日本ケンタッキー・フライド・チキンを育て上げた男、大河原毅。
その過去を辿ると、70年代以降、日本の食文化が描いた一つの軌跡が見えてきた。

「株式会社ジェーシー・コムサ」。この社名を聞いてどのような会社か、スグに答えられる人は少ないだろう。"一番どり""京鳥"を経営する会社と、店舗名を挙げてご紹介したほうがわかり良いかもしれない。
現在、ジャスダック市場に上場する同社は、業務用、市販用のピザなどを製造する「食品製造部門」と、先に挙げた"一番どり""京鳥"のほか、"郷どり燦鶏""牛傳""ほのぼのお好み鯛焼き本舗""ハーベスター・八雲"といった店舗を首都圏中心に展開する「外食産業部門」をあわせ持つ総合食品カンパニーである。また"菱膳""寿司処菱膳"などの宅配事業も行っており、09年3月には吉野家から「上海エキスプレス」を譲り受け、グループ内に取り入れている。
この「株式会社ジェーシー・コムサ」の代表取締役CEOが今回、ご登場いただく大河原毅66歳、その人である。
まだまだ現役の大河原を「日本の外食産業の語り部」という風に言えば、怒られてしまうだろうか。しかし、日本の外食産業、もしくは食文化の変遷の一部を、渦中から見てきた一人であることはたしかだ。時には、そのなかで主人公も演じている。
実際、今の私たちも、この大河原がかつて描いた策略に見事にはまってしまっている。「クリスマスにはケンタッキーフライドチキンを!」。そうクリスマスにケンタッキーフライドチキンを食べるという今の私たちの「恒例行事」を仕掛けたのは、若き日の大河原なのである。
大河原がいなくても、「マック」は食べられたが、「ケンタッキー」は食べられていないかもしれない。クリスマスの楽しみの一つを私たちにプレゼントしてくれた大河原毅、その生い立ちから追いかけてみよう。