとの交流が、「料理王国」の人気や各種イベントの反響を支えています。ちなみに、尾尻氏がCEOになられてから、「料理王国」の売上は、雑誌不況と言われるなかで、毎年、売上記録を更新されているそうです。

株式会社料理王国CEO 尾尻 佳津典氏
尾尻 佳津典CEO/プロフィール
1952年東京都出身。
中央大学卒。ケンブリッジ大学留学を経て、大日本印刷に入社し18年間勤務。最少年の取締役になる。だが、41歳で独立。プロモートなどの事業を興し、成功を収める。現在、「料理王国」を発行する株式会社アビーハウス、医療情報誌「集中」を発行する株式会社集中出版社、両社の最高経営責任者(CEO)を務めている。その一方では、食材などのブランディングプロデューサー、また全国の食品メーカー、農水産物の生産者、飲食店舗の販促・広報に関するコンサルタントとしても高い評価を獲得している。
尾尻CEO1
武田
本日はお忙しいなか、ありがとうございます。尾尻さんにお会いできるのを楽しみにしておりました。今日は、食にかかわるたのしいお話はもちろん、尾尻さんの過去を少し振り返りながら、いまの若者たちの指標となるお話を聞かせていただければと思います。
尾尻CEO
こちらこそ、よろしくお願いします。
武田
尾尻さんのお生まれは、東京と伺っておりますが、何年生まれでいらっしゃいますか?
尾尻CEO
1952年の東京生まれです。両親は広島の竹原と尾道のお寺の出です。父は陸軍士官学校から陸軍大学に進んだ、昔の言葉でいう「職業軍人」でした。戦後は、鶴見の総持寺で坊さんをしていました。私の菩提寺は西麻布にある長谷寺ですが、この寺は永平寺の東京別院で、大変落ち着きのある寺です。週末には必ず長谷寺にお参りに行き、座禅を組んだりしています。いつも慌しく過ごしていますので、週に一度くらいはこうして静かに過ごす時間があると落ち着きますし、とても大切な時間です。あかねさんもぜひ、寺巡りや座禅をされてはいかがですか?
武田
それは、心の豊かさということでしょうか。尾尻さんは、著名なアーティストとの交流もお持ちですが、そういう精神的なものがクリエイティブとつながっているのかもしれません。
尾尻CEO
そうですね。物質的なことだけではなく、精神的なつながりは「広がるチカラ」「継続のチカラ」を持っていますから。
武田
大事な観点ですね。いま行っておられるイベントなども、そうしたつながりを生み出す一つの仕掛けのように思えるのですが、少し話を戻して、尾尻さんはたしか、中央大学に進まれるのですよね。
尾尻CEO
中央大学杉並高校という附属校でしたので、受験はありませんでした。大学に進んでも高校時代の仲間が勢揃いしていますので、テレビ番組の青春ドラマそのままの楽しい学生時代でした。
武田
それは楽しそうですね!その後、いつ、ケンブリッジ大学へ留学されたのですか?
尾尻CEO
「井出ゼミ」の井出先生からの推薦で、ケンブリッジ大学に留学させてもらいましたが、この2年間は、日本ではした事もないほど、長時間必死で勉強しました。
武田
卒業後、大日本印刷に就職されるのですが、サラリーマン時代の尾尻さんってどんな人だったでんしょう?
尾尻CEO
モーレツ営業マンでした(笑)。当時、印刷業界では「営業の大日本、技術の凸版」と言われていましたので、営業に配属されたその日から、本当に働らかされました。入社してからの数年間は、月の残業時間が200〜300時間を超え、自分自身の結婚式にも仕事が終らなくて遅刻してしまうほどでした(笑)。負けず嫌いでしたので、過酷なノルマをがむしゃらに達成していくうちに、過激に働くことが楽しくなっていました。現在の自分の土台を形成してくれた大日本印刷には、今でも本当に感謝しています。素晴らしい会社です。
尾尻CEO3
武田
それは、ビックリです。私も、印刷会社にいたことがあるのですが、大日本印刷といえばガリバー企業。そんな会社の人は、もっとのんびり仕事をされているのだと思っていました(笑)。
尾尻CEO
遊ぶ暇もありませんでしたが、私には向いていたのでしょうね。逆に、楽しかった。「きびしい。だけど、たのしい」。これは、当事者の気持ちの問題。どこの世界もそうですが、飲食の世界には、特に当てはまることが多いと思います。
武田
たしかに、飲食の世界も残業が多く厳しい世界ですが、それを楽しんでいる人もたくさんいらっしゃいます。
尾尻CEO
結局、大事なのはそこで、「がむしゃらにできるかどうか」が、将来を左右すると思っています。たとえば、パティシエやシェフといった職業があります。その職業に就いている人のなかには、昔、ヤンチャをやっていたなんていう人も結構います。彼らは、どこに向かえばいいかわからなかっただけで、よし、「パティシエになろう」「シェフになろう」と方向さえ定まれば、とても強いエネルギーを発揮します。何しろ、根性が違う。飲食では、学歴よりも「やる気」や「心の強さ」が大事です。こういうハンディのない世界があること自体、素晴らしいことだと思います。
尾尻CEO4
武田
私は、飲食に就職しようとされている方々から相談を受ける機会が多いのですが、大事なのは学歴よりも「やる気」「心の強さ」というのはとても頷けるお話です。飲食の、たとえば採用の判断軸は、経歴などの数字で表せないところにあるような気がします。だから、判断する側の考えがとても大事になるのでしょう。ところで、大日本印刷に就職され、最年少で取締役になられたのに、その後、あっさり退職し、起業されたと伺いました。思い切った決断ですね。どのような会社を造られたのですか?
尾尻CEO
大日本印刷で培った営業力と人脈で何とかなるのでは?と思って起業しました。グラフィックデザイナーの粟津潔先生を新入社員当時からずっと担当させていただいていましたので、先生の仕事の営業部門となるような会社を考えていました。全国の美術館での企画展や、各地で開催される博覧会の仕事などを考えていました。 ただ、赤坂に事務所を構えるのですが、半年ぐらいはまるで仕事がなかった。電話番に事務員を雇ったのですが、仕事の電話がまったくかかってこないので、先行き不安に思ったのか辞められてしまいました(笑)。転機の一つは、あの有名な世界三大テノールの日本公演の肖像権の権利を買えたことで訪れます。1994年のことです。写真集も人気になりましたし、日本橋高島屋の新春の目玉企画として「新春三大テノール写真展」を開催したところ、長蛇の列ができました。創業2年目の会社としては出来すぎでした。
武田
どのように肖像権を手に入れたのですか?
尾尻CEO
大手広告会社も手をあげていたのですが、ありがたいことに私の会社を選んでいただきました。直接、彼らに手紙を書いたんです。『独立1年目の会社だけれど、将来の自慢にしたいから』って。それが効いたのかもしれません。提案した価格は、競合していた大手の広告代理店の1/20ぐらいの金額ですから、奇跡的な話ですね。
武田
たしかに奇跡的にも聞こえますが、尾尻さんという人の強い思いが、有名な三大テノールを動かした、そう考えれば不思議でもなんでもありません。会社設立後、尾尻さんは、さまざまなプロモートを行ってこられた一方で、出版関連のお仕事もされています。「料理王国」との出会いを教えてくださいますか?
尾尻CEO
「料理王国」の前オーナーからの要請でした。前オーナーは地方の資産家でしたが、赤字が膨らんで、どうにも手に負えなくなったし、自分の息子も出版には興味がないので、会社を買ってくれないか?と。若い頃から飲んで、食べることが大好きで、何しろ30年間、平日は、家で食事したことがないぐらいでしたので、それでは、と。
武田
30年間、それはある意味凄いですね。ちょっと話は脱線しますが、どんなお店に行かれるんですか。「料理王国」のCEOがどんなお店に行かれるのか、興味があります。参考までに教えてください。
尾尻CEO
基本的には、大日本印刷時代から気に入っているお店に今でも変わらず通っています。私が「料理王国」をやっていることを知らないお店も相当数あると思います。オムライスなどB級グルメも好きですよ。ですが、たいていは人との会食なので、どうしてもそれなりのお店になります。また、外食ばかりでカロリーも気になりますので、いつも私の分はスモールポーションで、とお願いしています。それなりに気を使っているんですよ(笑)。
行きつけの店ですか?そうですね。青山斎場前にあったサパークラブ「マドリー」には通い詰めました。若い頃から週に4回ぐらい通っていました。友人の父親か経営していた素敵なお店でしてね、警視総監や銀行の頭取や航空会社の社長などもいらしていました。「マドリー」は、数年前、ビルの立退きの際に解散してしまったのですが、どうでしょう、通算すると3000回は伺ったんじゃないでしょうか。ワイフに言わせると、年間200回×30年で、6000回は通っていたと(笑)。つまり、そんな風に食べることも飲むことも好きだったし、アーティストをはじめとする人脈もあった。「料理王国」をお願いできないかと言われたとき、これなら私の持っている知識やネットワークを加えることで、大きな満月にできるかな?と判断してお譲りいただくことにしたんです。
武田
実際、CEOに就かれたのは、何年前になるのですか?
尾尻CEO
2005年ですから、6年前です。もともと赤字状態でしたが、私が欠けていたピースを埋めたことによって、うまく機能するようになりました。一昨年も、昨年も、創刊以来の売上です。
武田
出版業界が不況と言われているなかで凄い快挙ですね。尾尻さんの経営手腕を物語っています。その要因を尾尻さんなりに分析されるとどうなるのでしょう?
尾尻CEO
一つには信頼性の高さということでしょうね。「料理王国」では、掲載するまえに必ず編集担当者が試食に行き、味を確認します。それで判断するのです。つまり、情報に責任を持っています。たとえば、の話ですが、私がいいなと思ってもダメなのです。発行人や編集長たちが実際に行って食べてみると、そうでもないな、と見送られちゃうこともあるのです。だから、誰か一人の視点に偏ることもない。こういう真摯な方針が評価されているのだと思います。それ以外にも、さまざまなイベントも「料理王国」主催で行っています。そういう催しも功を奏しているのでしょう。
武田
イベントは主に「料理王国」の本社オフィスと同じビル内で開催していらっしゃるんですよね。
尾尻CEO
弊社の上階に40人程度着席できるプライベートなサロンがあります。料理教室も行っているスペースなのですが、ここはイベント会場としても使えます。東京電力さんとタイアップしまして、調理器具もすべて最新設備を整えています。著名なオーケストラのメンバーが日本公演の後にプライベートでおいでになったり、有名なオペラ歌手などが来られたりもします。彼らが、カラオケで歌うと迫力がちがいますよ。
武田
生テノールですものね。それはうらやましいかぎりです。今後も、イベントのプロデュースは積極的に行っていかれるのですか。
尾尻CEO
新しいところでは、大手百貨店とのビジネスに力を入れて行きたいと考えています。
武田
料理王国ではなく、百貨店ですか?
尾尻CEO
そうです。百貨店には催事場など情報を発信できる場がたくさんあるでしょう。その百貨店を舞台にして「料理王国100選」というイベントを開催します。「料理王国」が選んだ、文字通り100選です。食だけではなく器やキッチン周りの商材まで100選のなかに入れていきます。イメージしてもらいやすいようにいえば、モンドセレクションやミシュランのようなものですが、それを「料理王国」が主体となって日本人の手で行っていくのが、今回の企画の目玉です。そして、100選に選ばれたものを百貨店で披露しようという試みです。
武田
百貨店の売上増にも、つながるのではないかしら。
尾尻CEO
昨年、「そごう」180周年、というイベントが全国であったのですが、そごうのある部門の責任者から「ぜひ『食』を主体にしたいので、『料理王国』でプロデュースして欲しい」という依頼があったのです。それが、大成功を収めたんですね。百貨店は、ある意味、供給する側と消費する側がリアルに接するメディアなんです。そこを上手に活かしていきたいと思っています。百貨店という土俵で、「人・モノ・情報」が動き、それによって経済が活性化して欲しいと願っています。
武田
たしかに、百貨店が元気だと経済も元気だという話を聞いたことがあります。百貨店を元気にしてもらって、ぜひ、日本経済も元気にするような企画をお願いしたいですね。ほかにも、今後、考えていらっしゃることはありますか?
尾尻CEO4
尾尻CEO
日本には「料理研究家」という肩書の方がたくさんいらっしゃいますが、認定機関があるわけではないので、すべて「自称」なんです。でも、それでは「料理研究家」はだれもが簡単に名乗れる軽い存在になってしまう。それで、「料理王国」が責任を持って認定し、整理しようと思っています。
武田
それも楽しみですね。このようにお伺いしていると、ほんと出版というカテゴリーを超えた活動を繰り広げておられることがよくわかります。最後に、そんな尾尻さんに成功の秘訣を教えていただきたいと思います。
尾尻CEO
これが成功の秘訣というものはありませんが、冒頭のほうでもお話しましたが、なんでもがむしゃらにやることだと思います。頭で考え過ぎずに、ね。
武田
根性も大事でしたよね。
尾尻CEO
そう、ほかには、ちゃんと情報を発信することです。私はいま農家を回らせていただいていますが、どうやって、その農家を知るかというと、やはり何かしらの情報を発信されているからなのです。みなさん、一生懸命、仕事をされている。だから、全部取り上げたい。でも、そういうわけにはいきませんから。ただ、これだけ情報が氾濫していると、情報をただ発信しているだけではパワー不足です。これが、もうひとつ大事なこと。あるイベントでシェフを160人集めることになりました。土・日でそれぞれ80人ずつ。でも、30人ぐらいしか集まらない。じゃぁ、どうするか。ここからが根性の出番です(笑)。社員が10人いれば、10人に追いかけさせる。ファックスやメールで呼びかけるだけでは30人しか集まらなくても、直接、「来てください、お願いします」といえば、160人集まるんです。いくら便利な時代だからって手間暇を惜しんではダメだと思いますね。私は、スタッフたちに「二流の仕事はするな」といっています。一流の生産者が、一流の生産物をつくるように、一流という言葉にこだわってみることが大事だと思うのです。ともかく、若い人にはがむしゃらに、便利な世の中になったからこそよけいにそういう気持ちで目標を追いかけていただきたいと思います。それが、あるとすれば唯一の秘訣ではないでしょうか。
武田
今日、尾尻さんからお伺いしたことを私たちも肝に銘じてがんばっていきたいと思います。また、「料理王国100選」も、楽しみにさせていただきます。本日は、ほんとにありがとうございました。
尾尻CEO
こちらこそ。ぜひ、みんなで「食」や「食文化」を盛り上げ、日本自体も盛り上げていきましょう。
尾尻CEO5
<あとがき>

尾尻さんとは初めてお会いさせていただいたのですが、落ち着いたお話しぶりに、紳士というのはこういう人をいうんだろうな、と。作家や音楽家といったアーティストたちと密な親交があるのは、ご自身も美術や芸術に造詣が深いからでしょう。その尾尻さんがCEOを務めておられる「料理王国」の事業にも改めて触れることができ、「料理王国100選」など、今後拝見する楽しみもまた広がりました。